大河ドラマ「光る君へ」

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部

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をしへて! 佐多芳彦さん ~光源氏も身にまとった特別な格好「直衣布袴」

娘三人が天皇の后(きさき)となり、威子(佐月絵美)の立后(りっこう)の儀のあとに行われた穏座(おんのざ)において、有名な「望月の歌」を詠んだ藤原道長(柄本佑)。大河ドラマ「光る君へ」で風俗考証を担当する佐多芳彦さんに、このシーンでの道長の服装について伺いました。

――「望月の歌」を詠む際の道長の服装は、何というのでしょうか。

これは「直衣布袴(のうしほうこ)」といって、選ばれし者でなければ気後れしてしまう、極めて特別な格好です。
まず、平安貴族の中でも公卿(くぎょう)以上の人物が自邸で威儀を正す際に身にまとう格好として、「布袴」という姿があります。布袴は、朝廷に出仕する際の正式な服装である束帯姿(そくたいすがた)から、はく物を表袴(うえのはかま)ではなく指貫(さしぬき)に変えた格好であり、冠(かんむり)をかぶり、上着は袍(ほう)を着て、下襲(したがさね)を付けて裾(きょ)の長さで職を示すという感じです。
そのうえで「直衣布袴」は、上着は袍ではなく直衣とした姿になるのですが、これは貴族たちにとって、威儀を正したうえで最もカジュアルにした最上級の格好となります。

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――貴族たちはなぜ気後れしてしまい着られないのでしょうか。

「直衣布袴」は、紫式部が著した『源氏物語』の第八帖「花宴(はなのえん)」において、光源氏が身にまとった姿が登場します。このことが示すように、「直衣布袴」は当時の貴族社会において認知されていた格好の一つなのですが、『源氏物語』の中でこの姿をしたのは、光源氏ただ一人です。つまり紫式部としても、「直衣布袴」というのは家柄が良くて、政治権力も強く握っていないと着られないような、ものすごく特別な格好という認識であったということになります。このためか、院政期の藤原家の貴族らが「自分もこの格好をしたい」と憧れたようなのですが、「気持ちで負けてしまい、着られなかった」と日記に記していたりします。「直衣布袴」を身にまとうのは、ものすごく器量のいることだったようですね。

――「直衣布袴」を下襲の裾を引きずっていますが、束帯姿の場合とは違い、たたんで腰のあたりで固定することはしないのでしょうか。

「直衣布袴」の場合は、上着は直衣を着て、石帯というベルトのようなものを付けません。このため下襲の裾は、引きずるしかないと思います。それにしても、この写真はすばらしいですね。下襲の裾の長さを視聴者のみなさんにも感じていただくことができますし、裾の中央に折り目がついていますので、この宴(うたげ)で公卿たちを迎えてもてなすために、道長が新調した品を身に着けているということも感じられます。

――道長が「直衣布袴を着た」と記録が残っているのでしょうか。

残念ながら、道長の服装に関する記録はあまり残っておらず、「直衣布袴を着た」という記録は見つかっていません。何代もあとの子孫たちの日記に、「赤い服が好きだった」というようなことが少し書いてあったりするのですが、道長が生きていたころの日記には、道長が着ていた服装に関する記録はほとんどないんです。
けれども、道長が有名な「望月の歌」を詠むシーンは、やはり一番見栄えの良い格好にしたいという演出意図があり、また「光る君へ」ではできる限り当時の姿を再現しようと取り組んでいる中で、「直衣布袴」はぜひとも登場させたいと切望していた装束の一つでしたので、このシーンにおいて道長が着るにふさわしい格好として「直衣布袴」を選びました。道長が「望月の歌」を詠んだ宴は、彼の政治権力の絶頂を表す一つの場面になりますけれども、極めて特別な格好である「直衣布袴」を身にまとうことによって、それをより視覚的にも表現することができたのではないかと思います。
ようやくこの「直衣布袴」を再現し、映像でお届けすることができ、とてもうれしく思っています。道長のこの「直衣布袴」は、本当に最高ですね。

 

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