「光る君へ」で描かれるのは、紫式部や藤原道長が生きた平安時代中期。これまであまり大河ドラマでは描かれてこなかったこの時代の物語を演出するうえでの思いや工夫について、チーフ演出の中島由貴が語ります。
――「光る君へ」を演出する中で感じる平安時代の魅力を教えてください。
歴史の授業ではあまり深く掘り下げられないので、とっつきにくい時代だと思います。私自身、平安時代の貴族は悠々自適に暮らしていて、和歌とか管絃とかばかりしている人たちというイメージがありました。しかし書籍などを読んでいろいろと調べていくと、貴族の男性はいわゆる国家公務員として普通に働いていて、忙しかった姿が見えてきました。また、弓を射ったり、馬に乗って打毬(だきゅう)という競技をやったり、狩りをしたり、結構アクティブです。女性たちも、残っている和歌や日記を読むと、思っていたよりも精神的に自立しているなという印象があります。完全に男性優位社会だったならば、女性が詠んだとわかる歌を残すことはなかったのではないでしょうか。文化的にはお互いを認め合っているような、そんな空気も感じます。夫と妻の財産が別々管理だということにも、驚きました。妻の政所(まんどころ)、つまりオフィスのようなものも存在したようです。宮中では、出世を願う男性が女官や女房に口をきいてもらおうと訪ねたようですし、表向きは政治にからんでいなくとも、政治的な影響を及ぼす女性たちが何人も登場します。武士による封建制になる前は、男性にひけをとらないくらいに、女性たちが活躍していた時代かもしれません。<国家公務員とキャリアウーマンの話>と思うと、かなり身近に感じていただけるのではないかと思います。戦(いくさ)がないからこそ文化が花開き、文化の前では男女を問わない。現代に通じるものを感じます。
――大石静さんと共に脚本を制作する際に意識していることはありますか。
この時代でパッと名前を挙げられる有名な人物は、紫式部、藤原道長、清少納言の3人くらい、ましてや、平安時代に起きた出来事や事件はあまり知られていないだろうという前提で、「年表ドラマにはならないようにしましょう」とお話しました。史実に合わせて一話完結にするのではなく、それぞれの人間を深く掘り下げていくような、連続するドラマとして質の高い「人間ドラマ」を目指して脚本作りをしています。大石さんが書かれる人物は皆人間臭く、とても魅力的なのです。あまりきれいごとを言わないし、「世の中を変えたい」というようなスローガンを前面に出したりはしません。どの時代も、例えドラマであっても社会生活における人間のリアリティーにこだわりながら書いてくださっているので、今を生きる私たちが共感できることが多々あると思っています。大きな戦がないので地味と思われるかもしれませんが、主人公が次々と降りかかる試練にどう立ち向かうか、貴族たちが抱く野心と陰謀が政治にどう作用するのか、男社会の裏で暗躍する女性たちのしたたかさが国にどのような影響を及ぼすのかなどなど、人間たちの熱き戦いが繰り広げられます。人間の内面こそが一番ドラマティック。大石さんの手によって、時にはユーモアも交えながら、一筋縄ではいかない人間たちのドラマがぐいぐい展開されていくので、毎回ドキドキしながら原稿を待っています。
――大規模な戦がないぶん、人間どうしの心理戦が多い印象を受けるのですが、そのあたりの細かい表現を映像としてはどのように意識しているのでしょうか。
キャラクターを記号化しないことを大事にしています。人はそう単純ではありません。例えば、実際に話している言葉の裏でまったく違うことを考えていることもあります。シーンによっては「他人に対して心の内側をそんなに簡単には明かさない」ということを大事にしたくて、芝居の面でも「こう言っているけど本当はこう考えている。こう考えてもいる」など、表現が単純化しないよう、俳優のみなさんにお話する時もあります。クローズアップで撮らないとなかなか本心が伝わらないくらいに、俳優のみなさんには繊細な芝居をしていただいています。
――当時の世界観を表現するために、そのほかに演出面で工夫されていることはありますか。
美術にすごく力を入れています。天皇が暮らす内裏(だいり)や上級貴族の屋敷などは白木(しらき)を使ったきれいなセットになっていて、その一方でまひろの家は、父・藤原為時が貴族の端くれですけれども貧乏なので、茶色の古木のセットになっています。貴族社会における身分差をきちんと描くことで、下級貴族の娘が宮中に出仕するまでのストーリーもおもしろく見ていただけるのではないかと思います。
また、庶民の世界を表現するのに、“散楽(さんがく)”という芸能を仕掛けています。実際の散楽がどんなものだったかはわかりませんが、『新猿楽記』を読むと、<滑稽劇の神様><腸をよじって笑いこける>などの描写が書かれています。そんなことをヒントにオリジナルのパフォーマンスを考案しました。散楽の人物も重要な役で登場しますし、身分が低くて貧しくても、路上パフォーマンスを見て楽しんで生活しているたくましい民の姿も見ていただきたいと思います。
衣装も見どころの一つです。平安時代といえばかさね装束、女性も男性も色、または色のかさね方でキャラクターを表現しています。宮中で働く女性たちは女房装束という、何枚も着物を重ねた重い装束を身に着けているのですが、とにかく美しいです。対して主人公のまひろは貧乏貴族の姫ですし、物語上いろいろと冒険をしてもらいたいので、草履(ぞうり)を履(は)けばいつでも外に出られるくらい身軽な格好をしています。セットと同じく装束でも身分差を表現しているので、まひろの変化、成長ぶりが見た目でもはっきりとわかると思います。技術的には4Kカメラで撮影しており、セットや衣装の美しさが十二分に伝わるよう、発色豊かな映像作りを心掛けています。
――まひろを演じる吉高由里子さんの印象を教えてください。
私は今回初めてご一緒するのですが、話しやすくてピュアでステキな方だなと感じています。現場にはとてもまっさらでいらっしゃいます。一緒に試行錯誤しながら「こういう感じ」と説明すると、グッと表現のしかたが変わります。気持ちがちゃんと伝わるような表情になるというか、変化するスイッチを持っているというか。やはり相手がいてこその芝居なので、自分であらかじめ決め込まず、オープンな状態で来てくださるのはとてもすばらしいと思っています。それと、芝居にウソがない。左利きなのに、書も琵琶も右手でやらなければいけないのですが、何度も稽古を重ねてくださったので、文字も音も吹き替えなし。信頼できるステキな俳優さんです。どんな人にも垣根がないので、スタッフも皆彼女のことが大好きです。
――ちなみに『源氏物語』はドラマ内でどのように扱われる予定なのでしょうか。
『源氏物語』自体を映像化することはしません。あくまでも<紫式部の人生>にフォーカスすることが主だからです。『源氏物語』の映像化は創作物の再現ドラマのようになってしまいそうで多分うまくいかないし、あれだけの長編をダイジェスト的にお見せしても原作の良さが伝わらない。光源氏は読者それぞれにイメージがあるので、具現化することの難しさも感じています。それよりも、まひろが経験するさまざまな出来事の中に、「あ、これが『源氏物語』のあれにつながっているのかも」というエピソードを少しずつまぶしていけたらいいなと考えています。なぜ彼女があの物語を書いたのか、どうしてああいう物語になったのかというのを想像したときに、書物から得た知識だけでなく人生で経験した数々のことが積まれていないと、あのような生々しい人間世界が書けないだろうと思ったからです。『源氏物語』に詳しい方が気づいて楽しんでいただけるくらいのさじ加減で、『源氏物語』のエピソードを入れることができたらいいなと思っています。
――これから「光る君へ」をご覧になるみなさまにメッセージをお願いいたします。
平安時代ど真ん中、手掛かりは『枕草子』『源氏物語』と道長の有名な歌「この世をば」くらい。ほぼ知られていない人物たちによる、ほぼ知られていない出来事を語るドラマ。作り手にも見る側にも正直ハードルが高すぎる題材ではありますが、登場人物たちを身近に感じてもらいつつ、歴史的な醍醐味(だいごみ)も味わえるような内容になっております。また、ドラマを見続けていくうちに、主人公を含めてお気に入りの人を見つけてもらえるような群像劇としても楽しめるし、和歌・漢詩・書・管絃など貴族たちの教養の香り、貴族に対するカウンターの散楽、馬に乗って行う打毬など見どころも満載です。そしてなによりも、権謀術数渦巻く中でまひろと道長の人生がどのように絡み合うのか、ぜひドキドキしながらご覧いただけたらと思います。
ラブあり、美あり、政治あり、文化ありの「光る君へ」。
千年前の空と同じ空を私たちは見ています。同じ空の下で生きていた人々に思いを馳(は)せていただけたら幸いです。