「ママサン、ダイジョウビ」21歳アメリカ人男性が日本人主婦(46)を後ろから…国際問題に発展した“世紀の事件”のゆくえ
戦後の日米関係を考えるとき、少なくとも防衛・安保の面では、日本がアメリカに対して従属関係にあることは間違いないだろう。それが「同盟国」の実体であり、その象徴が沖縄を筆頭にした在日米軍基地だ。国土への重圧は、最近も起きている米兵の日本人女性暴行事件などを引き金に、住民の怒りとなって爆発する。 【画像】21歳米兵・ジラードと、殺された日本人主婦の写真 そのピークが1957(昭和32)年1月の「ジラード事件」だった。群馬県の演習場で21歳のアメリカ兵が、弾拾いに入り込んでいた46歳の農家の主婦を「ママサン、ダイジョウビ」とおびき寄せたうえ、後ろから撃ち殺した。国際問題に発展したこの事件は、どのような結末を迎えたのか。 当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の1回目/ つづき を読む) ◇◇◇
「泣き寝入りしか仕方がない」
事件の約2週間前、1957年1月18日の群馬県の地元紙・上毛新聞朝刊に次の見出しの記事が載った。「桃井村米軍演習場で事故が続發(発) 砲彈(弾)の破片で卽(即)死」。 17日に同県北群馬郡桃井村の32歳の男性が兄らと薪拾いの作業中、「飛んできた砲弾が頭上で炸裂。破片が背中から心臓を突き抜け即死した」。記事はこう述べ、次のように続く。 〈 被害者は演習場内でも特に危険な所に入っていた。演習のある日は絶対に立ち入り禁止になっている場所である。禁止区域の周囲には赤旗による表示があり、演習日には事前に各戸に連絡を行うなど、できるだけの措置をとっていながら、なお砲弾拾いの人たちがたくさんもぐりこんでいる。〉 この時は薪拾いだったが、普段いかに弾拾いが多いかがうかがえる。上毛は同日付夕刊社会面トップで「命をカケて“彈丸拾い”」の記事を掲載。「演習日には100人以上の人たちが立ち入り禁止区域の演習場で弾拾いをする」と実態を書いた。命を張って弾丸を拾う人たちは零細農、引揚者らで、警察がいくら警告しても効き目がなく、社会問題となっていたという。 そんな中で事件は起きる。ただ、1月31日付朝刊の第1報は上毛だけで、それも社会面4段という比較的おとなしい扱いだった。
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