一部のオタク非難者によるオタクへの報道被害-加害関係の認知のゆがみについて
追記:ブコメへの反応で次のエントリを作りました
■「被害者意識をふくれあがらせている」という紋切り型
オタクが被害者意識だけ膨れ上がらせてるとかまことしやかに言う人が多いのだが、そりゃそうだろ、加害に全く関わってないのになんで加害者意識持たなきゃなんねえんだよ。 というか、被害者意識を自制すべきだという考え方って、少しは怖いと思わないのかなあ。振り向け先を少しでも間違うと、というかもう間違ってると思うんだけど、被害を訴える声への圧殺に容易に結びつくぞそれ。
「被害者意識が認知を曇らせて被害-加害関係を正しく認知できずに被害者叩きをしてしまうんだ」っつー話をしてるんだけども。
オタクの「被害者意識」は報道被害に対する被害者意識であり、この事件の被害-加害関係は誘拐監禁事件に関するものである。なんの関係もない。なぜ関係もないものを結びつけてまで報道被害に憤るオタクを抑圧したがるのか。こういうのを詐術や詭弁という。 どうしてA氏が受けた報道被害に抱いた被害者意識が別に関係もないB氏監禁事件における被害-加害関係への認知を曇らせるのか、論理的に説明できるのか? 無理だよな?
容疑者(とされている)人を擁護する意見、被害者を非難する意見が散見されること自体は事実だ。オタクの中にそういうことを言っている人もいるのも事実だ。だが、それによってオタクが不当な報道によって受けた報道被害が免罪されることもないし、我々が抱く被害者意識の正当性が揺らぐこともない。当たり前の話だ。我々は報道機関に対しては100%の被害者なのだ。 犯罪に関わってないのにメディアに非難されたら100%被害者でしかないし、100%被害者意識だけをふくれあがらせて大いに反発すべき。ありもしない加害者性を鳴らす難癖にしおらしく反省の態度を示して事が好転したことなど、M事件後のオタクバッシングをまともに受けた当事者として言うよ。 一 度 も 無 い 。絶対にそんなことはない。奴らは頭を下げれば下げた分だけ踏みつけやすくなったとさらに攻撃してくる連中なんだ。 フェミはめんどうだと思われてるから配慮されてるけど、オタクはあまり面倒だと思われてないから配慮のない表現がまかり通ってんだよ? 報道メディアは、オタクなど恐るるに足らぬと思ってるんだよ。つまり、むしろオタクに足りないのは被害者意識なのだ。世間の偏見蔑視に慣らされすぎて、黙ってやり過ごすしかないんだと調教されきってる、声を上げる仲間の頭を自分と同じに押さえつけることが正しいと思い込まされてる人が多いんだ。 もちろん、現場で偉い人に話をしにいく時には、めんどくさそうな被害者的身振りを抑えて振る舞わなきゃならんこともあると思うよ。でもそういうのはそういう仕事する人がそうすればいいんであって、その背景には、こういうときに本気で頑迷に脇目を振らず物分かりよくもなくめんどくさく反発する声がないといかんのだ。めんどくさくないと圧力にならん。フェミのめんどくささを、(こういうと右側の方々に反発があるのだがそれでも俺の意見として言うが)、その点では見習わなくちゃいかん。オタクは圧力団体として機能していないからこんなにも負けているのだ。
■あの忌まわしきM事件について
宮崎事件以降のオタクバッシングの影響なんだと思うが、被害者意識だけを異様に膨れ上がらせてる人はパラパラいるよなー、と。特に女性が絡む場合は無理やり「オタク無害」を主張する向きが強くなりすぎて実際にオタクが加害者であってもそれを無視して被害者を叩く風潮が強い印象があります。
M事件の頃よりは随分世の中マシになって、オタクが堂々と声をあげられるようになって、その安心感にあぐらをかいてこそオタクは生意気になったから自制しろとか言い出す逆張りオタクも息ができるわけで、ただの逆張りなんだよそんなのは。M事件当時の人間がこういう事件に強く反応するのをそろそろ疎ましく感じておられる御仁も多いようだが、あの時代を体験した人間には当然なんだよ。まるで反発出来なかった頃のことを肌身に染みて知っているからだ。M事件ショックで、世間のそしてメディアからの強烈な蔑視偏見の目にさらされるようになったオタクが、そこに反発してきっちり自分たちのメディアから反論できるようになるまでには、結構掛かったように思うんだわ。その空白期間、どんだけ恐ろしかったか辛かったか怖かったか。 M事件の頃にインターネットがあったなら、どれだけよかっただろう、と思うよ。俺達はアイデンティティクライシスからの、少なくとも当時よりははるかにマシな避難所を作れたはずだし、いくつかのコンテンツジャンルの受けるダメージももう少し小さく済んだはず。報道の検証ももっと早く進んだだろう。
「被害者意識をふくれあがらせている」という紋切り型に正しく反抗する方法、この手のインチキを蹴散らすやり方を身につけよう。そもそも被害者でしかないのだから被害者意識だけを持つのは当然だ。このレトリックを批判として受け入れるのはつまり、加害者性を認めるのと同じだ。あんたは一ミリでも加害者か? 暗黙にそう言われてるんだぞ? そのへんのおっちゃんおばちゃんや千葉大生に責任を問うた時に、心外だ訳わからん難癖付けるなと(本当に寝耳に水で疑われることにも慣れてない普通の庶民であればこそ多分俺達よりも何倍も)大いに鬱陶しく「被害者意識膨れ上がらせ」るであろう程度には、俺らも膨れ上がらせていいんだ。馬鹿のレトリックにだまされるな。 こういう事件の際にM事件世代を疎ましがる意見が最近本当に増えている。まあ、世代交代は仕方ないとは思う。でももう一度書くが、直撃世代だからこそ、世間の言うがままにさせておいたらどこまでひどいことになるか、めんどくさい奴と思わせるために少しでも大きな声出さなきゃならんと「知ってる」のだ。知った口聞いて大人しく不当な非難を受け入れて事が解決したことなど 一 度 も な い のだ。 人が自分への偏見に特に強く反応するのは当たり前です。利害当事者なんだから。別にわがままではありません。
■推定無罪、報道被害
犯罪報道に対して(それが保守道徳であれフェミニズムであれ)素朴に倫理的に望ましい反応として、容疑者と報道されている人への怒りをあらわにする行為は、共感は受けやすいが、社会的には本来望ましくない。その素朴さに開き直るのはよくないな。
被害者の言うことは最大限信じよう。そして、「加害者の言うことも最大限信じよう」。裁判が終わるまでは判断は宙ぶらりんにしよう。これが一番政治的に正しい(か少なくとも無難な)態度なわけだが、とても難しく、特に後者がすっ飛ぶ人がフェミに多いのだ。
大体これ、見つかったの数日前でしょ。そんな何もかも断定的に決めつけて語れる根拠なんて俺らにあるわけねえじゃん。被害者を疑うのと同じくらい、加害者とされる人の犯行と決めつけるのはダメなことだよ。でも、オタクは疑われたくなければ後者の立場を取れと強く主張する人がいるのだ。
この男に対して擁護的な態度を取ることをオタク属性に絡めて非難している人がいるんだよなあ。そもそも、報道で加害者とされている人を擁護したり容疑を疑う意見を封殺してはいかんのだ。松本サリン事件の派手な報道被害を知っているか? 犯人じゃないかもしれない、と考える余地を常に我々は残しておかなきゃいかんのだ本当は。被害者を疑えと言ってるのではなく、両立しなきゃならん。難しい考え方だが。
リベラルやらフェミやらの人の中には、性的な要素がある事件の際にこの原則が頭から綺麗に吹っ飛んじゃう人が割といるんだよね。困ったことに。
裁くのはマスコミでも俺達でも警察でもなく、裁判所だからね。誘拐だという見解に疑義を挟むのは許されない、みたいなのも人権上の問題があるんだからね。もう一度書くが、正しくありたければ判決が確定するまでは宙ぶらりんにしておくしかない。
■マスコミの報道姿勢
世間一般と違ってキモオタはネットで差別的な言説を吐き散らしている、と考える人は、まともに週刊誌も読んだことがない人なので、その意識の高さをコンビニの入り口付近の棚にあるムック本やゴシップ週刊誌に向けてみなさい。口が裂けてもそんなこと言えなくなるよ。
「宅急便を届けに行くといつも可愛い彼女が笑顔で応対してくれました」とか「叫べば必ず誰かに聞こえたと思います」とかいう情報を特に注釈なく流しちゃうメディアにまず問題があるんだろ。知識が無きゃ(オタクでも一般のその辺のおっさんおばはんでも)「誘拐ではなく純愛」などという思い込みをする人もそら現れるわ。
そもそも、逃げなかったのはなぜか、っていう類の報道はこれが初めてではなく、もう何十年も前から、特に女性の監禁事件ではしばしばそういう報道がされてきたのだ。現代のオタクが特にどうこうという話ではなく、世間一般がそういうもんなのだ。残念ながら。誘拐監禁事件の被害者心理についての人々の知識はそう深くない。マスコミがオタク殴りながら、同時に暗黙に被害者の被害性を疑うような報道をするのは、世間の望む情報がそれだからだ。世間がゲスなんだ。オタクがどうこう言う前に。
そもそも、貴方たちが思うほどにオタク以外のメディアや報道が意識が高いのなら、こういうときにまずストックホルム症候群や学習性無力感に関する啓蒙をすべきなのだ。そういう言及が記事内にあってしかるべきなのだ。識者やコメンテーターに喋らせれば済むこと。お茶の間の普通の人に知識を届けることが出来るはず。それをサボってるのはまず報道で、被害者非難はその記事への反応として現れているのだ。フィクションと違って、報道はまず真実というフレームで配信されているからね。影響力は段違いだ。
■被害者非難の火元はオタクだろうか?
例の事件を純愛だのどうだの言ってるネタ元って別にこれ、オタクサイトじゃないんじゃないか。普通の三文ライターが書きそうな低俗記事だよ。オタクのせいにすんなよ(そりゃ影響される無知なオタクは、影響される無知な一般のおっさんおばはんと同程度にはいるだろうけどさ)
俺のTLにはいないが、そんなことを言ってるオタクがいるという風に叩いてる人ばかりが多いので、検索して探してみようと思って見つかったのがどう見ても別にオタクサイトじゃない低俗ニュースサイトでなあ。
大半が芸能ゴシップで、あとは事件や事故関係のゴシップやAVの記事で、ゲームやアニメの話題全然ねえじゃん。
(この芸能ニュースサイトのURLを張らない理由は、YouTuberの記事が一個紛れてて、それが俺も楽しく見てる人のプライベートなスキャンダル記事だからだ。ああいう人気者の別に犯罪でもないスキャンダルのスクープをあんまり流布したくないので)
ネットの低俗芸能ゴシップ記事はたいそう人気のようだが(イシキタカイ系のリテラでさえメインはそっちのように見えるのだよねえw)、それはオタク発じゃないからな。芸能界なんて二次元オタクはあんまり興味ないだろ。俺は99より新しい世代の芸人全然知らないぞ。有野さんは知ってるけど。
近年、その辺の別にオタク狙いでもないオッサン向けの風俗店でさえWEBサイトくらい持ってて当たり前になってるので、インターネット=オタクの遊び場、という認識は改めたほうがいいと思う。ネットの半分はDQNやヤンキーや一般のオッサンオバハンのものですよ。
で、実際にどんな報道がされてるかと言えばこんなんなんだよな。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160328-00000002-jct-soci この記事(オタクサイトじゃないよねこれ)が読者に対し合意の元の同棲と疑わせるよう仕掛けている思わせぶりと、 http://daily-news.jp/2016/03/27/asaka-of-the-girl-or-had-been-imprisoned-for-two-years-in-nakano-ku/ この記事(これもオタクサイトではないだろう)がオタク蔑視秋葉原蔑視を誘導する思わせぶりは、だいたい同じ手法で実現されてると俺は思うんだよな。フェミとリベ左派のみなさんよ、あんたが戦うべき被害者非難と同じ方法で、オタクは報道被害を受けているのだ。
まあ「純愛」という単語の気持ち悪さみたいなのは分かるけどな。オタクのギャルゲーで(本来の意味とは多分だいぶズレた意味で)よく使われる単語ではあるのだが。でも、ここで純愛という単語を選んだのは芸能ゴシップ関係のライターだから、これはそういう文脈だろ。芸能ニュースでも使われる語だと思うけどね。 そもそも、純愛がどうたらの言説が流布された責任をオタクに集約する文脈は、どこから誰が作り出したのかな? 今回の本丸は多分そこだよ。
■彼はオタクか?
この容疑者がオタクであるという根拠となる報道を探しているのだが、今のところ「秋葉原に行く」と「涼宮ハルヒの憂鬱を見ていた」だけか? 海外で飛行機乗り回すFaceBookにグラサン写真載っけてかっこつけるリア充が、それだけでオタク扱いなの? さすがにもうちょっと掘り下げないと根拠薄弱じゃねえの?
今の20代なら、アニメ見たことないなんて奴はさすがにいないだろ。深夜アニメだって見たことくらいあるだろ。情報系ならアニメの一つや二つ見ててもおかしくないだろ、回りで見てる奴多そうだし。20代でアニメを見たらオタクか。どんだけ文化的に貧困なんだよ。
マスコミはとりあえず犯人をオタクだということにしてしまおうとする強いバイアスを持っている。代表的な例が「フィギュア萌え族」だ。ああいうのがなんのお咎めも反省もせずにむしろオタクを逆恨みして一層攻撃的にジャーナリスト面してられるのが、リベだのフェミだのが言うところの「オタクが被害者意識をふくれあがらせた」現状なんだよ。
■女子高生アニメって何?
そもそも女子高生アニメとは何か。涼宮ハルヒの憂鬱が女子高生アニメになる基準において、BL以外の学園ものラブコメで女子高生ものにならないものってあるのか? 例えばこないだ映画化した「俺物語」なんかは、ハルヒが女子高生ものであるならこれも女子高生ものだとしか言えないと思うのだが、これを20代が見に行ったり、それでハマって全巻買っちゃったりしたらなんかおかしいのか、という。
報道メディアにおいては高校を卒業したら学園ものラブコメは読まなくなる、というのが常識なんだろうか? 学園もののターゲット層えらく狭く認識されてねえ? 学園もの漫画原作の(実写にしろアニメにしろ)映画なんか一杯あるだろうに、それを20代が見に行ってないとでも思ってんのか。
■啓蒙のあり方
オタクは一般人の部分集合である。これはオタクのマイノリティ性を否定しているのではなく、黒人や女性が一般人の部分集合である程度に部分集合なのである。だから、一般人の差別性をオタクも時に引き継ぐ。黒人や女性が時に引き継ぐのと同様に。
この事件に関する世間の反応についていうなら、残念ながら、世間一般の認識のレベルがそうなんだ。オタクにそういうことを言う人がいるのは、世間一般の認識レベルのただの反映でしかない。
監禁事件においてはしばしばそういう直感的に納得できないことが起こるもので、学術的にもそのように研究されている、というのを知ってるか知らないかの話でしかないのだから、普通に教えればいいのだ。それを非難する際についでに足を踏むようにオタク趣味をなじっていくその馬 鹿 な や り 方 を 今 す ぐ や め ろ 。正しい知識を広げるのに 邪 魔 だ。
こんなことも分からないのか、これだから予習もしないで放課後にサッカーばかりやってる馬鹿ガキはダメなんだ、とか言われながら学校の授業をやって成果があがると思うか? 「啓蒙」の精神とはあまりにもほど遠い態度だ。監禁事件の被害者心理なんてのは、まだ啓蒙しないといけないレベルのものだぞ。
必要なのは相手の趣味にかこつけた当てこすりでも、逆に事件にかこつけた趣味殴りでもなく、そもそも詰りののしることでもなく、冷静に「教える」ことだ。親や祖父母や親戚がそういう無理解なこと言ってても、君らはそんな風に角立てて口汚くののしるのかい? 普通に穏やかに資料を提示して説得するだろ?
ストックホルム症候群とか学習性無力感とか、誰でも知ってる単語ではないし、家族を殺すと脅されるとたとえ大人が合理的に考えて難しそうでも冷静さを失った人や子供は逃げられなくなる、というのも、誰でも思い至れることではない。犯罪被害者心理はそこまで一般には理解されてないよ。
■オタクの良心的内部批判について
オタクの安全弁や内部批判のつもりでこういうときに努めてオタク批判をやろうとする人、多分本人は社会に対してもオタクに対しても良心的なつもりなんだと思うし、その良心性を真っ向叩くつもりはないんだけど、今やまさにそれが外部の薄っぺらな偏見の呼び水になっているという救われない現状。
そういう人自体を悪くは思わない(が批判はする)。こういう流れに最初に火を付けた奴のやり口が気に入らない。誇張や誘導に満ちてるしな。それに騙されちゃった人もまたある意味で被害者なのだ。加害者意識を植え付けられた被害者。 俺も昔はそうだった。オタクの内部批判をやろうとしてたよ。でも、そういうのを上っ面だけ拾ってオタク固有の問題であるかのように誇張し叩きの材料だけに使う輩がはびこるのを見て、やめたんだ。外部から不当な非難が矢のように降ってくる状況で、オタクの内輪でやる必要なんかないんだよ。
■オタクに問題を集約したがる人について
なんだかなぁ。アニメアイコン以外にもdisってる人はいるんじゃね?という考えで検索してみた結果がこれだよ。確かに居たよ、アニメアイコン以外でも。でも彼らは特定のスラングを使ってなかった。総数で比率がどうなるのかはちょっとわからん。数える気にならんし。とにかく傾向があるのは判った。
https://twitter.com/CookDrake/status/714838066603565056
ここまでの検索で、まとめコメント欄を読み疑問に思った「家出と決めつけてdisってるのはアニメアイコンだけなのか?」の回答は今のところ「JCやビッチというスラング付きでdisってるのはほぼアニメアイコンのみ」「女子中学生と表記して疑念を呈する人には写真アイコンが多い」という結果に。
え、スラングの使用が問題なの? そもそもの報道姿勢ではなく? そりゃあ問題をオタク文化のスラングに集約してれば引っかかるのはオタクのツイートばかりだわ。JCやビッチっていうスラングが嫌いなだけじゃないか。 オタクじゃない人は彼女をオタク用語ではない言葉で疑いののしるだけだと思うけどね。
なぜ逃げられそうなのに逃げなかった? という素朴な疑問は(ここで「素朴」はまったく肯定的な用法ではないことに注意)、オタクのねじくれたキモい精神性などを前提せずとも、普通の人が普通に考えればそこに至ってしまう自然で素朴で巷にごくありふれた誤謬であり、だからこそ「学習性無力感」という概念をわざわざ学者が提唱してるわけで、必要なのは知的な啓蒙だよ。 平たく言うと、その辺のおばちゃんでもマイノリティ属性持ちでも、「学習性無力感」みたいな概念を知らずにテレビを見て素朴にそう考えることはありうるということ。別に男性属性やオタク属性のせいじゃない。 巷にありふれた誤謬や無理解を、とりわけオタクや嫌いな政治的信条を持つ人々やある性別の抱える問題のせいだと決めつけて論難するのも、これも誤謬だし差別なんだけど、指摘が難しいから平気でまかり通る。Not All Menという標語は日本では使い方が拡散してそういう拙い方向に行ってるね。
事件報道について政治的に正しい感想を持ち述べるというのは、そもそも結構難しいことなので、オタクにも出来ない人はたくさんいるのだ。一般人がそうである程度にね。一般人がそうである程度の無知と偏見をオタク特有に問題視するのはそれはそれで差別だ。「悪人」相手でも差別は差別。なるほどより複雑で非難が難しい差別だが、それはつまり「巧妙な差別者」なんだ。貴方たちは。 そもそもの報道機関が悪いに決まってんだよ。日本の報道機関は自殺報道に関するWHOの勧告もまともに聞いちゃいないし、誘拐事件に関する心理学的知見に基づく配慮なんかしねえわな。世間の偏見に阿った方が視聴率取れるんだもの。 オタクの反応もまた一次情報である報道に強く影響されている、ってのを無視されてもな。ネットの文字情報の段階で、逃げなかったのはなぜかみたいな疑問を提示する方向のものがある。メディア間での報道姿勢に関する相互批判あるいは自社における内部批判さえまともにやってない状況で問題をオタクに集約する正当性があるとは思えんのだよね。 そういう問題をオタクに集約させたがる人は、世間一般の、そして世間一般に阿る低俗マスコミのレベルを高く見積もりすぎだし、高く見積もりたいという心理がオタクに問題を集約しようという(心理学で言う意味の)合理化で解決されるのであれば、それはスケープゴートであり差別だ。 普通の一般人は普通に物を知らず時代遅れの偏見に基づいて考え発言し投票する。それを誰かのせいにしたいから、物を知らず時代遅れの偏見に染まった世間一般の部分集合でしかない、特定の嫌いな趣味や文化や思想信条に問題を集約して叩くのだ。人権擁護の皮を被った実に巧妙で現代的な差別のあり方だ。 もう、都合の悪い現実と崇高な理想や理念とのギャップの埋め合わせにオタクを叩くのはやめてほしいのだ。せめて現実に基づいて叩いてくれんか。 「学習性無力感」「ストックホルム症候群」という単語を知らない人はこれを機会にぐぐってみよう。こういうものがあると知っておいて欲しい。ある種の共感が監禁によって芽生えるということは現象としてはあるので、そんなことあると思ってるのか男どもめ、という一部のフェミさんの反応はあまり適切ではない。ストックホルム症候群と呼ばれるような共感や好意は、社会において認められるべき愛の形ではない、というのが正しい。
■多分あいつら、確信犯なんじゃないかなあ、と疑っている。
色々書いたが、もしかしたら無駄かもなと。奴らは自分らのやってるのが差別だと分かっててやってるのではないか。だからそう指摘されても平気の平左で同じ事をしつこく十年以上も続けているのだ。実に現代的な差別者。大目的としてのフェミニズムの皮さえかぶせれば、ミクロな偏見や差別は正当化されるし実際に正当だと彼らは「確信」している。だから、説得は不可能で、倒す方法を考えるしかないのかもしれないな。
歴史上のたいていの差別者も、そりゃあ、社会防衛とかのその時代においてそれなりに正当な大義名分の元に差別をしていた人が多いだろうに。その旗印が白人優位主義や民族主義の代わりに人権思想とかフェミニズムとかに変わっただけなんだとしたら、悲しい話だねえ。そして厄介な話だねえ。
オタクは世間にどんな偏見で見られてもニコニコ笑って受け入れろ、そうしてれば私たちの糾弾活動に水は差されないし全てまるく収まると。奴らの言ってることを要約するとこれだからな。そんなんやってるから、もうお前らの言うことなど何一つ認めてやるものかという気になるのだ。
■戦いは数だよ
で、こんな記事があった。
若い世代にとってアニメは一般的な趣味といえ、犯罪と結びつけることに違和感を感じる声があるのも仕方がない。
多少引っかかる書き方だが、それでもこういうことを言ってくれるメディアも現れている。あと10年20年もすれば勝つのはきっと俺達だ。残念ながら、物を言うのは数だ。猿回し気取り相手に反省のポーズを取ったからじゃない、自力で売上や影響力によって勝ち取った地位なんだ。捨てちゃいけないよ。頭を上げろ。俺達は加害者じゃない、被害者だ。萎縮するな。