第39話 赤く、黒く

 又川恒弘またがわつねひろの人生は、一言で言えば虐げられる人生だった。

 小学生の頃は太っていて、鈍く、鈍臭い。そのせいで揶揄われて、馬鹿にされ、次第にそれはエスカレートしていった。暴力を振るわれ、金品を強請られ、中学生の頃はクラスメイトの前でマスターベーションを強要された。

 高校に入って、無言を貫く生活を実行すると地蔵と言われ、やはり、馬鹿にされた。そのまま短大に進み、就職。ブラック企業に勤め、それでも真面目に勤務した。パワハラ上司が一方的に解雇するまでは。

 コロナ失業というやつだ。その時ようやく恒弘は己が特別な才能を持つことを自覚する。術式の覚醒だった。

 妖力が巡る体で上司を殺害、会社の社長を殺害し、溟月島に逃げてきた。そのまま黒塚商会に入り、呪術師として数年を過ごし、二等級に上り詰めた。


 だから、二度と馬鹿にされないように今度は自分が馬鹿にして虐める側になった。

 弱者をいたぶり、殺し、金を貪る暮らし。尊敬も女も食い物も酒も、貧困以外の全てを、金さえあれば買える。思うがままの暮らしを送れる。

 だが、その心が満たされることは終ぞなかった。

 渇いている。何かに。その焦燥が、この少年を見ていると加速する。

 温かい家庭、相棒に恵まれ、友人もいるというプロファイルを見た時に感じた憎悪。

 俺が十六の時は地蔵と言われ、小馬鹿にされ、便所に入れば漂白剤をかけられていたのに。


 

 歪んだ感情が、暁人に向けられる。


×


傘血鳥かさちどり〉は火を吹いた。暁人はすぐさま水の黒龍で防壁を展開し相殺。青龍と白龍は使えない。青龍は火を助長するし、白龍は溶かされる。

 問題ない。〈葉月雲隠はづきくもがくれ〉はものを隠す術式だ。八大属性で言えば空。暁人は迫る妖刀の術式効果を測り損ねていた。


「〈土砂崩し〉」


 直後、土砂が噴出された。暁人の水が汚され、剥落。土——暁人は左腕を青龍に切り替え風を浴びせるが、〈傘血鳥かさちどり〉が邪魔をする。

 火が息を吹き返し、熱波が襲った。


「くそっ」

「落ち着け。どっちも対処できる。こっちは相剋を両方に対して持ってんだ。術師は守り優先、まずは式神だ」

「わかってる。下腕の制御を任せていいか」

「ああ」


 暁人の神経回路を一部八岐が支配。尾と、下腕を支配する。

 暁人の下腕の肩関節が反対方向に向き、目玉が後頭部に二つ現れる。恐ろしい様相だが、暁人はそんなことに頓着しない。身の回りの家族や友人は、そんなことで気味悪がって離れていくような奴らじゃないことを知っている。


「焜に見られたらいじられるぜ、おい」

「梶原あたりもイジるだろ。今度脅かしてやろうぜ」


 背後から迫る又川を八岐が対処。龍の目は霊視を常時開眼し、隠された妖刀の在処を妖力で探る。青龍の下腕で防ぎつつ、攻撃は加えない。尾を振るって牽制しつつ、無駄な術は打たなかった。神経を操作するのは二人分。だが妖力はあくまで暁人のそれ一人分。常に外気の妖気を吸い込んで妖力を練っているが、個人の基礎妖力量にブーストをかけているだけで、無尽蔵に使えるわけではない。

 暁人は黒龍の上左右腕で刀を握り、〈傘血鳥かさちどり〉を対処。足を落とし、羽を切り払い嘴を回避。火球を水玉で弾いて、迫る蹴り足を左拳で受け止める。

 暁人の妖力残量はまだ六割。八岐のおかげで、覚醒前の体感四倍に増えた。かつての己ならとっくにダウンしている。尾に換算すれば、五尾相当ほど。


「クソガキが」

「てめえは暁人の何が気に食わねえんだよ。さっきからずっと、憎しみ込めた目でみやがって」


 暁人の腹の口が動く。

 こういう時に備え暁人の着物は女物であり、袂が緩く腕を広く使える作りになっている。腹は、小袖に隠れているが声ははっきり聞こえた。


「何もかもだ。不幸な俺と違い、幸福を享受する奴らが許せんのだ!」

「不幸で言えば俺もだぜ。かつては水神様と崇められたのに、動物信仰が廃れりゃ化け物扱い。俺が女食ってたんじゃねえ。御鎮まりをといって向こうから差し出してんのを、俺はよそに逃してただけだ。それを好き放題して故郷を追放された神だか名乗る糞餓鬼が、酒の席で俺を騙し、殺した」


 それがヤマタノオロチ伝説の真相か。


「だがな、俺はそれも俺の一部として受容した。時代も人間も変わる。ならいっそ、体良くフラフラでもいいから自分を変えたほうが得だってな。いいか、芯ってのはどんなにグニャグニャ曲がりくねって生きてようが、変わんねえ。お前、そのままじゃ一生捻くれ者だぜ」

「黙れっ! 土砂——」

「〈龍殻雷槍りゅうかくらいそうの術〉!」


 守りに徹する、その発言はブラフ。八岐は、妖刀を狙って雷の槍と化した腕を突き出し、砕いた。


「バカが、敵の発言鵜呑みにすんなや」

「この——蛇畜生が!」


 暁人は〈傘血鳥かさちどり〉の治癒力が落ちたことを体感している。火の勢いも落ちた。

 渾式神となる怪物は皆、不死身の罪で囚われる。不死身とはつまり、無限の妖力を持ち、フルオートで治癒が完結する化け物だ。

 だが現世に顕現する式神は不死身ではない。溟王の手で制限をかけられる。虜囚となった時点で、不老は担保されても無限の妖力は剥奪されるのだ。

 そして現世で完全に破壊される前に、溟獄へ連れ戻される。


 暁人は妖刀を〈傘血鳥かさちどり〉の頭部に捩じ込んだ。喉から遠髄をぶち抜き、そのまま胸元まで掻っ捌く。

 血の雨がざあざあ降り注ぎ、地面から鎖——溟鎖めいさが伸び、〈傘血鳥かさちどり〉を縛り上げた。

 そして奈落へと引き摺り込み、強制送還する。


「馬鹿な——」

「あとはてめえだ。俺のダチを散々小馬鹿にしやがって」


 暁人は四本腕を解除。八岐を戻し、妖力消費量を抑える。


「くっ、来るな!」

「来たのはてめえらだろうが。何が目的だ。言えば命だけは見逃す。座卓の判断次第だが終身刑で済むぞ」

「白奈とかいうガキだ! 雇い主は知らない! 一人、家を襲ってる奴だけが知ってる! 俺らは同伴しただけだ!」

「八岐、どうだ」

「妖力に揺らぎはねえ。恐怖の震えは見えるが、嘘ではねえな」


 暁人は静かに納刀。それから縛妖索を取り出し、又川を縛り上げた。


「お前がどんな人生歩んできたかは知らん。興味もない。だが人様の命を屁とも思っていないお前に、同情する奴なんていねえよ」


 冷たく突き放し、暁人は焜と合流するため歩き出した。

 手足を縛り、妖力も封じている。逃げられはしない。道中でエレフォンで座卓に通知を入れ、暁人は焜の気配を頼りに進む。

 何度かやたら爆音がしていたが、〈赤狼〉を使ったのだろうか。


「そっちも終わったのね」

「ああ。八岐と協力。渾式神出されて実質二対二だ」

「涅を纏ったの?」

「いや、腕と目玉増やした」

「ブハッ、何それ。モンスターじゃん」

「るせえな。やっぱイジりやがったこいつ。家に急ぐぞ」


 暁人たちは走り出す。

 輝子と美琴、そして白奈の無事を願って。


×


 輝子は龍の力を自覚しているが、八岐のように自在に出し入れはできない。燭陰は極めて気まぐれであり、輝子の危機に対して保全のため現れる程度だ。

 だが光の〈雅龍淟星がりょうてんせい〉は使える。


「〈龍殻光矢りゅうかくこうやの術〉!」


 なんとか家から追い出した敵を、光の矢で追撃。無数の矢を、狼雷獣の男は雷撃で撃ち落とす。尾は四本。術式は狼系雷獣に相伝しやすい〈迅霆霹靂じんていへきれき〉といったところだろう。

 属性相性は互いに良くも悪くもない。


 美琴が鬼の膂力で持って廃品の家具であった、破れたソファを投げ飛ばす。五十キロ以上あるそれが時速百五十キロで飛来。だがすかさず雷獣らしい動体視力で見切り、反射的に屈んだ。

 男の腕には雷撃で気絶させられた白奈が抱えられ、輝子はほぞを噛む思いだ。

 トイレから悲鳴がして、駆けつけた時——侵入を許していた。速すぎると思ったが、雷獣ならむしろ当然である。二階の窓から侵入したのだろうか。空気の入れ替えを狙った手際といい、計画的だ。


 戦闘経験の浅い輝子はすでにバテ始め、妖力を練るにも一苦労だ。

 美琴がすかさず突っ込んだ。筋力に裏打ちされた敏捷性が、雷獣男を追う。


「女を殺す趣味はない。お前らの相手は、あっちだ」


 男が低い声で言い、その、声の主が。


「〈月影愚蓮つきかげぐれん〉」


 が咲き誇る。

 瘴気が満ち、二人は慌てて妖力を纏って防御。

 庭の草花が枯れ落ち、池の水が濁って鯉が死に絶え浮かんでくる。


「確か、熊切童子……」


 焜が倒した呪術師。だが、その気配は完全に溟人だ。


「輝子、下がれ!」


 暁人が叫んだ。直後意図を汲んだ美琴が輝子を抱えて跳躍。暁人の〈龍殻雷槍りゅうかくらいそうの術〉が炸裂し、落雷めいた轟音が轟いて玉砂利が舞い上がる。


「〈夜宵葛やよいかずら・五分咲き〉!」


 そして瘴気を喰らう夜空の葛が咲き誇り、黒い蓮を食い破っていく。


「お前は……」

「影法師九崩、赤夕せきゆう。私はこの身を溟人に作り変えた。かつての私じゃないぞ」

「赤夕、決戦はあとだ。まずは仕事を果たす」

「わかっている。いいな、ガキども。抵抗すればあのガキを殺す。精巣さえ生かしておけばいいというオーダーだ」


 ヒトとは思えない指示である。白奈を、妖怪として見ていない鬼畜の所業。

 暁人は奥歯を砕かんばかりに噛んで、術を解いた。

 焜も納刀し、舌打ち。


「それでいい」


 赤夕も納刀する。

 二人は悠々と去っていく。気を失い力無く項垂れる白奈をどうすることもできない自分の無力を、きつく、呪った。


×


 一月十五日金曜日。今日は今朝から雨が降っていた。

 妖力は全快。体力、気力共に横溢。だがここ最近毎朝聞いていた白奈のモーニングコールがない。気分はひどく落ち込んでいた。

 昨夜はあれから健一郎に事情を話し、リビングの窓をぶち破ったことをみんなで謝ったが、手練の呪術師に襲われて陰陽師でもない輝子と美琴が無事で何よりだと喜んでいた。

 今日は今朝から業者がやってきてリビングの窓を修理している。窓サッシごと取り替える作業であり、作業時間は一時間から二時間ほど。

 輝子は窓を割ったのは自分だと白状した。敵をリビングまで追い詰めた後不意を突いて敵に突進し、窓ごと外に転がり出たと。


 健一郎はまず第一に、呪術師相手に無茶したことに怒った。それから二人が無事であることを喜び、白奈の身を案じた。

 現状で敵の雇い主は不明。当然蛾王家白葉にも連絡を入れている。どうやら向こうにも犯人の声明文が届いたらしく、電話越しに「舐めた真似をしてくれる」と憤っていた。


 朝食は喉を通らなかったが、白奈奪還作戦を目論む彼らに食事を抜くという選択肢はありえない。無理やりにでも詰め込んで栄養に変え、妖力錬成で疲労の残る肉体——経絡系のツボとなる経絡穴に鍼を刺して疲労回復と妖力疲れの治癒を促す。

 鍼治療は経絡を癒す上で有効なものだ。健一郎が香を焚いた部屋で暁人と焜に鍼を刺していき、回復を促す。

 事態が動いたのは午後二時のことだった。


 暁人たちが昼食のきつねうどんを食べ終えて、各々趣味の時間——といっても暁人と焜は地下で剣の打ち合いだが——をしていた頃、家のチャイムが鳴った。すでに窓は治っており、寒気が流れ込んでくることもない。

 暁人が玄関に出ると、黒ずくめの女が一人、立っていた。

 黒いフード付きのローブに、顔は鼻まで覆う黒いマスク。墨のような黒髪と黒い目。種族は猫又。三尾だ。どう見ても七隊は闢処隊——蛾王家護衛の任務を与えられる忍者部隊の構成員だろう。無言で一葉の手紙を押し付け、去っていく。


 暁人は居間に戻って手紙の封を切った。

 そこには「臥龍暁人様 千穂川焜様へ」とある。暁人は焜を呼び、手紙を広げる。


『本日は急なお手紙失礼します。まずはこのような形で挨拶することとなり申し訳ございません。わたくし、蛾聖がしょう家次期当主、蛾聖あきらと申します。端的に言えば今回の襲撃事件の首謀者です。

 さて、白奈様の身はまず持って安全そのものです。将来の旦那の身ですから、当然ですね。一言申し上げるなら、あなたたちを信用しているのかしきりに迎えがくるといって憚らないことでしょうか。はっきりいって鬱陶しいことこの上ありません。

 そこで、依頼の更新といきませんか。

 蛾王家から我が蛾聖家に鞍替えするなら、三倍の報酬を払います。詳しくは夕刻迎えをやりますので、是非、うちにいらしてください。色良いお返事をご期待しております。

    蛾聖晶』


 暁人は手紙をグシャリと握りつぶした。


「舐めやがって」

「でも渡りに船ね。敵の本丸に連れてってくれるわ」

「そこにはあの雷獣野郎と赤夕もいる。やれるか、焜」

「赤夕は私の獲物よ。あれは私が狩る。次こそ仕損じはしない」


 その場にいた輝子と美琴は心配そうだったが、「白奈をよろしく」と輝子は良い、美琴も「白奈君の分も夕飯を作って待ってますからね」と応じた。

 健一郎は冷静に「十中八九罠だぞ。それでも行くのか」と聞いてきた。


「叔父さん。囚われてるのが俺か輝子なら、叔父さんはどうする」

「愚問だな。敵の本拠地が血の海になるまで暴れ回る」

「なら聞かないでくれ。……短い付き合いだ。仕事だ。あくまでビジネスだ。頭ではわかってる。だけどどうしようもなく白奈を放っておけない。力を持つが故に身に余る期待をかけられる苦痛は、少しだけどわかる。俺も臥龍ってだけで、小さい頃は神童扱いで辛かった」


 暁人は深呼吸。

 現在の時刻は二時半。


「必ず戻ってくる」


 暁人はそう言って、二階に行って戦衣いくさごろもに着替え始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年2月1日 20:02
2025年2月5日 20:02
2025年2月8日 20:02

血濡れのワヰルドハント 〜 龍狐の戦衣は心血で染め上げて舞闘(おど)り狂いましょう? 〜 夢咲蕾花 @RaikaFox89

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画