誤解される人間は美しい。
京都在住の女性K様から「私の命が泣いている。私の命を抱きしめて欲しい」とご連絡をいただいた。伝説のハガーマン(ハグをするマン)で名高い私の正しい使い方である。K様は風俗で働いていると言った。風俗や極道、犯罪者や精神病者、乞食や遊芸人、修験者や引き篭もりの人々など、共同体を追われた逸脱者やよそ者やアウトローに会う機会が多い。何を隠そう、私もその一人だ。
彼らを異人と呼ぶ。異人は、社会的に排斥されながら、同時に敬われたり、畏れられたりもする。社会に溶け込めば、安心や安全を保障される。だから、一般的な人々は「本当はそれをしたくないけれど、生きやすくするために合わせてあげている」部分がある。ある程度のストレスは「ま、いいか」と受け流しながら、趣味や娯楽で散らす。他人や社会に合わせている間に、自分の好きがわからなくなる。自分の楽しいがわからなくなり、社会的に「これが楽しいことですよ」「これが正しいことですよ」と言われていることをやるようになる。頭が植民地化されて、操り人形になる。
異人は人でなしと言われる。人間のなり損ない。人間の出来損ない。人間の形をしているが、人間ではない。私は思う。誰もが内なる異人を抱えているのではないか。優しくするのは、優しい人だと思われたいから。愛想を振り撒くのは、嫌われたら死ぬと思っているから。嫌な誘いを断れないのは、自分と向き合う衝撃に耐えられないと思っているから。基本的には「ま、いいか」と受け流しながら、どうしても同じパターンを繰り返す。自分の何がいけないのだろうとか、どうして自分はちゃんとできないのだろうとか、同じ問いを繰り返す。「ま、いいか」では受け流すことができない問いに見張られている。問いから逃げることができない。逃げることができない問いの中に、その人自身の夢や、生きる意味が詰まっている。
自分は邪であるという強烈な自覚と、自分は神聖であると言う強烈な自覚は、矛盾しない。自分だけ綺麗でいたいという考え方は、虫が良すぎる。自分の邪を認めるほど、自分の聖が立ち現れる。体は傷つき、心も傷つき、だが、魂だけは無傷。問いの中に無傷の魂が眠っている。得体の知れないみんなを意識して、ちゃんとすることや人並みであることをばかり考えるようになると、自分が死に、自分と似た死体になる。私には、異人の方が人間に見える。人でなしの方が人間に見える。私は傷に興味がない。何が自分を傷つけたのかとか、何が傷を癒すのかとか、犯人探しに興味がない。傷の正体を告発するより、無傷なまま、体や心の傷で生き埋めにされた魂を掘り起こしたい。
日本を生きるために、日本を拒否する。自分を生きるために、自分を拒否する。自分を乗り越えるために、自分を矯正するのではなく、自分を極端に生きる。やり過ぎだと言われるほどに、自分を生きる。自分を振り切る。身も心もボロボロになりながら、それでもなお、無傷なまま残り続けている魂の存在を感じる。決して汚されることのない、決して壊されることのない魂のありかをつきとめて、掘り起こす。日本人らしくある必要はない。日本人らしさではなく、日本人そのものを掘り起こす。自分らしくある必要はない。自分らしさではなく、自分そのものを掘り起こす。人間らしくある必要はない。人間らしさではなく、人間そのものを掘り起こす。生き埋めにされた魂のありかをつきとめて、掘り起こし、解き放ちたい。
坂爪圭吾様
拝啓 初春にふさわしく、のどかな天気が続いています。
昨年、ホタテ忘年会でお世話になりました⚪︎⚪︎です。当日は体調が優れないなか、快く場所を提供し開催していただき、本当にありがとうございました。
その後体調はいかがでしょうか?割れたガラスがいつ直るのか気がかりでなりません。
あれからも坂爪さんのnoteを読ませていただき、当日あの場所に居合わせたことの意味や自身のあり方を内省しておりました。主催者の方がホタテを買うお金がなくなっていたことも知りませんでした。当日、集い騒いで、遅れてきた方の分のホタテを取っておくことなく全部食べ、ガラスを破損し、部屋を汚し、ゴミを残していった自分たちの行い。
坂爪さんに一度お会いしてみたいという気持ちで深く何も考えず、浮かれてのこのこ出かけて行った自分を今はただ恥ずかしく感じています。
2022年の5月に息子がコロナに罹患して私もうつり後遺症になり、仕事も家も失い、体調が思うように快復しないなか、残りの人生をいかに生きるかずっと考えていました。
昨年の夏に三年ぶりに実家に帰省し、90歳と89歳の両親を不衛生で物が異様に多い劣悪な環境ながら、近くに住む統合失調症の兄が世話をしている姿を見たことが転機になりました。自分の中で問いかけました。ネグレクト状態で私を育てた親をこれからも恨み憎んで、これからも一生うまくいかないことに出くわすたび人のせいにして生きるか、変えられない過去は仕方がないと、生きたいように生きることを許すのか。私はほんとうはどう生きたかったのか・・・等。
それで決めました。もう親を恨むのではなく、自分自身を大切にしよう、自分と仲良くなろう、やりたいことを一つずつやっていこうと。
そんな時、坂爪さんの文章を読み「君も人生を棒に振ってみないか」「正しく生きるとつまらなくなる」などの言葉に出会い、背中を押されたような励まされているような気持ちになりました。
17年程前に、当時まだ小さかった息子を連れて森のイスキアを訪れた経験があります。坂爪さんは初女さんに佇まいがとても似ていました。逢初庵も森のイスキアのような場所でした。余計なことを言わず聞かず、ただ坂爪さんご自身であられてその場にいる。そのことがどれだけ静かで心強いのだろうと思いました。その間合いに触れるだけで皆さん自分自身を思い出すのだと思います。
特に会話はしませんでしたが、横になっている時に聴いた坂爪さんのギターの音色は子守唄のようで、どんな言葉や態度よりも心に響きました。一生忘れないと思います。
乱筆乱文の長文をお許しください。せめて何かお礼をと思い、お花を贈らせていただきます。最後になりましたが、一日も早く体調が快復されますことをお祈りしております。
おおまかな予定
1月31日(金)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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