PROFILE
Profile
プロフィール
用丸 雅也
Masaya Yomaru
Branding Partner / Creative Director
所属
- ウェリズム株式会社 代表取締役社長CEO
- 株式会社ATOMica ブランドデザインマネージャー
自己紹介
東京大学法学部を卒業後、電通に入社。「広告」に限らず「未来創造」をドメインに、ブランディングディレクターとして国民的アーティストのブランディングや、企業やブランドのビジョンの言語化とそれに伴うコミュニケーション開発を多数手掛ける。国内外のクリエイティブアワードを最高賞含め10以上受賞。
2023年にブランディングブティック ウェリズム株式会社を創業し、電通を退社。株式会社ATOMicaのブランドデザイン領域の責任者も兼任。
趣味はポケモンカードゲーム、マーダーミステリー、ポーカー、スナック巡り。バイブルは『ONE PIECE』。
Philosophy
ブランディング哲学
話題化する施策で目立っていくことももちろん大切。
しかし、ブランディングにあたって重要なのは、
長期的視点で貫かれた思想や哲学があること。
そして、ファンや仲間が共に追いかけたくなるストーリーがあることです。
ブランドとは、
一過性のバズで形成されるものではなく、
時間をかけて蓄積していくものだから。
思想や哲学を言語化するところから始まり、
ブランド資産をサステナブルに蓄積していくためのストーリーを紡ぐ
ブランディング支援をいたします。
Promise
お約束
01
クライアントではなく、パートナーとして。
お客様として向き合わない、ということではありません。
お客様としてのお付き合いを超えて、ビジョンを達成するためのパートナーとして歩みを進めたい、ということです。
なので、時には耳が痛いことも申し上げるかもしれませんが、ともにブランドをつくる同志として歩みを進めさせてください。
02
短期効率よりも、長期情熱を。
短期視点しか持たないとき、ブランディングの費用対効果は必ずしもよくありません。けれど、長期視点に立った時、ブランディングには利があります。
ブランドとは、信頼。ブランディングされた状態とは、サステナブルに愛され、応援され、信頼され続ける状態を生み出すこと。
長期でブランドづくりをしていく意志を持つパートナーに伴走いたします。
03
正解よりも、納得解を。
ブランドに形はありません。答えは一つでもありません。
けれどブランディングできているかどうかで、コミュニケーションはじめマーケティングの効率は大きく変わっていきます。
そのブランドが何を愛し、何と戦っているのか。
そのブランドがどこに向かっているのか。
関わるすべての人たちが、その思想や哲学を信じ、共に行動できる状態をつくるのが、ブランディングのゴールです。
Biography
歩み
1993.8
東京都生まれ。父が銀行員だったため転勤が多く、幼稚園と小学生前半は大阪府で過ごす。じゃんけんの掛け声が「じゃんけんほい!」ではなく大阪仕込みの「いんじゃんほい!」だったため、東京に戻ってきた最初の一週間のあだ名は「いんじゃん」になる。小学校時代に星新一さんのショートショート全作品を読み耽った結果、国語と妄想が得意になる。
2007.4
算数の手を抜きすぎた結果、中学受験では第1志望から第4志望まで落ちに落ち、人生初の挫折。公立の中学にいく覚悟を固めながら最後の最後に受験した攻玉社中学の国語一科目試験の合格者1名の枠に滑り込み、進学。中学受験に失敗したコンプレックスを抱えつつ、中高ではポケモンのゲームと、ミスチル桜井さんに憧れたバンド活動に熱中する。
2012.3
攻玉社高校を卒業後、優秀な成績で大学に進学するはずが、河合塾本郷校に進学。浪人生活が始まる。中学受験に続いて人生二度目の受験失敗を踏まえ、学力不足以上に本番力不足が課題だと感じ、考え方とメンタルをゼロから再構築する。人生のターニングポイントに。
6時間の睡眠時間以外は全てを勉強に充てるストイックな1年間をやりきったことが、今でも自分の底力を信じる原体験になっている。
2013.4
1年間の浪人期間を経て、東京大学文科I類に合格・入学。ようやく得られた成功体験の再現性を上げるために、未経験だったストリートダンスに打ち込み、深夜から朝方まで踊り明かす日々に。
大学3年生の時に参加した博報堂のインターンシップをきっかけに、アイデアで課題を解決する面白さを知り、世界がひっくりかえる。官僚でも弁護士でもなく、クリエイティブの道に進むことを決める。
2017.4
『ポケット六法』がポケットに入らない違和感を拭いきれないまま東京大学法学部を卒業。ロジックの世界は優秀な同級生たちに任せることにし、ロジックよりもマジックの力を身につけるため、株式会社電通に入社。
初任配属のPR局を経て、入社3年目からクリエイティブ局(第2クリエーティブプランニング局/Future Creative Center)に異動。「若者から諦めるをなくす」をビジョンに、「人の3倍働く」を行動指針に掲げ、仕事に熱中する。かっこいいオトナ像に多く出会い、たくさんの愛を頂いた電通生活を送る。
2023.4
30歳を迎えるにあたって、会社員ではできない挑戦をすべく、ウェリズム株式会社を創業し、株式会社電通を退社。自ら退社を決断したものの、家族のような存在を失ったことに身勝手にショックを受ける。
2023.11
大学時代に参加していたインターンシップで同じチームだった嶋田瑞生(ATOMica Co-CEO)からの誘いを受け、ウェリズムの代表と並行する形で株式会社ATOMicaのブランドデザインマネージャーに就任。パートナーワークではなく、事業主としてのブランディング活動をスタート。
「過去が未来を決める」のではなく
「未来が過去に意味付けをする」ので、
「正解の道を選ぶ」のではなく
「選んだ道を正解にする」べく、
未来を向いて生きています。