今日は会社を定時で切り上げて帰ってきた。3歳の子どもは発達障害の特性があって、毎日のように小さなトラブルが起こる。今日は保育園からの帰りにパニックを起こして、道端で大声を上げて動かなくなってしまった。抱っこして何とか家まで連れてきたけれど、正直、腕はもうパンパンだ。家に着くなり、発達障害を背景に鬱を抱える妻の様子も見ないといけない。体調の波は昨日よりはマシなようだけれど、それでも自力で夕飯を作るのは難しそうだったから、慌てて簡単な鍋料理を用意した。
こんなことを書くと、大変な状況を何とかしたくて相談したいんだなと思うかもしれない。確かに大変ではある。でも今の悩みはこの状況自体ではない。悩んでいるのは、"自分に名前がない"ことだ。
ニュースやネットを見ていると、「ヤングケアラー」や「ダブルケアラー」という言葉をよく見かける。まだ若い子どもが親の介護を担っていたり、育児と親の介護を同時に抱えたりする人たちが問題視されているらしい。こうして社会的な注目が集まり、支援の必要性が少しずつ認識されてきているのは良いことだと思う。でも、家族の中で妻と子どもを同時にケアしながらフルタイムで働く父親の問題は、そのどれにも当てはまらない気がする。
「ダブルケアラー」って言っても、多くは“育児+高齢者介護”が想定されているみたいだ。自分の場合は妻がまだ若く、しかも「発達障害+鬱」という組み合わせで生活が不安定になっている。子どもだって発達障害を抱えているから、日々きめ細かい配慮が必要だ。職場に相談しても「子どもはもう保育園に行ってるんでしょう?」なんて言われるだけだし、妻が鬱の症状で動けないことを詳しく話すほど居心地の悪い空気になっていく。
イクメンという言葉を聞いたときは、“もしかしてこういう父親も含まれるのかな”と思った。でもそれは“男性が育児を楽しむ”とか“積極的に関わってカッコいいパパ”というポジティブなイメージが強くて、今の自分が当てはまるとは到底思えない。仕事をこなしながら、妻の病院の付き添い、子どもの療育の準備、部屋の片付けやら何やらを全部抱える生活は、楽しむというよりも追われているだけだ。
母親が育児の中心になるという前提はまだ根強いから、職場でも地域でも「父親が子育ての主担当をしている」なんて発想がほとんどない。だから「夫婦で分担すればいいじゃない?」とか「保育園に預けているんだから大変じゃないよね?」とか、そんな言葉ばかりが飛んでくる。妻の状態や子どもの発達障害のことを開示しない限りは、自分の置かれた状況を分かってもらえない。でも、そこを話せば話したで、相手にとっては“想定外”でしかないらしく、話題が変えられてしまうことが多い。
こうして日々をこなすうち、気づくと自分はどこにも当てはまらない“ケア担当者”になっていた。「ヤングケアラー」とも違うし、「ダブルケアラー」の定義にも入らない。社会が用意した制度や支援は、たいてい母親向けや高齢者介護向けがメインで、「イクメン」なんて言葉はポジティブすぎてむしろ違和感がある。まるで、自分のような父親には名前がないかのように感じる。
朝起きてから夜眠るまで、いや子どもが夜泣きしたり、妻の鬱が悪化したりすると眠れないまま朝が来る。そんな生活を続けながら、漠然と感じたことを書いてみたけど、少しも気が晴れない。ただ、どこかで誰か他の男性が読んで「自分と同じだ」と思ってくれたら、「名前のつかない男たち」が他にもいると思えたら、まだましだと思う。そうでもないと、自分がどんどん透明になって、いつか自分が消えていってしまうようで、怖い。
そんな相手と結婚する決断や子供を産む決断をしたのは自分なのに被害者ぶってて草