大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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をしへて! 倉本一宏さん ~藤原道兼ってどんな人だったの?

兄・道隆の亡きあと、関白となって権力を手にするも、志半ばでこの世を去った藤原道兼(玉置玲央)。大河ドラマ「光る君へ」で時代考証を担当する倉本一宏さんに、藤原道兼の人物像や交友関係などについて伺いました。

――古記録から見える藤原道兼とは、どのような人物だったのでしょうか。

道兼の政権はわずか7日間という短期で終わったので、単なる中継ぎのように思われがちですが、もしも疫病にかかって死ななければ、かなりの長期政権になっていただろうと思います。『大鏡』には「非常に冷酷で、人々から恐れられていた」、『栄花物語』には「顔色が悪く毛深く醜かった」などとずいぶんと悪く書かれていますが、これらは道長を美化するように書かれていますから、これが本当だったかどうかはわかりません。たまたま早くに亡くなってしまったので、みんなが道兼のことを悪く言っているということです。

実は、道兼は藤原実資の日記『小右記』や藤原行成の『権記』によく出てきます。儀式について、実資や行成と打ち合わせをしていたりするんですね。儀式や政務にうるさい実資や行成が評価しているので、道兼は非常に熱心な勉強家で、かなり立派な人だったのだと思います。

――道兼は実資と交友があったのですね。

『小右記』正暦元年(990)11月15日条に、粟田山庄という道兼の屋敷で行われた芋次(いもついで)という宴会に実資が行き、かなり酔っ払ってしまったので翌日は休んだという記録があります。実資が休むというのは、よっぽどのことです。道兼と仲が良かったんでしょうね。実資は基本的に、そういう場には行きませんから。

――道兼の妻はどのような人だったのでしょうか。

妻となった繁子は道兼の叔母にあたるのですけれども、一条天皇の御乳母(おんめのと)といわれています。御乳母というのはただの授乳役や教育係ではなくて、かなり強い天皇への影響力を持っているんですね。女官の中ではトップクラスです。道兼が関白となったときには繁子と別れてはいますが、そういう女性を妻にしていたということは、後宮をも支配できていたのではないでしょうか。道兼は高い教養、強力な地盤に加え、花山天皇を内裏から連れ出して出家させるほどの行動力を兼ね備えた、かなり有力な人物だったのだと思います。

――きょうだいとの関係は、どうだったのでしょうか。

道隆の死後に道兼を関白に選んだのはおそらく詮子だと思いますので、道長には劣るものの詮子との仲は良かったと思います。ただし、関白になってすぐに亡くなってしまいましたから、道兼の政治手腕や道長との仲についてはわかりません。

――ちなみに、ドラマでは道兼の粗暴な一面が描かれていましたが、配下には慕われていたのでしょうか。

『古事談』という鎌倉時代初期の説話集に、道兼の家人であった源頼信が、道兼のために道隆を殺そうとしたというエピソードがあります。頼信は清和源氏で、武勇に優れて受領を歴任し、のちに河内源氏の先祖となる人物です。そんな男が道兼を兼家の後継者にしたいと考え、兄である源頼光に打ち明けたところ、制止されたというんですね。この話が本当かどうかはわかりませんが、頼信が道兼のために道隆を殺そうとしたという説話が残っているということは、それほど二人の関係が強かったということでしょうし、道兼は周りの人からも頼りにされていたのだと思います。

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