寛弘4年(1007)8月に、長男・頼通(渡邊圭祐)らと共に金峯山詣(きんぶせんもうで)を行った藤原道長(柄本佑)。大河ドラマ「光る君へ」で風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、金峯山詣での道長たちの服装について伺いました。
――金峯山詣を行う藤原道長たちが着ている白い服装は、何でしょうか?
この白い服装は、浄衣(じょうえ)といいます。狩衣(かりぎぬ)のように仕立てられたもので、神事や祭祀(さいし)、法会(ほうえ)などの宗教行事に参加する際に着用しました。
願い事をするために金峯山詣を行うわけですが、きちんと身なりを整えて金峯山寺の山上蔵王堂まで赴き、お祈りをしています。
――道長たちは道中で青い衣服も着ているのですが、これは何か違いがあるのでしょうか?
これは雨衣(あまぎぬ/あまごろも)といって、現代のレインコートのようなものです。裏地のない単(ひとえ)の布や紙などの上に油を薄く引いたものを油単(ゆたん)というのですが、防水機能を備えており、さまざまなところで活用されました。雨衣もその一つです。寛弘4年に道長が金峯山詣を行った際には、連日雨が降っていたと道長の日記『御堂関白記』に記されているので、このシーンでは雨具である雨衣を着用するようにしています。当時の雨具や雨除けのカバーなどは明るい縹色(はなだいろ)=薄い青色が多いんですよ。『年中行事絵巻』に雨衣を着ている人物も描かれており、その姿も踏まえながら推定復元しています。かぶっている立烏帽子(たてえぼし)もふだんはピンと立っているのですが、神社参詣などで山登りを行う際などには、貴族も真ん中あたりを紐(ひも)で縛って烏帽子が脱げることのないようにしており、ここではそれも再現しています。
――浄衣の一部を脱いで、この雨衣を着ているのでしょうか?
本来は、狩衣のような白い上着の上にこの雨衣を着用します。けれども、重ねて着ると袖のところがかさ張るなどして演じられる俳優の方々への負担が大きいとわかり、撮影の安全性をしっかりと確保するために、今回は白い上着は外して雨衣を着ていただきました。腰に巻いている帯も、実際にこのようなものを当時巻いていたかどうかは正確にはわからないのですが、木の枝などに服が引っかかると危険ですし歩きづらいので、動きやすい格好となるようにアレンジを加えています。ですのでこの状態は、上に着ているのは雨衣、下にはいている袴(はかま)は浄衣という姿になります。
――浄衣は白く汚れも目立つと思いますが、金峯山詣の最中の着替えや洗濯はどのようにしていたのでしょうか?
おそらく何枚も持っていき、毎日着替えていたと思います。金峯山寺の山上蔵王堂へ参詣するには、山登りをしなければなりませんし、着替えをしないとにおいが大変なことになってしまいます。道中で浄衣を洗濯できたとしても、乾燥させるのが難しいでしょうから、たくさんの着替えも含むかなりの量の荷物を運びながら、道長は金峯山詣を行ったのだと思います。
――ちなみに、道長から『源氏物語』の執筆を依頼されたまひろが渡された越前和紙が薄い青色のものに包まれているのですが、これも防水のために油単で包まれているのでしょうか?
そのとおりです。貴重で大切な紙ですから、濡れるなどして傷まないように油単で包んであります。このような防水シートは奈良時代くらいから用いられていたようです。