第38話 きれいになりたい
きれいになりたい。
遊郭の子は遊郭に務める。そんな定めを知ったのは十三の時。疑問はなかった。少女趣味の男に処女を買われるまで。
男の乱暴で独りよがりな愛撫、ヤニ臭い吐息と、凄まじい口臭が流し込まれる口吸い。吐き気を催す男根の口淫。少女にしか興奮できぬその異常性を、はっきりと認識した一回きりの夜。
朱美は荷物をまとめ、遊郭を脱走する。
彼女には才能があった。妖術の才能が。
人を脅し、傷つけ、着飾った。美と肉体と魂を切り身にして売り、日々を食い繋いだ。己が失われていく喪失感すら喪失し、ただ、綺麗になりたいと、そう願った。
気づけば黒塚商会に属し、呪術師として認定されていた。抵抗も否定もなかった。ありのままを受容し、そうある紋切り型の文句を当てはめられたところで己の美意識が揺らぐことはないと、その時には知っていたからだ。
真なる美は。
本当の芸術とは、文芸でも、絵画でも、音楽でもない。
戦いだ。生と死が文脈を刻み、色彩を散らし、阿鼻叫喚の戦闘合唱が刻む、死生観の衝突と命の交雑。それがこの世界で真に美と言えるものであり、勝利こそが、綺麗なものなのだ。
きれいになりたい。つよくなりたい。
独自の哲学を持ち、朱美は術師として成り上がる。
千穂川活心流最後の生き残りの首を挙げ、レセプションルームに着飾る。そうして、また美に一歩近づく。
×
〈
答えは無意味ではないが、決定打には遠い、だ。
妖力の減衰には使えるが、瘴気を伴わない人間や妖怪の妖力は吸収率が悪い。
「〈
夜空色の葛の花が咲き誇る。朱美、と名乗りあげた女は術式・〈
水の発生、それを介した啼き声による振動加熱の術。暁人の黒龍と青龍の併用を限定的にしつつ一つに合わせたような術式だ。
(あのナイフの術式が割れない。使えないことはないんだろうけど、限定的に誓約を課してるのね。妖刀は白兵戦と割り切って術で攻めるべき。リスクヘッジトチったら煮殺されかねない)
焜は肩に斜めがけにしているベルトから小筒を抜き、「オン・キリカク・ソワカ」と唱え霊獣を召喚。
水属性、氷の犬〈白犬〉を召喚する。大柄な秋田犬が三頭、吠えた。
「飽和して水を凍結させろ」
命じつつ、焜は接近。術師本人は己の術の影響を受けづらい傾向にあり、よしんば凍結に巻き込まれたとて容易に解除できる。
朱美は熱湯を巻いて〈白犬〉を遠ざけるが、一頭が跳躍。素早く飛び掛かるが敵もさるもの、ナイフを振るって喉を掻き切り、術が発動する寸前で蹴飛ばして不発に終わらせる。
だが一頭がすでに凍結術を発動、加熱前の水を凍結せしめ、朱美の右足を巻き込む。姿勢を崩したところにもう一頭が飛びかかり、凍結術を発動。咄嗟に朱美は〈
さらに彼女は水を撒いてナイフの術式を発動。
呪具・〈
膨大な瞬間発電による通電で水分子が急速加熱、さらに水蒸気は妖力を練り込まれており、超振動。
焜は咄嗟に〈金心〉を召喚し、毛針硬化。己の尾も肉体も硬化。
来る——水蒸気爆発!
腹を揺すり上げる爆発が巻き起こった。
火山などで巻き起こる水蒸気爆発は、時に山の崩壊を招くとんでもない破壊力を秘める。文字通り、地形を変える威力を秘めるのだ。
妖怪とて直撃すれば肉体は粉砕され、即死は免れない。
焜は幾重にも誓約をかけた。左腕一本をあえて犠牲に、その他の部位の爆裂を回避。〈金心〉も同様であり、両足を犠牲に上半身を強化。盾として主君に仕えた彼を、右手で撫で霊気に変えて輪廻に還す。
焜は妖力治癒を回す。妖力は丹田で練り、治癒術は前頭前野で回す。丹田と脳は脊髄の中枢神経で強固につながり、妖力の循環効率は高い。生命が妖術を使う上での進化として合理を突き詰めた結果だ。
焜の左腕が再生。骨、腱、筋肉と皮膚。
「自爆覚悟でやる? 普通」
いくら自分の妖力とて無事ではない。
だが、朱美はその期待を裏切っていた。
ほぼ無傷で突っ込んできた彼女は熱湯を噴射。焜は〈
水の防壁を張って、振動で爆発を減衰した——水蒸気爆発の妖力は己と同質の妖力だからそれだけでも充分な防御となるだろう。
焜は筒を抜いて〈翠鼬〉を召喚。二体のカマイタチが現れ、鎌の尾を振るう。風を纏う斬撃が、水の防壁を切り裂いた。
朱美の頬を裂いて、彼女はキャンバスを彩る赤い絵の具に興奮する。血は絵の具で、墨だ。彼女の美学において、戦いの場で流す血は敵味方問わず、命を彩る、最高の文学であり、絵だ。
水は木を育てる。水属性の彼女の術式的に木は有利に働く。だからこそ彼女も電気術の呪具だけで水蒸気爆発を起こせる発電量を賄えるのだ。普通に考えれば、そんな大電力は四尾以上の雷獣でなければ得られない。せいぜい二等級程度の呪具で、その発電量は無茶だ。属性相性による、術式の親和性で補っている。あるいは、着火限定という誓約だ。
〈翠鼬〉の一体がナイフで刺し貫かれる。喉を抉られ、霊気になって輪廻に還る。焜は残る一体のカマイタチに念話で命令。
素早く身を翻した〈翠鼬〉が木々を切り倒し、朱美を圧殺せんと迫る。
朱美は水のクッションを形成。水圧加圧をある程度は加えられるようで、弾力のある水が、一本四十キロから八十キロ近い木々を押し除ける。
だが積み重なり数百キロになったそれは、水を弾けさせた。
〈翠鼬〉に割り当てられた妖力が切れ、霧散。焜は霊獣に妖力という制限をあえて設けることで、術式精度を上げる誓約を課している。無論、状況に応じては自律・永続に切り替えるが、霊獣のコントロールを奪われた時の安全装置でもあるため、常にそれを行うには危険なのだ。
水が、突如蒸発した。焜は咄嗟に〈白犬〉を顕現して氷の防壁を展開。次の瞬間、二度目の水蒸気爆発が発生した。
倒れた木々が砕け散り、氷壁に大きなヒビが入る。表層が熱で溶けて垂れ落ち、朱美は熱気が舞う中飛び込んできて氷壁に触れ振動加熱。手のひらに己の水を纏っている。熱湯掌底で、氷が溶けていく。彼女の水と混ざり合い、氷が蒸発。
焜は後ろに飛びずさって小規模な爆発を回避した。
氷壁の破片の一部が右大腿を抉り、妖力治癒を行う。妖力治癒は便利だが妖力の消費量が大きく、頻繁に使えるものではない。暁人のように傷に対する適応という現象なら消費量はセーブできるのだろうが。
焜は霊獣〈翠鼬〉を一体と〈金心〉を一体顕現。いずれも木属性——風と雷撃の霊獣だ。焜にはまだ地属性の霊獣がおらず、これ以外の方法での水対策がない。
至近距離、迫る朱美のナイフを〈翠鼬〉の尾が弾き、焜は〈
ハクビシン獣人である〈金心〉が雷撃を纏った爪を全力で振るい、朱美の水を分解蒸発、小規模な爆発を起こしつつ突進。
不用意な水蒸気爆発と妖力の混合による自己へのダメージ——朱美は舌打ち。
素早く爪の連撃を回避しつつ〈翠鼬〉の尾を妖力を纏ったナイフで弾き飛ばし、〈金心〉に触れる。手の表面には水の塊。振動加熱は、水を限界まで加熱して〈金心〉を焼く。
身を捩った〈金心〉のそばで水蒸気に変えたそれにナイフで通電し、発電。爆熱が発生し、小規模の水蒸気爆発が起こって〈金心〉が弾け飛んだ。
その隙に〈翠鼬〉が接近して焜が〈金心〉の消失反応を利用して肉薄。
初めからやつにとって厄介な手札であると〈金心〉を刷り込ませた上で優先して破壊させ、さらに〈翠鼬〉を囮に隙を生んだのだ。
「糞狐——」
焜は八相に構え、袈裟懸けに斬撃。〈
生命力のコアである心臓は、妖力治癒がしにくい部位だ。一等級術師でさえ、治癒術の行使は困難と言える。
朱美はボバッと血を吐いて、数歩後ろに下がり、木に背をもたせかけて倒れた。
「ぎ——き、きれいに、なり……たい」
焜は血振りをした〈
〈翠鼬〉を輪廻に還し、ため息をついた。
「真人間みたいなこと言いやがって」
口汚く、焜は言った。
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