大河ドラマ「光る君へ」第20回で無官から脱し、越前守に任じられた藤原為時(岸谷五朗)。時代考証を担当する倉本一宏さんに、なぜに為時が越前守に抜擢(ばってき)されたのかについて伺いました。
――藤原為時が越前守となった経緯を教えてください。
為時はずっと六位の無官なので、国司の最高責任者である受領(ずりょう)の申文(もうしぶみ)なんて出せないはずだったのですが、長徳2年(996)になって突如、状況が変わりました。1月初旬に叙位という儀式があるのですが、為時はいきなり従五位下(じゅごいのげ)になりました。なぜなったのかはわかりません。ふつうは年爵(ねんしゃく)といって、院、東宮、后、公卿(くぎょう)といった有力者が推薦するんです。為時にはそんなコネはないはずなんですけれど、いきなり従五位下になったんです。
六位では受領になる資格がないのですが、従五位下になったので資格が得られ、申文が出せるようになりました。そして1月25日に淡路守に任じられました。淡路は律令制では下国(※注1)にあたります。今はとてもステキなところですが、当時は田んぼが少なくて、それほど米が収穫できなかったでしょうから、貴族に人気の受領というわけではありませんでした。けれども、これだけでも大抜擢です。
【注1】下国(げこく) … 律令制において、面積や人口などによって諸国を大・上・中・下の四等級に分けたうちの最下級の国。和泉・伊賀・志摩・伊豆・飛騨・隠岐・淡路・壱岐・対馬の9か国。
――淡路守に任官できたことで、すでに大抜擢なんですね。
1か月前まで、六位の無官でしたからね。それで、除目(じもく)には直物(なおしもの)という訂正があるんですが、3日後の1月28日に直物があり、越前守に任じられていた源国盛と淡路守に任じられていた為時が、受領を交代することになりました。
この国盛という人物は、藤原道長の乳母子(めのとご)ですので、道長と深い関係にあります。国盛はこれまでに受領をいくつか歴任していますので、そんな彼が大国(※注2)である越前守から淡路守に替えられるということは、すごく格落ちなわけですね。説話だと悔しくそのまま寝込み、亡くなってしまったというように語られていますけれども、実は、国盛はそのあと播磨守に替えられているんですよ。播磨は大国の一つで、院政期以降には一番格の高い国になります。つまり、この一連の流れは、おそらく道長の筋書きどおりだと思います。
【注2】大国(たいこく)… 律令制において、面積や人口などによって諸国を大・上・中・下の四等級に分けたうちの、第一位の国。大和・河内・伊勢・武蔵・上総・下総・常陸・近江・上野・陸奥・越前・播磨・肥後の13か国。
――どうして為時が越前守になれたのでしょうか。
長徳2年の除目は、藤原道長が政権を握ってから初めての除目になります。このころは漂着した宋人が越前にいて、あちこちでドラブルを起こしていました。兵士のトラブルも起きていたようなんですね。越前は都に近く、宋人に攻め込まれでもしたら大問題ですから、朝廷としては越前守に、宋人を大宰府に回すか、もしくは宋に帰らせることを求めたのだと思います。それで白羽の矢が立ったのが、漢文に優れて、宋人とも意思疎通ができた為時というわけです。けれども、いきなり前年まで六位で無官であった為時を任命するわけにはいきませんから、まずは淡路守とし、そののちに越前守としたのでしょうね。