大河ドラマ「光る君へ」第12回で、左大臣・源雅信(益岡徹)の娘・倫子(黒木華)との婚姻の話を進めた藤原道長(柄本佑)。風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、平安時代の貴族の結婚について伺いました。
――平安時代の貴族の結婚はどのようなスタイルだったのでしょうか。
当時の結婚は「婿取り」です。以前は通い婚と言っていましたが、近年の女性史の研究によっていろいろなことが新たにわかるようになり、現在は「婿取り」という言葉が使われるようになりました。男性の家に女性を迎え入れるのではなく、女性の家に男性を婿として迎え、男性は複数の女性のもとに通っていくんですね。現代よりも衛生環境は悪く平均寿命が低かったので、家を存続させるために嫡妻のほかに複数の妾(しょう)を持つことが当たり前とされていました。例えば藤原兼家の場合、嫡妻である時姫のほかに、妾が道綱母(「光る君へ」では藤原寧子)をはじめ8人もいたようですね。変な男が娘の婿になりでもしたら家が潰れてしまいますから、婿を迎える家は相手の男性のことをよく吟味し、選んでいたようです。貴族の結婚のかわいそうなところは、本人たちの意志はおそらくほぼないんですね。ちなみに、男性がのちに女性の家に同居する場合もあったようです。また、財産は夫婦それぞれで管理をしていたみたいですね。
――どのように婿取りが行われていたのでしょうか。
お嫁さんが欲しい家と旦那さんが欲しい家とで取り決めるのですが、まず男性が懸想文(けそうぶみ)という恋慕の思いをつづった手紙をお嫁さんになるかもしれない女性に送り、連絡を取り始めます。そして、何度か和歌などのやり取りをするのですが、紫式部らと同時代に活躍した歌人で、藤原彰子にも仕えた和泉式部の場合だと、このときに結構相手の男性をもてあそんだりしていますね。
それで家族公認と…そもそも最初から家族公認なんですけれど、場が整ったら、男性が女性のもとへ夜中に忍んで通い、翌朝帰ることを3日間続けるのですが、3日目の夜には女性の父親が男性の靴を隠して帰れないようにしたりします。そして女性の家で食事が出されるのですが、このときに三日夜餅(みかよのもち)というお餅を食べるんです。これを食べると婚儀が成立します。ドラマではいろいろと省略されていますけれど。
――現代の結婚披露宴のようなものはなかったのでしょうか。
3日目の夜、または後日に露顕(ところあらわし)という披露の場がありました。そこで舅(しゅうと)と婿が酒を酌み交わしたりしたようです。ただ規模はまちまちですし、嫡妻の場合は行われることが多いのですが、妾の場合は割愛されたりもしたようですね。
――通う3日間は吉日を選んでいたのでしょうか。
そうだと思います。日記などを見ていると、女性のもとへ通う前に男性が女性の家に顔を出していたりもしますから、そこで綿密に相談をし、具注暦(※注1)を調べて縁起の悪い日が入らないように日程を組んでいるでしょうね。当時の結婚というのは、当人同士という以上に家と家との結婚という側面が色濃くありますので、現代とはいろいろと違うと思います。
【注1】具注暦(ぐちゅうれき)… 季節や日の吉凶などを示す暦注が詳しく書かれた暦(こよみ)。