こんにちは、ライターのコエヌマです。
突然ですが皆さん、2025年は―
三島由紀夫の生誕100年
にあたる年だって知っていました?
三島由紀夫といえば、代表作に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』などがあり、ノーベル文学賞の候補にもなった世界的に評価の高い文豪です。
というわけで今回は、三島が好んだグルメの名店や、ヘアサロン、行きつけだったディスコ等など、主に都内の聖地をご紹介! そして後半では、山梨の『三島由紀夫文学館』を訪れ、館長に三島の意外な人物像やおもしろいエピソードなどを伺いましたよ!
▼もくじ
金閣寺 (新潮文庫)
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三島由紀夫の聖地を巡る
鳥割烹 末げん(新橋)
1909年創業の鳥料理屋。三島由紀夫は父に連れられ小学生のころから通っていた。割腹自殺を行う前日も楯の会の隊員4人と訪れ、『わのコース』と呼ばれる鳥鍋や鳥料理が最後の晩餐になった。
鳥割烹 末げん
住所|東京都港区新橋2-15-7 エスプラザビル1F
電話| 050-5486-1176
喫茶ルオー(文京区)
東京大学・本郷キャンパスのすぐ近くにある、1952年から続く喫茶店。三島のほか司馬遼太郎などの作家も通っていたという。スパイスが効いたイギリス風の「セイロン風カレー」が看板メニュー。
喫茶ルオー
住所|東京都文京区本郷6丁目1−14
電話| 03-3811-1808
喫茶店ミロンガ ヌォーバ(神保町)
古書店街にあるタンゴが流れる喫茶店。コーヒーなど喫茶メニューのほか、世界のビールも楽しめる。作家たちが通っていたこのお店で、三島由紀夫は寝不足の目をしょぼつかせながら、書き上げたばかりの『仮面の告白』の原稿を編集者に手渡したという。
喫茶店ミロンガ ヌォーバ
住所|東京都千代田区神田神保町1-3
電話| 03-3295-1716
かつ吉 水道橋店
東京ドームのすぐ近くにあるとんかつ屋。三島のほか川端康成もよく通っており、店内には川端の書が飾ってある。三島は後楽園のスポーツジムで筋トレをした後によく立ち寄り、牛ロースビフテキ定食を好んで食べていたという。
かつ吉 水道橋店
住所|東京都文京区本郷1-4-1 全水道会館ビルB1
電話| 03-3812-6268
理容米倉 オークラ東京店
1918年に創業した老舗ヘアサロン。よく通っていた三島は、同じく常連客だった佐藤栄作元首相から、出馬を打診されたとことがあるという。新婚旅行の際も系列店を利用するなどお気に入りで、自決の数日前にも訪れている。
理容米倉 オークラ東京店
住所|東京都港区虎ノ門 2-10-4 オークラ東京 オークラ プレステージタワー 地下1階
電話| 03-3584-0786
どん底(新宿)
1951年に創業した洋風酒場。三島のほか野坂昭如、石原慎太郎といった文豪や、黒澤明、青島幸男、三輪明宏などそうそうたる文化人も訪れた。創作メニューをはじめとした豊富なメニューがあり、特にミックスピザと「どん底カクテル」が人気。
どん底
住所|東京都新宿区新宿3‐10‐2
電話| 03-3584-0786
ニューサザエ(新宿)
新宿二丁目で最も古い店のひとつと言われる、1966年創業のディスコ。よく訪れていた三島由紀夫は、踊っている人々を静かに眺めて過ごしていたという。フレディ・マーキュリーも来日する度に立ち寄っていたそうだ。
ニューサザエ
住所|東京都新宿区新宿2-18-5 新宿石川ビル2F
電話| 03-6384-1978
多磨霊園
国内で最初にできた公園墓地。三島由紀夫(本名:平岡 公威)はこの一角にある「平岡家之墓」に、家族と共に眠っている。
多磨霊園
住所|東京都府中市多磨町4-628
電話| 042-365-2079
市ヶ谷記念館(新宿)
防衛省の敷地内にある建物。三島が割腹自殺をした場所であり、最後に演説をしたバルコニーや、自衛隊員と争った際の日本刀の傷も残っている。
市ヶ谷記念館
住所|東京都新宿区市谷本村町5-1
電話| 03-3268-3111
三島由紀夫文学館(山梨県)
山中湖のほとりにたたずむ三島由紀夫文学館には、初版本や直筆原稿、創作・取材ノート、手紙、写真をはじめ、ここでしか閲覧できない貴重な資料が2万点以上も収蔵されている。
三島由紀夫文学館
住所|山梨県南都留郡山中湖村平野506-296
電話| 0555-20-2655
開館時間|午前10時~午後4時30分(最終入館は午後4時)
休館日|月曜日・火曜日(祝祭日の場合はその翌日)
料金|一般1,000円、高・大学生600円、小・中学生200円 ※生誕100周年記念展の期間中(2025年1月11日~同12月28日)の金額です
館長に聞く三島由紀夫の実像
ここからは三島由紀夫文学館の佐藤秀明館長へのインタビューをお届けします
・おすすめの三島由紀夫作品
・作家としての三島由紀夫のすごさ
・人としての三島由紀夫
・なぜ割腹自殺したのか?
様々なエピソードを伺ったのでぜひ最後まで読んでくださいね!
三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書)
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おすすめの三島由紀夫作品は?
三島由紀夫文学館の中庭で記念撮影する筆者(コエヌマ)。この像は三島の家にあるアポロ像を再現しているそうです
「今日はよろしくお願いします! さっそくですが、三島由紀夫は30作以上の長編小説のほか、中編・短編も多数発表しています。特に人気があるのはどの作品ですか?」
「『金閣寺』と『春の雪』が人気がありますね。『金閣寺』や『春の雪』は映像化や舞台化もされたことで、広く知られるようになったのではないでしょうか」
「映像化というと『潮騒』(「その火を飛び越して来い」というセリフで有名な作品)なんかもそうですね。確かに、映像化されている作品は知るきっかけになりそう」
「初心者におすすめする場合はどういう作品がありますか?」
「三島は純文学作家ですが、実はエンターテインメント作品も多く書いています。そこから入るのもおすすめですよ」
▼初心者でも読みやすいおすすめ小説
・『命売ります』
主人公の会社員・山田は、自殺を試みるが失敗し、死ぬために「命売ります」と新聞広告を出す。そして広告を見た人たちからの、一風変わった依頼に巻き込まれていく……
・『三島由紀夫レター教室』
5人の登場人物が、さまざまなシチュエーションで手紙をやり取りし、その文面で物語が進んでいく。歌手・小沢健二が紹介してヒットした
・『音楽』
心理学に興味がある人にもすすめ。精神分析医を美女の患者が翻弄していくという、知的な推理小説のようなあらすじ
「純文学作家、芸術家というイメージが強かったのですが、エンタメ作家としても優れていたのですね」
「三島の小説は『難しい』『読みづらい』と言われることもありますが、実は語彙が豊富なだけで、文章自体はわかりやすいんですね。人物や場所の設定、物語の筋の運びなどがきちんとしているので、初心者でも置いていかれることはあまり無いと思います」
▼小説以外で初心者にもおすすめの作品
・<エッセイ>『不道徳教育講座』『反貞女大学』『行動学入門』
初心者向けというとエッセイから入る人も多いです。三島独特のものの見方や考え方に触れられて面白いですよ
・<戯曲>『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』『朱雀家の滅亡』
戯曲はお芝居の台本なので、読み慣れない人が読むと普通は取っつきづらいものですが……三島の戯曲は楽しく読めるのでおすすめです
「ほんとに多才な人だったんだなぁ……ちなみに佐藤さんが個人的におもしろいと思う作品は何でしょう?」
「『真夏の死』『海と夕焼』『百万円煎餅』『剣』といった短編は、作品の中に”謎”があっておもしろいですね。例えば『剣』は、大学の剣道部の合宿の話なのですが、最後の一行で衝撃的なことが起こるんですね」
「しょ、衝撃的なこと!?」
「あのラストは……三島にとっては極めて大事な何かが包まれているのでしょうけど、おそらく多くの読者には理解しがたいんじゃないかな。けれど、深いところに突き落とされるような衝撃や読後感を味わうだけでも、読む価値はあると思います」
▼三島の人柄エピソードその1:自分のスチール写真
五社英雄監督の映画「人斬り」に、三島は俳優として出演した。立ち回りの撮影では、夫人や友人を京都の撮影所まで呼んで見学させ、監督からOKが出ても、もう一回やらせてくれと言った。そのスチール写真を三島は100枚も注文した。
京都から引き上げるとき、仲代達矢、勝新太郎、五社英雄が名古屋で降り、窓の外から三島に挨拶しようと近寄ると、三島はカバンからスチール写真を取り出し、うっとりと眺めていた。
作家としてのすごいところ
「佐藤さんが考える“作家としての三島のすごさ”は、どんなところですか?」
「あらゆることを言葉で表現できるところではないでしょうか。私が編集した『三島由紀夫スポーツ論集』では、1964年の東京オリンピックでの競技内容や選手の身体の動きなどを、見事に言葉で表現しています」
三島由紀夫スポーツ論集 (岩波文庫 緑 219-3)
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「例えば体操の床運動は『大きなハサミでジョキジョキ布を切っていくように回転をする』と表現したり、100メートル走を『空間の壁抜けをやってのけた』と評したり。比喩の使い方が抜群にうまい。崇高なものでも卑俗なものでも、あらゆることを言語化できる人なんです」
「ものすごい表現力! ライターとして勉強になります」
「あと三島は取材力もすごいんですよね。『美しい星』というSF作品の中で、埼玉県飯能の山に夜中に登って、明け方にUFOから通信を受け取る場面があります。三島も実際に夜中から山に登り、そこで見た情景を『山の上の茶店のトタンが、風が吹いてパタパタ鳴った』という風に、小説で書いています。現地で見聞きしたこと、感じたことを創作ノートに記録して、物語にリアリティを出しているんですね」
「そのたった一文、行ってみなければ感じない細部が、作品にリアリティを出しているのか……それにしても夜中に登山って少々危険ですね。ひとりで登ったんでしょうか?」
「そのときは編集者と一緒だったようですよ。実は三島はUFOに興味があって、『日本空飛ぶ円盤研究会』の会員でもあったんです」
「UFOに興味があって『日本空飛ぶ円盤研究会』の会員だった!? 今日イチ驚いたかも!!」
※日本空飛ぶ円盤研究会=日本最初の空飛ぶ円盤・UFOの研究団体。最盛期には約1,000名を超える会員を擁し、三島由紀夫の他に石原慎太郎、星新一なども会員だった
▼三島の人柄エピソードその2:大臣の演説草稿
大蔵省に入った三島。その時すでに小説家として売れ出していたため、「文章が上手い奴が入省した」と評判になり、大臣の演説草稿を書くよう命じられた。が、「華やかな席で、私のようなハゲ頭が演説して、誠に艶消しでありますが~」といった調子で書いたら、上司に赤鉛筆でバッサリと削られた。
三島由紀夫ってどういう人?
「三島由紀夫といえば、ボディービルで肉体を鍛え上げたこともよく知られています。なぜそのようなことを始めたのでしょう?」
「少年時代の三島は虚弱児で、あだ名は『アオ白』でした。戦時中の1945年、20歳だった三島は召集令状を受けたのですが、入隊検査で『肺浸潤』と診断されて帰されてしまいます。実際はただの風邪で誤診だったのですが。当時の風潮からすると、三島は男子として失格と通告されたようなものだったのです」
「鍛えた体のイメージしかなかったので、虚弱だったというのは意外でした」
「国に貢献できなかった無念さや、男子として認められなかった恥ずかしさから、肉体的なコンプレックスが加速したと推察できます。その思いが30歳で表層化し、ボディービルを始めたのではないでしょうか」
「ムキムキの三島の写真を見て、正直、ナルシストな人なのかな?と想像していたのですが、根底にはコンプレックスがあったと」
「ナルシスト的な気質があったのは確かだと思いますよ(笑)。例えば三島の書斎はドアが大きな鏡になってまして、原稿を書きながらいつでも自分の姿を見られるようになってました」
「あっ! 三島由紀夫文学館に、三島の書斎を再現した一角がありましたが……確かにドアが大きな鏡になってました!」
「他にも、例えば服装にすごく凝ってて。テーラーのホソノとか銀座テーラーといった大変高級な店で、フルオーダーメイドのスーツをよく作っていたそうです」
ホソノ=明治創業。古くから政財界の大物や、映画関係者の間で親しまれてきた/銀座テーラー=1935年創業の高級オーダースーツの老舗。創業から世界中のVIPに愛されてきた
「老舗テーラーのフルオーダーというと、お値段も相当なんでしょうね」
「三島作品をたくさん手掛けていた映画プロデューサーが、三島からホソノで背広のオーダーメイドをプレゼントされたそうです。それが100万円だったと聞きましたね」
「ひゃ、100万のスーツ!? しかもプレゼントで100万円ということは、本人はもっと高額なスーツを着てたんでしょうね。三島はそんなにたくさん稼いでいたのでしょうか?」
「かなり売れっ子でしたし、1950~60年代はあちこちの出版社から文学全集が出ていたので、新しい作品を書かなくても所得を得られていたと思います。生活は相当豊かだったのではないかな」
「ということは、普段の食事も贅沢をしていた?」
「確かに一流の店によく行っていたようです。ただ三島の両親は回想で『味音痴だった』『高ければ美味しいと思っている』と言っていますね」
「ご両親、辛辣なことを言いますね(笑)」
「三島は食べ盛りの時期に戦争・敗戦を経験しているので、ろくなものを食べられなかった。というか、あの世代の人々は、環境的に舌が肥えていないのが普通だったのでは」
「人間としての三島由紀夫についてもうひとつ、聞きにくいことを質問してもいいでしょうか。三島は33歳で結婚し、お子さんも授かっていますが……自伝的小説『仮面の告白』などで同性愛傾向があることを公言しています。夫婦生活はうまくいっていたのでしょうか?」
「30歳近くまで、三島の性愛の対象は男性でしたが、ある女性と交際し性的関係をもちます。奥様との仲は良く、うまくいっていたのだと思います。現在と違って、性的マイノリティが認められづらかった当時から、三島は多様性を体現していたのでしょうね」
「なるほど。しかし聞けば聞くほど三島由紀夫がどういう人物だったのかわからなくなりますね。幼い頃は虚弱で、戦争にも行けず、ボディビルで体を鍛えて、ナルシストで同性愛者で……」
「そうですね。それらの性質は作品にも影響を与えていると思われますが……そのせいなのかどうか、三島の作品を読んで、『あるある』『わかる』と“共感”する人はあまりいないかもしれません」
「確かに……共感どころか、作中人物の行動や考え方が理解できないと思うこともありました。例えば『金閣寺』で主人公が辛さや苦しみを抱えていたのはわかるのですが、だからといって火を付けるのは『なぜ???』と」
「私は必ずしも作品に“共感”する必要はないと考えています。三島作品は『自分とは違う人の生き方』と踏まえたうえで読んだ方が良い。彼の作品を通じて、自分とは違う人の生き方、考え方、感じ方に触れ、人間認識の幅が広がれば、良い読書をしたと言えるのではないでしょうか」
「無理に理解や共感をしようせず、こういう人もいるんだと感じるだけで良いってことですか。しかしそうなると、三島本人は誰からも理解されず孤独だったのかな……」
「そうですね。人間としての三島自身も、その作品も、本当の意味で理解されづらかった。孤独を抱えていたと思います」
「三島自身も『誰にも理解されなくてもいい』と考えていた、なんてことは……?」
「『どっちみち本当の自分は誰にもわからない』という気持ちは常にあったでしょうね。でも仲間は欲しかったから、楯の会を結成したりしたのかなと」
▼三島の人柄エピソードその3:ボクシング
ボクシングを習い始めた三島。初めてスパーリングをすることになり、その勇姿を見せるため作家・石原慎太郎を呼んだ。しかし三島のパンチはいっこうに当たらない。息を切らしながらコーナーに帰った三島に、石原が「ストレートばかり出しても当たらない、フックを出しゃ当たるのに」と言ったところ、三島は凜とした声で「フックはまだ習っていない」と言った。
なぜ割腹自殺したのか?
「三島由紀夫は晩年、いわゆる『保守』『右翼』と呼ばれる思想で、政治活動にのめり込んでいきましたよね」
「そうですね。その果てに割腹自殺という最期へ向かってしまいました」
「一体なぜそんなことに……」
三島事件
1970年11月25日、「楯の会」会員4人と東京・市ヶ谷の陸上自衛隊総監室を訪れ、益田兼利総監を人質に立てこもる。突入してきた自衛隊員と、隠し持っていた日本刀で乱闘し、負傷者も出る事態に。その後、三島はバルコニー下に集まった隊員たちに演説をし、クーデーターを呼び掛けるも聞き入れられず、総監室に戻り割腹自殺した。
「三島の政治思想は、『自衛隊を正規の軍隊として認めるべき』というのが主な主張です。例の事件でも、三島は『憲法改正のために共に立とう』と呼びかけたけれど、自衛隊員にヤジり倒されてしまったのです」
「命を懸けて突入し、演説を行ったのに、誰も付いてきてくれなかったと。ただ計画の段階から最後は切腹すると決めていたんですよね?」
「はい。私は、もともと三島には『身を挺して悲劇的な英雄になる』という願望があったのではないかと考えています」
「身を挺して悲劇的な英雄に……確かに、これまで聞いてきた人物像となんとなく重なるところがありますね」
「三島が11歳のとき、二・二六事件というのがありました。これは陸軍の青年将校らなど1500人近くが蜂起したクーデターですね。結果は失敗に終わったのですが、三島はあの事件に影響を受け、同じ結末を迎えることに憧れていたのではないかと」
「なるほど。それにしても、切腹という手段は想像しただけで痛そうです。なぜわざわざそんな方法を選んだのでしょうか」
「いや、世の中には切腹の愛好者が一定数いるんです。三島も明らかに愛好者だと思います」
「切腹の……え??? 愛好者!?? それは一体……?」
「愛好者にとって切腹は、性行為に近い快楽らしいんです。彼らはさまざまなシチュエーションで切腹ごっこをするそうで……例えば殿様に命じられて切腹する武士、嵐で無人島に漂流し絶望して切腹する船乗りといった具合ですね。愛好者にとって、実際に切腹で死ぬことは究極の満足体験だそうで。三島はそこに到達したかったのではないかと考えられます」
「世の中広い……」
「三島の『憂国』という作品に切腹の場面があるのですが、執筆の際、医者や切腹の研究者などから話を聞いたり、調べたりしていたそうです。また、切腹には介錯(※苦痛を軽減するため、首を切り落とす人)が必要なので、楯の会の学生に居合を学ばせていました。三島事件の前も、ホテルの一室で、総監を縛り上げる練習や切腹の練習をしていたそうです」
「三島という人物がさらにわからなくなってきました……一方で、館長のお話を色々と聞かせてもらった今、三島の本を手に取ると何倍も面白く読めそうです。今日は貴重なお話をありがとうございました!」
「はい。激動の人生を生き、死してなお人々に影響を与え続ける不世出の作家、三島由紀夫。少しでも興味を持った方は、ぜひ三島由紀夫文学館にも遊びに来てくださいね」
▼三島の人柄エピソードその4:三島を知らない剣道師範
警察署で剣道の師範をしている人に、三島が入門を願い出た。三島のことを知らなかった師範は、「君は何をやっていた人だね」と聞いたが、笑って答えない。ビールを飲もうと誘っても、あまり飲めないという。「剣道もヘタクソだし、酒も飲めん、屁もたれんようなのは弟子にしないぞ」と言うと、ようやくビールに手を付けた。後にその男が作家の三島由紀夫と知った師範は謝ったが、三島は「特別扱いされなかったのが嬉しかった」と言ったという。
イラスト:ギャラクシー
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この記事を書いたライター
ルポルタージュを主に執筆。新宿ゴールデン街の文壇バー「月に吠える」店主でもある。著書「究極の愛について語るときに僕たちの語ること」「フリーライターとして稼いでいく方法、教えます。」。本とお酒とデスマッチ観戦が好き。Mail:info@moonbark.net