藤原道長(柄本佑)が病に倒れる中、藤原道綱(上地雄輔)、藤原実資(秋山竜次)、藤原隆家(竜星涼)、藤原懐平、藤原通任(古舘佑太郎)の5人が、道長の病気を喜んでいると噂(うわさ)が流れます。大河ドラマ「光る君へ」で時代考証を担当する倉本一宏さんに、道長の病気と噂の理由について伺いました。
――藤原道長の日記『御堂関白記』は、長和元年(1012)6月の記録が残されていません。藤原実資の日記『小右記』長和元年(1012)6月1日条に、道長が前日の夕方から重く病悩していると記されていますが、このときの道長は日記を書けないほど大変な状況だったのでしょうか。
この年の道長は、本当に体調が良くなかったようです。長徳3~4年(997~998)も体調が優れず、何度も辞表を提出していますが、長和元年はそれに次いで悪かったと思います。だた、日記を書いていないのは、体調が優れなかったことも一つの要因ではあるでしょうけれども、道長の周りで怖いことがたくさん起きたことが大きな理由だと思います。道長はわりあい臆病な一面があり、“怖いことが起こった際には日記を書かない”という傾向があります。寛弘6年(1009)1月末に伊周の縁者が中宮彰子らを呪詛(じゅそ)していたことが発覚しますが、このときも道長は日記を書いておらず、翌2月は『御堂関白記』の記録がありません。
――長和元年の際には、道長の周りでどのような怖いことが起きていたのでしょうか。
まず5月23日に比叡山へ登ったのですが、このときに投石を受けており、これが「比叡山の守護神である山王の祟(たた)りである」とされました。そして6月に入ると、8日に人魂が出て、9日に鵄(トビ)が鼠(ネズミ)の死骸を道長の前に落とし、10日に蛇(ヘビ)が落ちてきて、12日にさまざまな呪いの物が発見され、さらに17日には、皇后娍子の異母兄である藤原為任が呪詛しているという落書(らくしょ)がありました。これらは『小右記』に書かれているのですが、5月から6月にかけて道長の周辺でものすごく怖いことが連続して起こっていますので、もちろん病気ということもあったのでしょうけれども、祟りなどを恐れて、屋敷に籠っていた可能性が高いと思います。
――道長の周りで連続して怖いことが起きた要因は何でしょうか。
同年4月27日に娍子の立后の儀が行われ、娍子が皇后となりましたが、右大臣の藤原顕光、内大臣の藤原公季らが三条天皇の召しに応じなかったために、大納言・藤原実資が立后宣命の上卿(しょうけい)を勤めるということがありました。しかもこの儀に参入した公卿(くぎょう)は、実資、藤原隆家、実資の同母兄・藤原懐平、娍子の同母弟・藤原通任の4人だけです。これには、同日に道長の娘である姸子の内裏参入も行われたために、多くの公卿が中宮姸子のほうを優先したという事情があるのですが、道長の反対勢力からすれば、道長による妨害工作だと受け取ったでしょう。
道長が臆病ということは当時の貴族たちの間で認知されていたでしょうから、道長が怖がりそうなことをいろいろと仕掛けて、嫌がらせをしていたのだと思います。権力を握っている道長に対して、正面を切って抵抗するわけにもいきませんからね。
――そんな中で、実資、隆家、懐平、通任の4人に加えて、道綱にも道長の病を喜悦しているという噂が出ていますが、これはなぜでしょう。
この5人が喜んでいるという証拠はまったくないわけですが、実資、隆家、懐平、通任の4人については、娍子の立后の儀へ参入したことにより、道長の反対勢力だと目されたのでしょう。そして道綱については、三条天皇の東宮時代に春宮大夫や東宮傅として支えていたという理由のほかに、道長がいなくなれば埋まっている大臣の席が一つ空き、筆頭大納言である道綱が大臣へ昇るだろうと、みんなに思われていたからだと思います。
――筆頭大納言も十分に偉いと思うのですが、平安貴族たちは大臣への憧れを強く抱いていたということでしょうか。
当時の大臣は、左大臣、右大臣、内大臣、そして名誉職である太政大臣の4席しかなく、それぞれ定員は1名です。納言の場合は、大納言と中納言にそれぞれ複数の貴族が就きますが、大臣は必ず1名ずつであり、非常に狭き門です。また大臣に就くと、除目(じもく)や官奏といった非常に重要な儀式を取り仕切ることができますので、やはり大臣と納言では、格が違います。
のちの話にはなりますが、寛仁3年(1018)6月9日に、顕光が大臣を辞めるという噂が出回りました。すると道綱は道長のもとを訪れ、「1~2か月でもいいので、大臣にしてほしい」と頼み込んでいます(『小右記』寛仁3年6月15日条)。長徳3年に左大臣道長、右大臣顕光、内大臣公季という体制になって以降、道綱は長らく大納言であり続けました。道綱としては「大臣になりたい」とよほど切望していて、そのことを周りの貴族たちが認知していたからこそ、“道長の病を喜悦している”と噂される人物の一人として挙げられたのだと思います。