先日のフジテレビの記者会見に、フジテレビジョン副会長として登壇した遠藤龍之介氏の文章が、会見後少し話題となった。
これを読み、そういえば遠藤周作が息子の結婚披露宴について書いていたなと思い出し、本棚を探した。
というわけで、遠藤周作の『狐狸庵交遊録』に収録された、「仲人は慎重に選べ」という文章を紹介したい。
はい、フジテレビ問題とは何の関係もありません。
この文章は、結婚式のスピーチを聞くのは実に退屈であるという話に始まり、息子の披露宴ではキャンドルサービスや両親への花束贈呈などの演出は一切やめてもらい、スピーチもごく数人だけにお願いすることにしたという。
遠藤周作は、結婚式の仲人は三浦朱門、最初のスピーチは阿川弘之にお願いした。作家であれば、くだらぬ説教スピーチや偽善的なスピーチはすまいという目論見だったが、大失敗だったという。何があったのか?
まずは仲人の三浦朱門はあらかじめ豚児とその嫁となる娘が届けた身上書をみもしなかったために、マイクの前で突然、新郎の父である私の悪口を言いはじめた。
「新郎の父、周作はクワセものであります」
私たち作家やジャーナリストの間ではこういう表現は馴れているから驚かない。しかし場所は披露宴であり、しかも嫁側のお客のほとんどは堅気のマジメな方たちである。こんな仲人のスピーチは生れて初めてだったにちがいない。
少し話が逸れるが、息子を指す「豚児」、妻を指す「愚妻」といった日本語の謙称がワタシは大嫌いで、そんなものなくなって一向に構わないとずっと思っていた。最近では、さすがにこれらの表現は目にすることがかなり少なくなったように思う。良いことである。
「新婦は〇〇学院の卒業生で、この学校はうちの女房も出た学校ですから、よく知っていますが」
と身上書の紙をめくって、突然、
「うちの女房でもよくわかるように、この学校の卒業生にはバカが多いのです……」
と言った。
末席で私も私の女房も愕然とした。嫁側の縁者も客も仰天しているのがありありとわかった。というのは花嫁の母親もその妹もその〇〇学院の卒業生だったからだ。
三浦朱門、大失敗の巻である。コントかよ。
あとできくと、さすがに三浦もこの時、自分がとんでもないことを口に出したことに気づいたそうだ。瞬間彼の頭にカッと血がのぼり、嫁側の家族を紹介することをすっかり忘れ、もうただひたすら、
「新郎の父、周作とは長いつきあいですが、この男はまったく仕方のない男でありまして……」
とあらぬことばかり言いつづけた。
これはヒドい。やはり仲人たるもの、身上書は事前にちゃんと読んでおくべきだった。
次に阿川弘之がスピーチするのだが、この日のためにひと月の間想を練り、何度も文章を書き直したという話を当人から聞いていた遠藤周作は、三浦朱門の目茶苦茶な仲人挨拶の名誉挽回をしてくれるものと期待した。
しかし彼がおもむろに封筒からとり出して読みはじめたスピーチは、三浦のそれをはるかに上まわるひどい内容だった。
阿川弘之はスピーチの中で、遠藤周作からこれを喋れ、あれを喋れと祝詞の内容に細かな指図をされたことへの不満をぶちあげ、彼の以下の発言を暴露する。
『結婚式て、ほんまにえらい金がかかるもんやで。おかげで俺は、引き受けたくもない講演引き受けて、披露宴の費用稼ぎに町から村へ、山から里へ、日本国中飛び廻つとる。お前スピーチに立つたら、皆さん方のお飲みになるそのスープも、お食べになるそのロースト・ビーフも、デザートのアイスクリームに至るまで、遠藤周作の血と汗の結晶ですと、よう分るやうにはつきり言うてくれ』
さすがにこれには遠藤周作も口をポカンとあけて呆然となるばかり。ただ、龍之介氏もこの時既にフジテレビの社員ではなかったのか。そんなに父親の金をあてにして披露宴をやるのはおかしくありませんか、と発言小町なら辛辣に突き上げられるね!
さて、阿川弘之のスピーチは最後までヒドい。
阿川は続けて、私のことをアルツハイマー・ディジーズ(老人性ボケ)の兆候がはじまった男だといい、こういう半狂人の義父に仕える嫁こそ可哀想だと嫌味を言って着席した。
私は今日までの長い人生で色々と失敗を重ねたが、息子の結婚に友人の文士を仲人をたのみ、スピーチを依頼したため、折角の披露宴は目茶目茶になってしまうとは思わなかった。真面目な嫁側の招待客のなかには「あんな家に嫁にやって大丈夫でしょうか」と思った方もおられたときいた。
本当に彼の書く通りであれば、破談にならずによかったレベルではないか。初めてこの文章を読んだとき、他人事ながらヒヤヒヤした覚えがある。
「仲人は慎重に選べ」と遠藤周作は戒めたわけだが、それから時は流れ、結婚するのに仲人を立てるほうが稀になっている(「みんなのウェディング」の2022年の調査では、全体の1.1%とのこと)。またここまでに引用した文章にも、現代の感覚では問題視される表現がいくつかあったりする。時代とともに結婚にまつわる意識も変わるということだろう。
以下、後日談。
あんなひどい仲人には仲人料は払う必要がないと私は言い張ったが、嫁側の御両親に説得され、仕方なく両家で仲人料を三浦家に持っていった。
「とんでもない。主人があんな御挨拶をして」
と言って返してもらえると思っていたのに、曾野綾子夫人は、「まあ、こんなお心づかいをしてくださって」と巻きあげてしまった。