大河ドラマ「光る君へ」第18回で右大臣となり、公卿(くぎょう)のトップに躍り出た藤原道長(柄本佑)。長兄・道隆(井浦新)、次兄・道兼(玉置玲央)とは異なり、関白に就かなかった道長のねらいについて解説します。
――巡ってきた最高権力者の座
長徳元年(995)に疫病が大流行し、長兄・道隆、次兄・道兼をはじめ、藤原道長の上位にあった人物は、次々と亡くなってしまいました。生き残った藤原氏の序列は、内大臣・伊周、権大納言・道長、権大納言・顕光、中納言・公季。道長は二番手でしたが、道隆の嫡男である伊周を押しのけ、最高権力者の座に就きました。
これには、一条天皇の母である詮子の後押しがあったからともいわれています。詮子は道長の同母姉で年も近く、長い間一緒に暮らしていました。このため詮子は道長に対して、ほかの兄弟よりも親しみを感じていたようです。
――関白には就かなかった道長
道隆の死後は道兼が関白に就きましたが、道兼の死後に道長が関白に就くことはありませんでした。道長は内覧(ないらん)という地位に就き、その直後に右大臣に任じられて一上(いちのかみ)を兼任します。
内覧とは、太政官から上がってきたり天皇から宣下したりする文書(もんじょ)をあらかじめ内覧する役職です。関白とは異なり、すべての役職から上がってきた文書を内覧することはできませんが、ほとんどの文書は太政官から上がってくるため、役割としては関白とほぼ同じです。
また一上とは、太政官のトップのことで、陣定(じんのさだめ)と呼ばれる公卿(くぎょう)の会議を主宰します。通常、関白になると一上を外れるため、陣定には出席できません。けれども就いたのが内覧であったため、一上も兼任することができました。
――内覧と一上を兼任するメリットとデメリット
内覧と一上を兼任すると、文書を読んで天皇に助言をする仕事と、公卿の会議を引っ張っていく仕事の両方を行うことが可能となります。これは権力を掌握するうえで、非常に好都合でした。ただし当然ながらものすごく激務であり、道長はこれ以降、諸所に気を使いながら多忙な日々を送ることになります。