問われる日枝氏の責任
港社長は二回目の記者会見で、自らの誕生会をはじめ社内の会食に女性アナを参加させていたことを認め、「今となっては気の進まない人もいたと思う」と反省の弁を述べるしかなかった。
一方、中居氏を調査することなく番組起用を続けたことについては「女性のプライバシー保護を最優先した」「誰にも知られず仕事に復帰したいという女性の意思を尊重した」と繰り返し、女性を盾に自らの性被害もみ消しを正当化する姿勢を示し続けた。
これではフジテレビの再生はありえない。
疑惑のフェーズは明らかに変わった。最も問われているのは、フジテレビの人権軽視の企業風土であり、隠蔽体質であり、ガバナンスの崩壊である。
そのような企業風土を体現してきた人物を重用して社長に引き上げ、企業ガバナンスを崩壊させた最大の責任は、「独裁者」として40年も君臨してきた日枝氏にある。日枝氏が経営責任が問われて引退し独裁体制が終焉しない限り、フジの闇は消えず、信頼回復はありえない。
視聴率を最優先する社風
日枝氏はなぜ、ここまで権勢を誇るに至ったのか。
日枝氏は1961年にフジテレビに入社し、当初は報道畑を歩んだ。労働組合を結成したことで報道から外され、一時は閑職に追いやられていたという。しかしオーナー族の鹿内春雄氏に抜擢され、80年に42歳で編成局長に就任。「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに掲げ、82~93年に12年連続でフジの視聴率三冠王を達成した。
88年に春雄氏が他界すると社長に就任し、春雄氏の後継だった婿養子の宏明氏を追放して社内を掌握。2001年に会長となり、05年にはライブドアを率いるの堀江貴文氏のフジテレビ買収を阻止して権力基盤を固めた。04~10年にも視聴率三冠王を達成し、視聴率を最重視する社風を築き上げたのである。
中居氏の性加害疑惑をもみ消した当時の港社長や大多亮専務はいずれも日枝独裁体制のもとで出世を重ねた。港社長は「おニャン子ブーム」を仕掛け、とんねるずと親密な関係を築いてバラエティ部門をフジの中核に押し上げた。
大多専務は「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」を手掛けてトレンディードラマを確立した。港社長の後継に指名された清水賢治氏は「ちびまる子ちゃん」「ドラゴンボール」などアニメ部門をリードした。いずれも視聴率を最優先する日枝独裁体制のもとで引き上げられたのである。

