忘れてただけ◆2/9 発行 予定新刊サンプル◆
2/9 VALENTINE ROSE FES
猫の寵愛一身にあり
にて発行予定のにゃんちょぎ新刊サンプルです。
とある事件に巻き込まれて記憶の一部を失った政府所属南泉と、監査官長義の話。
他、小話が1つ入った全年齢小話本です。
・「聲(こえ)」
本丸設定にゃんちょぎ。現代遠征の小話。
・「忘れてただけ」
政府所属にゃんちょぎ。とある事件に巻き込まれて記憶の一部を失った政府所属南泉と、監査官長義の話。
*注意
・2つの話に繋がりはありません。
・ふわっとした捏造ファンタジー満載です。ふわっとお読み下さい。
・モブ審神者と別個体の南泉の南さにに若干触れています。
以上が大丈夫な方、どうぞよろしくお願いします。
サンプルは「忘れてただけ」の抜粋です。
* * *
「忘れてただけ」
全年齢小説 A5 34頁/500円
スペース:東5 ま53b
サークル名:226*
- 3
- 4
- 101
表題作「忘れてただけ」からの抜粋です。
とある事件に巻き込まれて記憶の一部を失った政府所属の南泉と、監査官長義の話。
* * *
「――お前の記憶の欠落は、それくらい他愛のないことだったのだと、いずれわかる日が来る。どうせどんな物語だって本当は端から終わってるんだ、終わってない瞬間が時折垣間見えるから騙されてるだけで」
* * *
歴史修正主義者と称する組織に対し、歴史を保護するため、国家の総力を結集して立ち上げた一大プロジェクト「刀剣乱舞計画」。それを担う時の政府の中枢機関は、厳重にセキュリティ対策の施された時空の一角、その更に幾重にも結界を張り巡らされた特殊な空間の中にあった。複雑に入り組んだ構造の館内には、プロジェクトに関わる政府関係者や政府所属の刀剣、各本丸の審神者とその近侍のみが入管を許可される。
政府所属刀剣、妖異対策課の南泉一文字は、館内の屋上にあるカフェへと向かっていた。
「猫殺しくん」
スケルトンのエレベーターを降りたところで、背後からよく知る声がして、南泉は反射的に身を堅くした。振り向かずともわかる。己をその呼称で呼ぶ者は一振りの刀剣しかいない。
「身体の方はもう大丈夫なのかな」
「……ああ」
短い返答に、それでも心底安堵した様子で、その刀――山姥切長義は「よかった」と穏やかに笑んだ。南泉の強張った表情に気づいたのか、彼は小首を傾げて胸元の監査官証を翳して見せる。
「失礼、記憶がないんだったね。監査課の山姥切長義だ。あの時一緒にいた俺だよ。君には本当に世話になった」
山姥切の言葉に、南泉は慌てたように瞠目した。
「悪い。……その、お前の方は怪我は無かったか、にゃ」
気まずげに視線を泳がせた南泉に、山姥切は「うん。君のお陰でね」と頷き、ポケットから何かを取り出した。
「はい、これ」
「にゃ?」
「いつものカフェに行くんだろう? 君の大好きなスモークサーモンサンドと一緒にどうぞ」
手渡されたものを見れば、それは南泉がこれから向かうカフェのドリンク券だ。南泉は目を瞬いた。そのカフェの、オリーブを練り込んだ生地のバゲットに、たっぷりの肉厚なスモークサーモンとクリームチーズ、レタス、玉葱を挟み、黒コショウを振ったスモークサーモンサンドは南泉の好物だ。
何故この山姥切は、南泉の気に入りのカフェとメニューまで把握しているのだろう。己は彼とあのカフェに行くほど親しかったのか。
「……ありがとにゃん」
礼を言ったはいいものの、その先をどう繋げたものかと立ち尽くす南泉の背を、山姥切は笑んでカフェの方へと押しやった。
「ほら、早く行かないとこの時間は混むよ。楽しいランチを」
「ああ。また、にゃ。……その、犯人はまだ見つかってねえんだろ。お前も用心しろよ」
「ありがとう。気をつけるよ」
山姥切は屈託なく碧を細め、ひらりと片手を振った。
「……本当に、忘れてしまったんだね」
踵を返した南泉の背に、山姥切は呟いた。しかしそれは花弁が一枚舞い落ちるよりも微かな、己にだけ言い聞かせるような独り言で、南泉の耳に届くことはなかった。
*
夢を見ていた気がする。
夢の中で、誰かの視線や気配は確かに感じるのに、その姿は見えない。声も聞こえない。どうも越えられない線があるようだ。
事件の後に覚醒してから、何かを夢の中に取りこぼしてきたような、そんな微睡のような温度が続いている。もうずっと。
「やはり思い出せない、か」
妖異対策課の山鳥毛は、ソファに足を組んで腰掛け、気遣わしげに息を吐き出した。その隣には監査課の一文字則宗、左横のソファには浄化課の石切丸が控えている。
「子猫。お前は、呪詛の標的となった監査課の山姥切長義を庇い、その呪詛を代わりにその身に受けた」
山鳥毛の言葉に、南泉は黙したまま頷いた。
とある監査課の山姥切長義が呪詛を受けた。
呪詛。つまりは、山姥切に怨みを抱く何者かが、彼を呪い殺そうとした。
事が起きたのは一昨日のことだった。呪詛の標的となった山姥切本刃の目撃証言によれば、術者は元審神者の女だ。発端は数カ月前に遡る。聚楽第の特命調査で、件の山姥切長義が赴いた、とある本丸。審神者は平安の頃からの陰陽師の血筋の女で、生まれながらにして強大な霊力と審神者としての適性を有していた。
虫も殺さぬような上品で美しい見目の彼女は、時の政府からも一目置かれる、非の打ち所の無い優秀な審神者だった。しかし。就任から数年後、彼女は道を踏み外した。ある時から徐々に本丸の自室に引き籠るようになり、様々な呪術の研究を行うようになった。最初は未顕現の刀剣を素材に使っていたが、やがて顕現済みの刀達、果ては犬や猫他あらゆる動物、しまいには己が任務で赴く合戦場から許可なく回収した人間の死体をも実験に利用するようになった。本丸は荒廃し、負の気が充満していた。
当然のことながら、監査官として本丸を訪れた山姥切は不可の評定を下し、残されていた僅かな刀達と管狐の協力を得て、この所謂ブラック本丸の闇を明るみに曝け出した。女は審神者の資格を剥奪され、刀達は全振り顕現を解かれて一旦本霊に還される事態となった。しかし本丸を失った彼女は審神者の任を解かれてなお、時空のあわいを移動し逃走。政府が追手として放った術者達はいずれも変わり果てた無惨な姿となって発見された。彼女が歴史修正主義者側に寝返るようなことがあれば大きな脅威になり得ると政府は警戒し、政府直属の術者や石切丸達神刀と連携して彼女の行方を追っていた。
その矢先だった
あろうことかこの時の政府の館内で、山姥切が呪詛を受けたのは。
それは漆黒の三又の蛇のかたちをしていた。時空の裂け目から伸びた女の綺麗な白い指先が素早く印を結び、紅い唇が呪を紡ぐ。本体の刃を浸蝕し鋼を破壊する対刀剣男士の呪詛。音もなく忍び寄った影にいち早く気づいたのは、偶然山姥切と共にいた南泉だった。
「っ、化け物斬りっ……!」
山姥切を庇うように押しのけ、抜き放った南泉の本体に、蛇は瞬く間に巻き付いた。
「猫殺しくん?!」
山姥切が抜刀する間もなく、蛇は南泉の刃に溶け入るようにその姿を消した。みるみるうちに刃文は澄んだ水に黒いインクを落としたように黒く染まり、南泉の顕現が解ける。桜の花弁となってほどけるように虚空に消散してゆく生身の肉体。残された南泉の本体を抱え、山姥切は叫んだ。
「誰か! 浄化課を……っ!!」
駆け付けた浄化課の術者と石切丸が呪を紡いだが、調伏には至らず彼女は時空を移動し逃走。山姥切の身代わりとなって呪詛を受けた南泉の本体は祓い清められ、肉体の再顕現には成功したものの、覚醒した事件の一部始終の記憶を失っていた。
「憶えていないのは、その事件に関してのみかい? 他のことで何か忘れてしまったことはないかな」
石切丸の問いに、南泉は「ねえにゃ」と首を振った。
「顕現してから今日までのことも、事件の日にあった他のことも全部覚えてる。呪詛を受けてから再顕現して覚醒するまでの間のことだけが、空白みたいに抜け落ちてる、にゃ。あ、それと、」
「呪詛の標的となった、監査課の山姥切の坊主のことだな?」
扇を一つ鳴らした則宗に、南泉は再び頷いた。
「……ああ。あの時オレと一緒にいたっていうけど……。あの個体に関する記憶がねえ」
山姥切長義という刀のことは無論知っている。幾百年もの永き時を共に渡り歩いてきた旧知の打刀。ただ、呪詛の標的となった彼と知り合った記憶はない。記憶を遡ろうとすると、どうしても思考が霞みがかったようにふつりと途絶えて、その先を辿れない。
「ふむ」
山鳥毛と則宗がそっと視線を交わし、石切丸は顎に手を当てた。南泉の本体は、呪詛による錆が浸蝕していたものの、幸い清めと手入れとで容易に修復可能な程度の損傷で済んだ。妖異対策課に所属する一振りとして、南泉も神刀程ではないにしろ簡易な術や結界は使いこなすものの、彼女の強力な呪詛をまともに受けたにしては被害が小さい。それに、欠落した記憶もやけに限局的だ。
とはいえ眼前の南泉に別段変わった様子はなく、呪詛も間違いなく祓い切れている。ここまでの聞き取りでもこれといった齟齬は感じない。
「山姥切の坊主には直接会ったか?」
不意に則宗が口を開いた。
「にゃ、ああ。……昼に偶然会って」
「随分とお前さんを心配していただろう」
「まあ、にゃ」
随分と、という副詞が適当かどうかはわからないが、確かに彼は事件の顛末を差し引いても南泉のことを気にかけていたような節はあった。
「御前はあの山姥切を知ってんだろ?」
「まあな」
「あいつは、前からよくオレと一緒にいたのか?」
己の気に入りのカフェと好物のメニューまで彼が把握していたことを思い出し、そう訊ねた南泉に、しかし則宗は扇で口元を覆い、何処か場違いに楽しげに「さてな」とはぐらかした。
「この僕が余計なことを話せば、絡まった呪がさらに絡まりかねん。そうだろう、山鳥毛?」
「にゃっ、それってどういう、」
意味深に口を噤んだ則宗に代わり、山鳥毛が口を開く。
「お前の部分的な記憶の欠落は、お前が受けた呪詛の影響によるものなどではないということさ、子猫。お前は我が一文字一家の誇り高き爪。意味のない行動など断じてしない」
山鳥毛の言葉に、南泉は目を瞬いた。まるで記憶を失ったことが、南泉自身が意図したことであるかのような言い回しだ。
山鳥毛はしかし、穏やかに笑むだけで、それ以上の補足はない。一文字の長の目はただ、存外優しい焔の色を浮かべていた。