健常者は「真面目」と「ふざける」でバランスを取っている
たとえば貴乃花はよく周囲と絶縁するが、貴乃花は発達障害者であり、それに対して周囲は定型発達者(健常者)である。それでは、周囲が立派な人間かというと、まったくそうではないし、人間のクズだらけである。これは一定の人間が必ずサボるという法則と同じで、貴乃花のアスペ的な生真面目さが、周囲をサボらせるのだと思う。貴乃花が真面目にやればやるほど、周囲は堕落していってバランスを取る。そもそも「真面目」と「ふざける」は役割交代していることが多く、誰かが真面目なら自分はふざける、誰かがふざけていれば自分は真面目、ということもある。そこは流動的である。健常者はカメレオンだ。そのときそのときの人間関係のバランスで人格が異なる。貴乃花だと、そういう役割交代はなさそうだし、貴乃花だけが真面目で、他の人はふざけるという固定化が起こってしまう。斎藤知事が生み出している状況も似たようなところがあり、貴乃花的な人物という見方もできる。真面目な人間を見たら、バランス調整のためにふざけるという健常者的な対応が、様々な疎外や堕落という結果になる。斎藤知事は真面目なコミュ障であって、発達障害者とまでは言えないだろうが、健常者の「ふざける」の度が過ぎて、いつの間にか、貴乃花がまともに見えたり、斎藤知事がまともに見えたりするのである。これは解決すべき問題というよりは、そうなっているのである。「ふざける」というのは、必ずしも悪いことではなく、何かしら平均あたりで調整している。斎藤知事を絶対に許さないという人たちは、凡人なりのプライドもあるのだろうし、なかなか難しい。