今日で「夕刊フジ」が休刊...創刊から56年、「オウム真理教事件」「あさま山荘事件」《時代の記録》への計り知れない貢献の歴史を振り返る
「人間くさい新聞」を目指して
創刊から56年。「オレンジ色のニクい奴」が今年1月31日をもって休刊を迎えた。 産経新聞社が発行するタブロイド紙として誕生したのは1969年2月25日のことだった。 【写真】世間を騒がせた当時の「夕刊フジ」の紙面 時を同じくして当時のフジテレビの鹿内信隆社長が役員会で『産経新聞』を『フジ新聞』に替えるプランを役員会に提案。この計画に異議を唱えたのが阪急の小林米三社長だった。 小林社長は『阪急や関西テレビは産経新聞やから応援してるのや。フジ新聞なんて僕は知りまへんで』と変更に反対。続けて『東京で新しい新聞を作ると言っておったね。あれをフジ新聞にしたらええがな』と伝えたという。これを受け、鹿内社長がフジという文言を入れるように指示を出し、最終候補に残った『フジ新聞』『日刊フジ』『夕刊フジ』の中から字面のバランスを見て創刊を控えたタブロイド紙は正式に『夕刊フジ』と命名された。 創刊から夕刊フジが目指したのは「人を描く、人間くさい新聞」だった。その方向性は創刊号から明確に誌面に反映された。
芸能スキャンダルをボツ
第一号の誌面候補に挙がっていたのがある芸能界を揺るがす大スキャンダルだったという。 取材班によって裏も取れ、まさしく掲載には万全の状態だった。しかし、編集トップを務めていた山路昭平氏が1面に選んだのは当時、参議院議員として注目を集めていた石原慎太郎の躍進を伝える記事。見出しは『300万票 衆院へ挑戦 慎太郎 新党 躍り出る』だ。この芸能記事のボツ理由について山路氏は「これを載せれば、夕刊フジはそういった新聞かとイメージがつく」と説明したという。 なかでも夕刊フジの存在を強く印象付けたのが創刊翌年に起きた三島由紀夫の自決事件を扱った記事だった。1970年、作家の三島氏が日本刀を持って東京・市ヶ谷の自衛隊本部に押し入り、バルコニーにて自衛隊に向けてクーデターという「決起」を呼びかけたのち、群衆の前で割腹自殺を図った出来事だ。 保守のカリスマによる「死の抗議」は世間を驚かせたが、夕刊フジは事件翌日の誌面で『三島の幻影 追うまじ』と題した一面記事を掲載。そこで繰り広げたのが夕刊フジ節とも言える事件、そして三島という男の強烈なまでの論評だった。当時の原稿には三島の行為についてこう綴られている。