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ほぼ街の中央にある噴水広場へ行けば、目的の犬の彫像は簡単に視界に入る。私とオルティオくんは割と息を弾ませていたが、やはり現役世代の勇者は涼しい顔だった。何となく悔しいような気持ちも滲んだが…鍛え方が違うのだから、仕方ない。
取り敢えずそれは置いといて、広場の彫像前へ、である。
「ここで、大丈夫かな…?」
いつぞやの誰かを思い出す濃藍(こいあい)のサラサラヘアー。少年はそれが乗った頭を揺らし、広場に散った人々の姿を心配そうに伺った。てっきり私も彫像前で誰かが待っているんだろうなと思ってしまっていたために、肩透かしをくらった気分である。
「担当の方、遅刻ですかね…?」
不安そうな少年と顔を見合わせ、そんな言葉をポツリと零し。
アリアス・ルート…アリアス・ルート……もしかして、大賢者のアリアスさん?と。ふと思い当たって、お犬さまの彫像に掘られた名前へと目を移し…。
——あっ!?もしかしてこのお犬さま!聖獣パルテウス…!?
と。急にそわそわ、凹凸の少なくなった朧げなプレートへ、指を這わせて“パ”を探す。
——あ〜…うん…まぁ、パルと読めなくはないような…?
ちょうど胸の高さにかかる、彫像のネームプレート。風化によって薄まりつつある大陸文字の凹凸をなぞり、うーん、そうか、なるほどなぁ、と。見上げるお犬さまの体は真っ黒な石で出来ていて。その大きさや瞳に掛かる毛の長さ。あ、なんとなく、パシーヴァに似てる…と、ふと笑みを浮かべた時だ。
「いやいや、お待たせしましたな」
広場に散った群衆の中より来たる、のっそりとした動きを持ったおじいさん。あごひげを撫でながら、貴人方が最初にアリアス・ルートを引かれた参加者方ですか?と。
オルティオくんはその問いに「そうです」と。やや緊張気味に返したら、おじいさんはまたのっそりと、こちらの方に近づいた。
「では次の競技の前に…この街の歴史を少々。あぁ、安心してください。どのルートを引いたチームもこのお話は必須です。リセルティア・フェスタは街を知ってもらう事にも重きを置いていますので、出遅れる事はありません。もしかしたら競技のヒントになりそうな事柄も含まれるかもしれませんので、よぉく聞いておいてくださいね」
と。
彫像前に並んで立って、おじいさんは語り出す。
「その昔、この街が荒廃した時代だった頃…」
遡る事、およそ千と数百年。
全く記録の残らない世界的な大災害で、荒廃していたこの街は…。
それでも余所より人の気配が多めに残る場所だったのか、それに目星をつけたらしい翼持つ魔物によって、日々の糧を奪われるような惨状にあったらしい。
その魔物、無法者や他の魔物の軍勢が襲ってきた時などは、姿を見せて住人を守る事もしたらしいのだが。酷い年には幼い子供を生け贄として要求し、細々となら食いつないでいける程、ぎりぎり丁度の糧を与えて人々を生かすという状態を、朧な記憶で数百年ほど強制していたらしい。
魔物に支配されていた…とは、割と珍しい話ではあるが。その時代、大陸には国と呼ぶには頼りない規模の“町”が点在するだけで、無法者の存在も珍しいものでは無かった。どこに行っても苦しい生活、そんな時勢だったのだ。そこへ不意に現れた大賢者アリアスさんが、その後の時代を大きく変革していく事になるのだが…まぁ、今はリセルティアの話。
強い魔物に囲われて、最低限の生活は保証されているものの、当たり前の幸福が無かったこの街に、ある時ひとりの男が訪れた。言わずもがななアリアスさんだが、はじめ街の人々は風変わりな旅人がやってきたのだと、そんな感覚でいたらしい。その男の物腰は終始穏やかだったが、大型の獣を従えていた事もあり、一瞬、無法者ではないかと疑ったという逸話も残る。普通、彼(か)の大賢人は顔の見えないローブ姿で描かれる事が多いため、そういう誤解もあったのだろう。
アリアスさんは住人の少ない食料を乞うでもなくて、街の困りごとなどに積極的に関わった。後世、大賢者と語られる程なので、この街の住人の困り事など彼には簡単なものだっただろう。水の魔法使いとしても知られる彼は特に水の魔法に長けていたと言われるが、殆どの魔法が後退していた時代、まさに奇跡の申し子のような状態だった。
そうして彼らの信頼を得た彼は、過去、権力を持っていただろう人物が住んだと思われる街一番の屋敷へと、入る許可を願い出た。しかし、住人は押し黙る。既に何百年間も廃墟のような街である、貴重品など残りはしない。入りたいと言われたら、どうぞといえる状態だった。だが、問題があったのだ。途方も無い問題が。
「その時、この街一番の廃墟には、例の魔物が棲んでいました」
住人は押し黙る。それでも数人の、思いやりを見せた者。実はあそこには恐ろしい“翼持つ魔物”が棲んでいる。いくら貴方が失われた魔法の使い手だとて、とても“あれ”に勝てるとは思えない。どうか諦めてお帰りなさい。どうか、どうか、気付かれる前に。
「しかし、賢者アリアスは黒き獣を従えて、我々の先祖を諭されました」
この獣の名はパルテウス。神々より授かった獣です。この子は強い。
そして私も神々より祝福を受けた存在、あの屋敷に住まう者が何者であろうとも、天がきっと力をお貸し下さるでしょう。
できるだけ貴人方に迷惑をかけぬよう、とっぷりと日が暮れてから一人で参ります。決して外に出ぬように。そして何が起ころうと、私とは無関係を装って頂きたい。
「彼はその夜、宣言通り、この聖獣パルテウスだけを側に付け、廃墟の屋敷へ踏み込んで行きました」
住人にとってその日の夜は、えらく静かな夜だった。
息をひそめて縮こまる街の人々そのもので、暫くの後、遠くの方から何かが瓦解する音が連続して聞こえてきたらしい。更に身を固くして、息をひそめる住人達。続いて、爆発する音が。それから獣の咆哮が。
どれだけ時が流れたか。
月の隠れた暗闇は、いつしか音を失っていた。
「音が途絶えて暫く後に、一人の住人が、意を決して外に出ました。一人、また一人。結末を知らずには、どうしても居られなかったのです」
数名の住人は、屋敷があったとおぼしき場所で誰ともなしに合流し、顔を見合わせて歩みを取った。
一歩毎の歩みは重く、それでもその結末を見届けなければ気が済まない。
ほどなく彼らの視界がひらけ、隠れた月が顔を出す。
崩壊した景色に伏せる、黒き翼の魔物の姿。それを踏みつける獣の姿。
大賢者アリアスは強大な魔力の枷を付け、屋敷があった地下深くへとその魔物を鎮めたという。
「そうしてこの街は、平穏を手に入れました。我々のご先祖様に平安をもたらした聖獣パルテウスに敬意を払い、こうして今も街の中央に彫像を置いています」
おじいさんは何度か髭を右手で撫で付けて、リセルティアの歴史を語る口をゆっくり閉じたのだ。
へ〜、アリアスさんとそんな関係があったんですね。私はなるほどと感心し、住人であるオルティオくんも「そうだったんだ…」と感動を示す。クライスさんも何かしら思う所があったのか、ほう、とでも語っていそうな視線をそちらに向けていた。
「さぁて、では、本題ですな。アリアス・ルートを引いた諸君。課題を言い渡しますぞよ」
この時、さわさわと木々が揺れ、ごくり、と誰かがつばを飲む。
「諸君に与えられる課題はこれです」
そう言っておじいさんは、一枚の羽根を少年へ。
「大賢者にまつわる五つの道具を揃えよ」
集め終わったらまたこの場所へ。お待ちしていますぞ、と。
おじいさんの笑顔に送られ、私達はその場を辞した。
始めに向かうは最寄りの商店。魔法使いの杖の店———である。