【私の失敗(4)】阿波野秀幸、当たりくじはまさかの近鉄…笑えなかった

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 私のくじは巨人・王貞治監督、大洋・久野修慈球団社長の順に引き、当たりは近鉄・前田泰男球団代表が手にした残りくじ。静まり返った会見場で、私は「1位で指名されて光栄です。よく相談して決めたいと思います」と短く会見を終えました。胴上げもなく、亜大・矢野祐弘総監督と今後のことを話して帰宅。近鉄からは事前に大学へ指名する旨のあいさつがなく、総監督は怒っているなと感じました。

 翌20日の夜、母(恵子さん)が「監督さんがみえたよ」と呼びに来ました。矢野総監督とは前日に話をしていたので何だろうと思っていると、「近鉄の監督さんだよ」と。これも事前に連絡はなく、突然でした。

 岡本伊三美監督から『交渉権確定』の判が押された当たりくじと、「うちは投手が弱いから君が来てくれれば優勝できる」との言葉をいただきましたが、私は入団の意思を明らかにしませんでした。社会人の強豪チームから内定をもらっていたので、進路は矢野総監督の言う通りにしようと決めていたからです。岡本監督についてきた大勢の担当記者が自宅の前で待っていて、帰った後に散らかっていたたばこの吸い殻をほうきでかき集めながら、「これからどうなるのかなあ」と思いました。

 矢野総監督と球団の間でどんなやりとりがあったのか分かりませんが、10日ほどたって、「1軍でバリバリ投げても10年。そのうちの2年間を社会人で費やすのはもったいないから勝負してこい」と背中を押されました。

 1年目は開幕2戦目で先発させてもらい、15勝12敗で新人王。いろいろありましたが、入団してよかったと思っています。

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