長徳2年(996)1月16日、藤原伊周(三浦翔平)・隆家(竜星涼)兄弟と花山院(本郷奏多)との間で、従者同士が闘乱に及び死傷者を出す事件が起こりました。この長徳の変について解説します。
――従者を殺害された花山院
長徳2年(996)1月16日、朝廷を震撼させるとんでもない事件が起こりました。内大臣・藤原伊周とその弟の中納言・隆家が、藤原斉信の父である故・為光の屋敷で花山院と遭遇。従者同士が闘乱に及び、花山院に随身していた童子二名が殺害され、その首が持ち去られます。いわゆる長徳の変の発端です。
――不満を募らせる藤原伊周・隆家兄弟
長徳元年(995)6月19日に右大臣に任じられ、氏長者(うじのちょうじゃ)となった藤原道長。その座を叔父に奪われて後塵(こうじん)を拝した伊周と隆家は、道長に対して反目を強めていました。
藤原実資の日記『小右記』によると、同年7月24日に公卿(くぎょう)が会議を行う陣座(※注1)において、道長と伊周が口論に及んでいます。また7月27日には、道長と隆家の従者同士が七条大路で闘乱を起こし、その報復のためか、8月2日には隆家の従者が道長の従者を殺害する事態にまで至っています。
【注1】陣座(じんのざ)… 内裏の左右近衛府(さゆうこのえふ)の陣にあり、公卿が列座して政務を評議した場所。本来は近衛の詰所。
――寝耳に水だった藤原道長
伊周・隆家兄弟と花山院との間で起きた事件に関して、道長はまったくの無関係でした。事件の背景には、花山院と伊周との間で斉信の二人の妹をめぐる誤解があったという文学作品もあります。溝を深めていた伊周と隆家という政敵の自滅は、道長にとっても予期せぬことでした。