大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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をしへて! 倉本一宏さん ~藤原道隆ってどんな人だったの?

嫡男・伊周(三浦翔平)への権力の継承を願いながら、病により亡くなった藤原道隆(井浦新)。大河ドラマ「光る君へ」で時代考証を担当する倉本一宏さんに、藤原道隆の人物像や家族との関係などについて伺いました。

――古記録から見える藤原道隆とは、どのような人物だったのでしょうか。

藤原実資の日記『小右記』からうかがえる藤原道隆という人物は、あまり先例にとらわれず、非常に家族を大事にしたというか、一家のことを中心に考えた人です。例えば道隆は、嫡妻である高階貴子の父・成忠(なりただ)の位を二位まで上げています。二位というのは大臣クラスの位ですから、ただの学者である成忠が叙されるというのは、ちょっと非常識なところがあるんですね。

また、嫡男・伊周をなんとしても後継者にしたかったということが亡くなる寸前の記録からうかがえるのですが、さまざまな策謀を弄(ろう)していて、その都度、実資が怒っています。一条天皇もよい感情を持たなかったことがうかがえます。もちろん彼らは、なるべく子どもたちを高い地位に引き上げないと権力が継承できませんし、没落してしまいますから、しかたがないと言えばしかたがないのですが、公卿(くぎょう)社会において誰も支持する人がいなくなるばかりか、天皇の信任も受けられなくなります。ですから、晩年はかなり周りから浮いていたと思いますね。

あとは、清少納言が著した『枕草子』に出てくる道隆も、おそらく史実とあまり変わらないだろうと思います。当時の言葉で、「戯(ざれ)」と「才(ざえ)」というのがあるのですが、「戯」とはくだけた感じを表す言葉です。道隆は、この「戯」が非常に前面に出た人だと思います。一方、「才」とは漢文の知識などを指す言葉になるのですが、嫡妻の貴子は「才」が出た人ですね。

――道隆はユーモアのある人物だったということでしょうか。

そういうことですね。『枕草子』を見ていると、道隆は女房たちにいつも冗談を話しかけるような人だったというふうに描かれていて、それはその局面においては正しいのだと思います。道隆の「戯」は隆家に、貴子の「才」は伊周に受け継がれていると思います。

そして定子は、『枕草子』に描かれている限りでは、その両方を受け継いでいる感じがしますね。

――きょうだいとの関係は、どうだったのでしょうか。

詮子を非常に引き立てています。詮子は、円融院の死後に史上初となる女院の称号を与えられますが、これは道隆が主導しています。このとき公卿は批判的だったのですけれども、道隆がわりと強引にやってしまったということが『小右記』に書かれているんですね。詮子としては、道隆や道兼よりも道長とのほうが仲が良いのは確実なんですけれども、国母である詮子との関係が悪くなったら政治を安定して行うことができませんから、道隆も詮子を重視して大事にしていたと思います。

――道兼、道長とも仲が良かったのでしょうか。

道兼のこともかなり引き立てていますので、ドラマとは違って良好だったと思います。また道長についても、娘の定子が中宮となったときに中宮大夫というかなり格の高い地位に就けているので、道隆としては優遇したつもりだったんだろうと思います。道長自身がどのように思っていたかはわかりませんが。

―― 一条天皇との関係も良好だったのでしょうか。

非常に良好な関係だったと思います。一条天皇は定子や伊周と非常に仲が良く、道隆ともうまくいっていたということが『枕草子』に書かれています。ただし、早く皇子をという圧力をかなりかけていたようなので、一条天皇としては、ありがた迷惑な面もいろいろとあったのではないかと思います。

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