続幕 十の章 急転直下
第36話 稽古、そして襲撃
「
剣術道場、千穂川活心流の門を叩いた時、優男の青年という様子の、三尾の妖狐からそう言われたのを覚えている。
きっかけは野良あがりまもない頃。生後二十二年の彼女はとにかく餓えていた。妖怪が食って行くには陰陽師が手っ取り早いと聞き、剣術道場の軒下で暮らし始めて三ヶ月、当時の当主・千穂川隆三に見つかり、武道場に上げられた。
「わかりません。でも生きて行くために剣術は必要です」
「そうか。そうだね。それを教えていくのも僕の宿題だ。一緒に強くなっていこう」
それから焜は、十年かけ血の滲むような努力をした。その生活の中で尾は一本増え三尾になり、千穂川隆三の養子として迎え入れられ、名無しの野良妖狐から「千穂川焜」になり、鍛え上げられた。
野良時代一緒に暮らしていた、クラツキイワハミオオワシに喰われた狸の少女を弔う意味でも、自分は強くならねばと思い、稽古に励んだ。
三十四歳の茹だるような夏の朝、焜は免許皆伝を言い渡された。その時にようやく、師範代が本当は六尾であることを偽っていることを見抜けるようになっていた。
「私には妻も娘もいない。私に何かあれば君がこの道場を継いでほしい。無論、他の弟弟子に譲るなら、それでも構わないがね」
「もったいないお言葉ですが——私は陰陽師として衆生を救い、食い繋いでいくつもりです。教え導けるほど立派な狐ではございませぬ」
「そう言える時点で立派だよ。免許皆伝だ、焜。僕から伝えるべきは、全て伝えた。千穂川活心流を誇り、生きて生きなさい——」
×
それからは緩やかな時間が流れた。
一月十四日、木曜日。
その日暁人と焜は、輝子と美琴に白奈を預け裏山で稽古していた。健一郎は実母——暁人の祖母だ——の見舞いで家を空けており、白奈を預けることに心配はあったが、家には結界も張ってあるので何かあれば感知して飛んでいける自負があった。
暁人は天灯屋で預かった妖刀を抜く。青黒い刀身と、根本は黒紫。そのグラデーションが見方によっては龍の鋼を焼き溶かす劇毒にも、大蛇の血を凝固させてしまう猛毒にも思える悍ましげな様相であり、美しくも禍々しいものだった。
焜は漆黒の刀身を持つ〈
暁人は上段霞、焜は八相に構え、睨み合う。
剣士の戦いは、会敵前から始まっている。殺気の探り合い、歩法の観察、呼吸の感覚、瞳孔の開き具合、発汗、心拍——。
構えは、すでに戦闘のそれ。睨み合い、殺し合う、その宣誓。
呑まれれば、死ぬ。焜は歴戦の剣士。妖術を使わないこの模擬戦においても、彼女の実力は揺らがない。術師は術式が焼き切れた状態でいかに立ち回れるかが寛容。そのための呪具であり、式神だ。
踏み込みは暁人が先。初手、喉元を狙う刺突から入る。妖力を込めない、あくまで基礎剣術の打ち合いなので防御の護符があれば身を守ってくれるとはいえ、言うまでもなくそれは
焜は素早く身を翻してその場で旋転、足払いをかける。暁人は低くジャンプして躱し、上段から振り下ろされたそれを焜は即応、龍骸刀を鎬で受ける。
すぐさま鍔迫り合い、しかし焜は中国武術の寸勁にも似た体重移動を行う。股の間に差し込んだ足に体重を流し込んで剣越しに己の体重を暁人に移し込み、体制を崩し、顔面を蹴り付ける。
後ろに転がって暁人は木を蹴って跳躍、頭蓋を叩き割らん気概で剣を振るうが呆気なく防がれ、反撃の横薙ぎ。暁人は鞘で受け止めて着地、数歩たたらを踏んで静かに正眼に構える。
「大振り、雑。そんなんじゃ素人と変わらないわ。もっとコンパクトに刻むように。大技は最後までとっておく。皮を削ぐように、削るように切り込んでいく。博打を連続して打つより、堅実に稼いだ方がいいのは剣術も同じ」
焜が低姿勢で疾駆。肘関節を外して限定的な妖力治癒を駆使、加えて変化術を併用して右腕をぐんと伸ばし、脛切りを見舞う。
柳剛流が数々の剣才を鎮めてきた技であり、本来は薙刀で用いられる技法。刀で行うには間合いは狭すぎるという弱点を、焜は腕を伸ばすことで補った。
肘関節の意図的脱臼と限定治癒術、部分変化の駆使を加えた特異な脛切りは、千穂川活心流の扇の一つである「
暁人の左脹脛に刀身が激突。護符が守りを固めるが、衝撃が突き抜ける。
苦鳴を漏らしつつ焜の腕に上段切り、しかし焜は部分変化を解除して腕を引き戻すとその勢いで肘関節をはめ込み、素早く八相の構え。
剣道というスポーツ化された「競技」にはみられない構えだ。理由は単純で、ポイントとなる面も小手も胴も取れないからだ。ならば面を取りやすい正眼に構える方がずっと利点があるし、弱点をあえて晒す八相に構える意味がない。
だが殺人術——古武術において八相は極めて恐ろしい構えである。
半身になって右半身に剣を絞るように構え、切先を天に向けるその構えは、素人目にはバッターボックスに立った打者のようにも映る。無論、両者の構えは、まるで別物だが。
半端な斬撃や剣によっては、頭部に斬撃を見舞っても頭蓋の丸みで刀身が滑ることがある。なんなら、拳銃ですら頭蓋を滑って弾丸が皮膚と骨の隙間を滑ることがあるのだ。なので拳銃で自害する時は銃口を咥えて延髄を撃ち抜くか、耳から弾丸を送り込んで脳を破壊するのが基本である。まして妖怪の骨は軽量かつ頑強であり、骨を軽量に作る鳥妖怪ですらその強度は最低でも人間の五倍と目される。並の膂力で脳天唐竹割は至難である。
だが八相から袈裟に切り込めば肩、鎖骨を切り砕いて心臓を潰せる。丸みを帯びぬ骨であればあるいは、妖力込みの膂力で、上手く切り砕けるものだ。引き切り——斬鉄剣の応用ともなれば、骨と腱、筋肉をも断ち切れるだろう。
剣道家と剣術家の決定的な違い。焜は、活人剣とはいえ、悪を切るための殺人術としての剣技を我流と千穂川活心流で磨き上げた生粋の剣士だ。
暁人は発露された殺意を前に蹴りを見舞う。狙いは足元の腐葉土。舞い上がったそれらが視界を塞いで、焜の顔を歪めさせる。
狙いを逸らした——暁人は胴を狙い横薙ぎに振るう。焜は素早く剣の根元で防ぎ切り、暁人は左拳を振るう。ほとんど視界が聞かない中、霊視か、気配か——恐らく後者。音と空気の振動だけで判断したのだ。
暁人らとて、何も剣だけで戦え、とは言われていない。剣術とは、無論、体術も込みである。殴打、蹴り、締め技に投げ技寝技に至るまで、勝つならなんでもあり、が実戦剣術。陰陽師はそこに妖術が加わるが、稽古においては剣術は抜きである。
焜は左のジャブを頭突きで弾き飛ばし、暁人は護符のフィードバックに悶絶。護符がなければ骨が折れてただろう。龍の骨を砕くとはとんでもない石頭だ。
素早く太腿を薙ぐが焜はすかさず鎬で弾き、反対の左脇腹を狙う刺突を切先で逸らしつつ流し、暁人の顔面を左手で鷲掴みにすると、妖力強化による腕力で地面に叩きつけ、左足で腹を踏みつける。そして、切先を喉元に擬した。
「何か言うことはある?」
「……参りました」
焜は暁人を助け起こした。
「全体的に雑味が目立つ立ち回りね。剣に意識が向かいすぎているというか、もっと体の動きを織り交ぜたほうがいい。でも、腐葉土を舞上げて視界を塞いだのは悪くなかったわ。咄嗟の機転は、さすがと言うべきね」
「そりゃどうも。これからも暇な時に稽古つけてくれよ」
「いいわよ。バディが雑魚とか絶対許せないし」
「はっきり言うやつだなあ。もっとこう、褒めて伸ばすとかさ」
「私思いあがった勘違い馬鹿って嫌いなんだよね。だからって自己を過小評価する奴も好きになれないけど」
暁人はため息をついた。暁人の妖刀は自己修復の性質が付与されているようで、斬り合った刃が再生している。妖刀——呪具の中には、自己修復機能がデフォルトで組み込まれたものがある。二等級以上の呪具に見られ、一等級となればほぼ確実に組み込まれている。
暁人の妖刀は等級不明。座卓の鑑定士に見せれば何かわかるかもしれないが、依頼が済んだら少し見てもらうのもありかもしれないと思っていた。真名はわかりようもないが、作刀年代や刀匠から、妖刀の背景を学べるかもしれない。
焜の龍骸刀はヤマタノオロチの骨であるため、自己修復はむしろ当然だ。
ちなみに焜は限定的ながら妖力治癒を——効果範囲を縛ることで治癒精度を上げている運用だ——暁人自身も妖力治癒を使えるようになっているが、理屈というよりはほぼ八岐まかせの感覚である。そういう身体機能、と思って使っているのだ。
だが決して不死身ではない。脳と心臓の著しい損傷は八岐でも治せないらしく、その部位は死守しろよ、と厳命されていた。
心臓はヤマタノオロチの力の源であり、そして脳は妖力で治癒できるほど単純なものではない。ごく一部の損傷なら、時間をかければ治癒できるかもしれないが。
ヤマタノオロチの治癒術は、厳密には治癒ではなく傷への適応である。ダメージを受けた肉体、という物理的事象に対して逐一適応し、回復する。適応範囲はあくまでダメージであり、傷を負った過程ではないので攻撃そのものに適応が応用されることはない。
その時である。不穏な、嗅ぎ慣れない匂いが焜の鼻をついた。
妖怪の匂いではない。人間だ。堅気の匂いでもない。血と、殺意の——。
「暁人!」
「わかってる!」
——敵の接近。結界が破られた!
慌てて下山する。山を転げるように駆け降りた彼らの前に、二人の呪術師が立ち塞がる。
この状況は明らかに呪術師。普通の客なら結界を解く、なんて真似はしない。術師にコンタクトを取る方法がいくつかあり、それを行う。呼び鈴、という呪具を使えば、術師に容易にコンタクトが取れる。術師ならみんな、呼び鈴くらい持っている。なぜならエレフォンのアプリにもなっているからだ。
三十代後半の茶髪オールバックの男は熊革のジャケットにダメージジーンズ、ポーチと腰に妖刀という出立ち。
蛇のようにねばつく視線は嗜虐的だが、嫌な嗜虐性だ。あえて強者をいたぶる、天狗にありがちな「強い相手こそ屈服し、勝ち上がる」下剋上的な高慢ではない。
弱者を鋭く嗅ぎ分け追い詰め殺す、暁人の大嫌いな人種の目つき。生理的嫌悪が、背筋を這い上がってきた。
もう一人は二十代後半の金髪の女。冬物のブラウンのトレンチコートを着込んで、右手にナイフ型の呪具を握っている。
やけに粘っこい視線で焜を舐めまわし、ニヤついた笑みを浮かべた。
焜は静かに一息。妖刀を腰に下げつつ暁人から離れ、密かに一対一を誘導。
彼我の術師等級は、恐らく二、と判断。黒塚商会側のビンゴブックにも暁人たちの等級は二等級と記載されているだろう。同等級以上が来ることは、ほぼ確実。
「こいつらが三万働貨の首か」
「そうね。狐は私がもらう。毛皮を剥いでケープにでもしてやるわ。首は剥製にして部屋に飾ろうかしら」
焜が女の毛皮発言を小馬鹿にしたように笑う。
「ネクロノミコンって知ってる? 人皮で装丁された魔導書。お前の皮で溟月版ネクロノミコン作ってやるよ、阿婆擦れ」
「んだと害獣が」
「龍の鱗は漢方の素材としていい値が付くらしいな。生きたまま全身の鱗を剥いだ後首を落としてやる」
「優秀なサディストは言葉遣いが丁寧なんだぜ。お前、三流だな。そんなんじゃ女も痛いだけでうんざりだろ」
四名が臨戦態勢に移る。
睨み合いの中、暁人たちの戦闘が始まるのだった。
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