大河ドラマ「光る君へ」第40回において、病に苦しむ一条天皇(塩野瑛久)から践祚(せんそ)するように告げられた居貞親王(いやさだしんのう)が、清涼殿から立ち去る際に下襲(したがさね)の裾(きょ)を後ろの貴族に持たせているシーンが描かれました。風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、下襲の裾を持っている理由などについて伺いました。
――居貞親王の後ろの貴族は、なぜ下襲の裾を持っているのでしょうか。
居貞親王が着ているのは、黄丹(おうに)の袍(ほう)です。黄丹は禁色(きんじき)の一つで、東宮の袍の色になります。そして後ろの黒い束帯(そくたい)を着た貴族が居貞親王の下襲の裾を持っているのは、威儀を正すためです。鎌倉時代の絵巻物『駒競行幸絵巻(こまくらべぎょうこうえまき)』に、歩いている東宮の後ろで黒い束帯を着た貴族がこのように下襲の裾を持っている様子が描かれた場面があり、これを再現しています。
をしへて! 佐多芳彦さん ~自由に色が使えない? 禁色って何
――威儀を正すために、いつも下襲の裾を持たせているのでしょうか。
後ろの人が持つときと、持たないときがあります。このシーンでは、皇位の第一継承者である東宮であるということが要因として挙げられます。下襲の裾は職によって長さが変わり、天皇が最も長く、身分が下がるに従って短くなります。東宮の裾は天皇の次くらいに長いのでそのぶん扱うのが難しく、一人でズルズルと引きずっていると、立ったり座ったりする際などになかなか美しく制御できません。そこで見苦しくならないように、信頼の置ける人物に裾の扱いを任せているというわけです。立ち居振る舞いをしっかりとしていないと、自身の悪い評判を流されてしまいますからね。長い裾をキレイに広げて見せつけ、そして立場のある黒い束帯を着た貴族にそれを持たせて従わせることで、東宮としての威儀を正しています。
――黒い束帯の貴族は、自身の肩くらいの位置で下襲の裾を持っていますが、この位置で持つものなのでしょうか。
だいたいこのくらいの位置で持ちます。自分の肩の高さくらいで持っていたほうが、座る際に3枚に裾をたたんだりするのがやりやすいんです。座っている際の美しさと、立ち上がる際に裾が邪魔にならずに滑らかな動きとなることを、両立するように考えられた結果、このような様式になったのだと思います。公の場で恥をかかないように、ふだんから所作の練習をしていたと思いますね。
――ちなみに、男性貴族の下襲の裾とは違い、女性貴族が身に着ける女房装束の裳(も)はたたんだりしていないのですが、なぜでしょうか。
それは、下襲の裾と女房装束の裳では、起源が違うからだと思います。朝廷の正装である束帯では、袍で位を、裾で職を示します。ところが、裾は職を示すものでありながら、みなが勝手にどんどん長くしていったという経緯があり、たたまないと二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなったのだと思います。一方、女房装束の裳は、もともとは腰からくるぶしくらいまでの丈の巻きスカートでした。このため、これ以上は長くしようとは考えず、またたたもうとは考えなかったのではないでしょうか。