大河ドラマ「光る君へ」

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をしへて! 佐多芳彦さん ~子どもの誕生を祝い成長を祈る「五十日の儀」

一条天皇(塩野瑛久)と藤原彰子(見上愛)との間に生まれた敦成親王(あつひらしんのう/のちの後一条天皇)の誕生から50日目に行われた「五十日(いか)の儀」。大河ドラマ「光る君へ」で風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、「五十日の儀」について伺いました。

――「五十日の儀」とは、どのような儀礼なのでしょうか。

「五十日の儀」は生誕50日目にあたる夜に、子どもの誕生を祝って成長を祈る儀礼です。平安時代の貴族社会で行われていた通過儀礼の一つで、「五十日の祝い」や「松の餅(もちい)」ともいわれます。当時は、現代ほど医療が発達していませんし、衛生環境もよくありませんので、生まれてきた子どもがまず50日生きるというのは非常に大変なことでした。新生児の死亡率が高く、50日というのが大きな壁の一つであったようです。「五十日の儀」には、子どもの順調な生育をみんなで確認し、そしてこの先の明るい未来をみんなで祈るという、当時の人々の共通の思いが込められているといわれています。

「五十日の儀」において中心となるのは、子どもの口にお餅を含ませる行事です。ふつうに米を蒸して杵(きね)でついて作ったお餅を、すりこぎのようなものでよくすり潰し、それを汁物に入れます。そうするとドロドロしたお餅の汁が出来上がりますので、これを匙(さじ)などで子どもの唇にチョンと付けてあげるんです。新生児に固形のお餅を与えるのは当然危険ですので、あくまでもドロドロの状態にしたものを、軽く唇に付ける程度です。これには、「子どもが乳離れをして食事が取れるようになり、ますます健康に育ってくれますように」という願いが込められているのだと思います。

 

――「五十日の儀」のやり方は、家柄などに関わらず同じだったのでしょうか。

「五十日の儀」は、朝廷の公式行事ではありません。このため、大雑把に“このようなことを行う”という次第は決まっていて基本的なところは同じであったと思いますけれども、細かいディテールについては家ごとに違いがあったと思います。

 

――お祝いとはいえ、公卿(くぎょう)たちはずいぶんと酔っているようですね。

敦成親王がお餅を口にしたあとには饗宴が催されたのですが、公卿たちはずいぶんと羽目を外したようで、その様子が『紫式部日記』に細かく記されています。顕光が几帳(きちょう)の垂絹(たれぎぬ)の開いたところを引きちぎって乱れたり、実資が女房たちが着ている衣装の褄(つま)や袖口の色や枚数を数えたり、公任が「失礼ですが、このあたりに若紫はおいででしょうか」と几帳の間から紫式部をのぞいたりなど、いろいろとあったみたいですね。

 

――このシーンで使用されている几帳は、しっかりとした厚手の生地のものですね。

「光る君へ」では、薄手の几帳を使用したほうが向こう側にいる人物が透けて見え、芝居がしやすく映像もより映えるという考えから、薄手の生地の几帳が多く用いられています。けれども本来、几帳には夏物と冬物があり、夏物には涼を求めて風通りの良い薄手の生地が、冬物には寒さをしのぐために風を遮る厚手の生地が使用されていました。夏物は単(ひとえ)なんですけれども、冬物には裏地があり、表地と裏地で仕立てが変わっていたりもするんです。敦成親王の「五十日の儀」が行われたのは寛弘5年(1008)11月1日になりますので、時期は冬にあたり、冬物の几帳が使用されているという感じです。そのうえで、この場に置かれている几帳は「美麗几帳」といって、晴れの行事などで使用する豪華な仕立ての几帳になります。

――この写真の奥に赤い背丈の高い調度がありますが、これも几帳なのでしょうか。

そうです。几帳は大きさに決まりがあるわけではなく、当時は高さや幅が異なる数種類があったようです。平安貴族にとって、几帳は日常生活においてふだん使いする家具の一つになりますので、設置する場所や場面などに応じて臨機応変にカスタマイズし、柔軟に使用していたと思います。

 

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