消えるから鳴らし続ける。
岡山在住の女性M様から「会いたい」とご連絡をいただいた。最初、M様は「話したいことや聞きたいことがあった訳ではなく、ただ、会いたいと思った」と言った。私は「それならもう達成されましたね」と言った。M様は「そうかもしれません」と言って、帰ろうとした。同時に違和感も感じていた。連絡をくれる多くの人たちは、明確な目的があった訳ではなく「なんとなく」と言う。本当になんとなくなのか、それとも、本当はなんとなくだけではない何かがあったのか、尋ねた。
M様は言った。なんとなくだけじゃない、言語化できない何かがある。坂爪さんに会ったら自分は何を感じるのか、自分は何を語り出すのかを知りたかった。言語化できない何かを言語化することを、手伝って欲しかったのだと思う。最近、人生全般をつまらなく感じる。いつ死んでもいいと思っていたが、育ての親が死んでしまったことで、その思いが強くなった。死にたい訳ではない。ただ、その思いに拍車がかかって、暇や退屈の正体を掴みたくて、充実した日々を生きるヒントみたいなものを掴みたくて、坂爪さんに連絡をした。
M様は言った。自分には社会不適合な部分があって、雇われて働くのは無理だと思って、自分で事業をはじめた。だけど、税金などの支払いなど、やらなきゃいけないのにどうしても体が動かないことがある。駐車違反の罰金も似ていて、罰金を払うくらいなら交通刑務所にぶち込まれたほうが経験として面白いのかなと思うのだけど、なかなか共感してもらえない。坂爪さんから見て、私はどのように見えるかを聞かせて欲しい。知り合いからは「強そう」とか「圧がある」と言われる。私は、しばらく考えた後に「強そうとか圧があるという言葉は的確ではないと思う。それよりも、重いものを持っているように見える」と言った。
私は言った。刑務所にぶち込まれてもいいけど、それは本当にやりたいことではないと思う。つまらなく感じるのは、喜びから距離があるからだと思う。M様は言った。私は生花が好きで、先月、お花の先生の手伝いを無給で一ヶ月やった。あの時間は楽しくて楽しくて仕方がなかった。これをやったらなんになるとかがなかった。なんにもならない。ただ、やりたいと思ったから、やった。花が好きだ。消えるからいい。枯れるからいい。話しながら思った。私は、美しいものが好きなのだ。坂爪さんの生き方を、美しいと思っているのだ。だから、坂爪さんに会いたいと思ったのだ。
本当になんとなくなのか、本当はなんとなくだけではない何かがあるのか、そう尋ねた時に「なんとなく」と言われたら、私は帰るつもりだった。私に連絡をくれる人が現れるたびに、私は感激する。よくこんなことを言う人間に会いたいと思うな、勇気があるな、勇者だなと思う。M様は「坂爪さんは誰よりも優しいと思います。この種類の優しさをみんな求めているのだと思います」と言った。造花にはない美しさを生花に感じるのは、生きているから。消えてしまうから。枯れてしまうから。蛍光灯にはない美しさをキャンドルに感じるのは、燃えているから。終わりがあるから。その場限りのものだから。私たちの命も、花や、キャンドルと同じようなものだと思う。消えるからいい。枯れるからいい。消えてしまうからと言って、それをやらない理由にはならない。消えてしまうから鳴らし続ける。これから姫路に行く。
おおまかな予定
2月3日(月)兵庫県姫路市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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