能登地震が奪った父、残したい「大谷塩」 継いだ娘は仲間と春を待つ
昨年の能登半島地震は、石川県珠洲市で地域に根付く伝統的な塩づくりの担い手の命も奪った。離れて暮らす娘は塩を通し、知らなかった父の一面に触れた。会社を引き継ぎ、地元の若い後継者たちと、また塩をつくれる春を待つ。
能登半島の先端近く、日本海に面した大谷地区の海岸沿いは「塩街道」と呼ばれる。500年以上前から能登で続くとされる伝統の揚げ浜式製塩をはじめ、多彩な製法を競うように塩田が並ぶ。その一つ、「大谷塩」として親しまれてきた天然塩をつくる中前製塩の中前賢一さん(当時77)は、昨年元日の地震で亡くなった。
中前さんの三女、阿部良枝さん(47)は、山形県新庄市で夫とラーメン店を営む。地震を知って父に電話をしたがつながらない。その後、倒壊した自宅で亡くなっているのが見つかった。
「塩づくりを続けたい」。葬儀で阿部さんにそう声をかける人がいた。父のもとで働いていた上谷(かみや)達也さん(36)だった。
父は、新しいことを考えるのが好きな人だった。20年余り前に建設業から転身し、砂の上に海水をまく伝統の揚げ浜式製塩に創意工夫を重ねた。労力を減らして若い世代が仕事として続けられるよう、砂利の上で海水を乾かす塩田をつくり、傾斜の角度などを試行錯誤していた。
そうしてつくられた大谷塩を使い、阿部さん自身がラーメン店「麺武者」で提供する「塩パイタン麺」は人気メニュー。味の良さはよくわかっている。父の技術を知る上谷さんと手を取り、山形から通って経営を継ぐことにした。
焼き肉店、天ぷら屋、宿泊施設……。大谷塩の味にほれ込んだ取引先の人たちは「いつでもいいから」と待ってくれた。天井がはがれるなど被災した製塩の作業場は、大工や左官といった父の生前の知り合いが駆け付けて修繕してくれた。
阿部さんは「『お父さんによくしてもらった』という声をたくさんかけてもらいました」と言う。移住した若者によく声をかけていたこと、お客さんと長く話し込んでしまうほどおしゃべり好きだったこと。これまで知らなかった父の姿だった。電話注文をしていた遠方の常連客が、電話の向こうで泣きながら「中前さんと話すのがすごく楽しみだった」と言ってくれたこともあった。
昨年2月に再開へと準備を始め、4月に阿部さんが中前製塩の経営者となった。太陽と風の力で海水を乾かす塩田で塩がつくれるのは4~10月。上谷さんと、かつて父に教わって今は別会社に勤める高橋遼生(はるき)さん(36)が週末に塩づくりを担った。
上谷さんは「仕事には厳しいけれど、それ以外ではすごく気さくだった。戦後の食べ物のない時期に育ち、塩むすびがおいしかった、という話もしてくれた」と振り返る。「設備が十分使えるのに、製塩をやめたら中前さんに怒られます」
だが昨年9月に奥能登を豪雨が襲い、大谷地区は甚大な被害を受けた。中前製塩の塩田にも土砂が流れ込んで塩づくりは中止に。それでも阿部さんは10月、大谷塩を使ったラーメンの炊き出しのために避難所へ駆け付けた。「父がいたら、必ず『炊き出しに来い』と言ったはずですから」
豪雨で塩田に流れ込んだ泥は、ボランティアの力も借りながら取り除き、今春の再開に備えている。
阿部さんはこの1年で、父が地域に広げてきたつながりと、その塩が多くの人に親しまれていることを知った。「『大谷塩』という名前が、少しでも大谷のみなさんの励みになれば。父がつくってくれた塩を、つなげていきたい」と話す。
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令和6年能登半島地震
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