大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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をしへて! 倉本一宏さん ~辞めるよ! 辞めるよ! 辞めるよ? 平安時代の辞表

大河ドラマ「光る君へ」第42回において、藤原道長(柄本佑)から出された辞表の返却を渋る三条天皇(木村達成)。時代考証を担当する倉本一宏さんに、平安時代の辞表の出し方について伺いました。

――病に倒れた道長から左大臣と内覧の辞表が提出され、三条天皇が返すことを渋っていましたが、当時は出された辞表は返すことが決まりだったのでしょうか。

辞表が出された場合は、2回は必ず返します。「辞表を出す」⇒「返す」⇒「辞表を出す」⇒「返す」というやり取りをまず2回行い、3回目に辞表が出されたところで、職を続けてもらう場合は「続けるように」という返事(勅答)を返し、辞職を認める場合は「惜しいけれども辞めてもいい」という返事(勅答)を出します。本当に職を辞する場合も、そうでない場合も、辞表は3回出すというのが当時の習わしでした。

長和元年(1012)の道長の辞表の場合は、6月4日に1回目の辞表を三条天皇に提出し、このときはすぐに返却されています。けれども、6月8日に出した2回目の辞表については、なかなか返却されず、ようやく返ってきたのは提出から1か月後となる7月8日でした。なかなか三条天皇から返却されなかったので、道長もこのまま辞することを覚悟したかもしれませんね。

――辞表を一度提出したら、必ず3回出すのですね。

そうです。例えば、結婚も同様ですね。当時の結婚は「婿取り」になりますが、結婚の際には、男性が女性のもとへ「会いたい」という歌を3回送ります。そして結婚を認める場合も、断る場合も、3回目に結論が下されるんです。最初から結婚しようと決めていても、2回は断り、3回目で認める。最初から断るつもりでも、ごめんなさいと断るのは3回目です。そして結婚することになっても、男性が女性のもとを訪れても、2回は翌朝に帰ります。3日目に女性の親が男性の沓(くつ)を隠して、それでそのまま婿入りすることになります。劉備玄徳が軍師・諸葛孔明を陣営に迎え入れる際に、孔明のもとを三度訪ねて礼を尽くしたという中国『三国志』の有名なエピソードがありますけれども、3回というのは、おそらくこの「三顧の礼」を意識しているのだろうと思います。

――もしも2回目の提出で辞めることになったら、異例なのでしょうか。

異例中の異例です。しかもこのとき、三条天皇は1か月も道長の辞表を手元に置いていましたが、これもまた異例です。

辞表も勅答も、かなり美文な漢文で書かなければなりません。ものすごく長く、難しい漢文になりますので、基本的に当人では書くことができず、しかるべき学者によって書かれます。このため作成に時間がかかってしまう場合はありますし、三条天皇も道長と同様に病悩していましたから、体調が優れず返却することができなかっただけなのかもしれませんが、返却まで1か月もかかるというのは長いです。

やはり三条天皇の頭の中には、道長がこのまま辞めてもいいなという考えがあったのだろうと思います。

――2回目が戻ってきたのちに3回目の辞表を道長が再提出し、三条天皇から返却されて職を続けることになったということでしょうか。

おそらくそうだと思いますけれども、道長の病が快方に向かい、三条天皇が病悩していましたので、2回でうやむやになった可能性もあります。

――ちなみに、道長が病悩している間の出来事について、実資が『小右記』に細かく記載していますが、実資としては道長の病気のことをどのように思っていたのでしょうか。

実資は、道長に病気を治してもらわないと困ると思っていたと思います。道長が本当に辞職してしまったら、顕光が左大臣となり、陣定(じんのさだめ)をはじめとした儀式を主導していくことになります。けれども、それでは政務がうまく回りません。自身が大臣に就くチャンスがあるのであれば話は別かもしれませんが、席が空いても次に大臣へ昇るのは筆頭大納言の道綱が濃厚ですので、道長がこのタイミングで辞職しても、実資にはメリットがありません。無能な顕光が政権のかじ取りをするくらいなら、道長にこのまま続けてもらいたいと考えていたと思います。

 

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