潰乱する自由社会
最近は、多文化社会は人気がなくなって、というよりは、もうちっと正確にいうと「自分と異なる色々が我慢できない」人の声がおおきくなって、もともと偏狭で同じことばかりやりたがる人間の性質というものを考えると、おおくの歴史が示すように50年くらいは排斥傾向が続くかなあ、とはいえ、なにごとにも変化が速くなって、かててくわえて、非常に早い時期にAGI化しそうなAIに、寛容と不寛容の損得を説かれて、特に経済においては開放市場を始め、巨大企業を別にすれば寛容が利益を生むことは判っているので、案外と早期にこの世界を覆う非寛容も終わるかなあ、と思ったりで、どんなもんだろう、とよく考える。
わしガキの頃は、例えばロンドンでさえ、「真っ白」に近い状態だった。
人間は穏やかで「discipline」の国であって、チェンマイみたいというか、
ロンドンのCBDですら、10メートル先を歩いている人が、歩道を渡るかっこうになったときに、こちらを見て会釈するのが普通のことだった。
もっと判りやすい例でいえば、オカネを持たずに出かけても、特に慌てて家に戻る必要はなくて、住所と電話番号を告げれば、「かしこまりました」で、次のときの支払いでよかったし、
昔から、牡猫なみに、隙さえあれば両親や家のひとびとの目を盗んで、ふらふらと出かける子供だったが、当時のホテル「フォルテ本店」の前で、突然、気分が悪くなったことがあったが、
ホテルから若い女の人が飛び出してきて、「大丈夫?気分が悪いの?なかで紅茶を飲んで休んでいきなさい」と肩を抱いて連れていって、安楽椅子に座らせて、ポットにいっぱいの紅茶をふるまってもらった。
言いもしないが、訊きもせで、問わず語らず、そういうときにお代を取る人はいません。
一方で、真っ白理屈だけで、退屈で、いまのロンドンからは想像も出来ない、巨大田舎町のような場所で、ただただ善意が煮詰まって煮凝りになったような街で、ひとびとはあくまで礼儀正しく、親切で、当時はだいたい話し言葉から習慣まで、丁度2世代くらい連合王国の後を歩いていたニュージーランドに至っては、500万円というような大金を、プライヴェイト小切手で、普通郵便で送るのが当たり前だった。
銀行に至っては、牧歌的というかなんというか、後年、カンボジア人夫婦の別れた奥さんが、若い愛人と駆け落ちに奔って夫を捨てる駄賃に
3億円だったか、引きだして行方をくらます、という事件が起きるまでは、「声でわかる」という理屈で、電話だけで大金を送金してもらうことが出来た。
お互いの信用だけで出来ている社会で、そういう点では、いま考えても、行きつくところまで行きついた社会だったと思います。
そこから20世紀末、「broken english」の時代が来る。
broken englishという呼び名を悪い意味に取る人がいるが、そうではなくて、通りでbroken englishが飛び交う、ウキウキするような、国際化、多彩化の時代、という意味です。
常においてけぼりを食らう下層階級のひとびとは、パンクロック酒場のようなところで憂さを晴らして社会への不満をぶちまけ、観光名所になったカムデンには過去には「ナマ」ないろとりどりに髪の毛がおっ立ってチェーンをジャラジャラ言わせるにーちゃんたちが屯していたのは有名だが、
broken englishの時代になると、中身が消失して、観光以外は、ただの時代遅れな目立ちたがりになっていく。
マンハッタンなら、イーストヴィレッジだろうか、どんどん多様化が進んで、わしなどは、その時代を通じて育ったので、色々な文化が入り乱れているほうが、案配がいいし、落ち着けるが、
あれから30年が経って、ついに「もう寛容でいることには、うんざりだ。ここはミドルイーストじゃないぞ」と怒る人が増えて、意外というか、なるほどというか、
最も怒りを滾らせて、憎しみを見せているのは、先に移住してきた、アメリカならばラティノたち、連合王国ならば東欧人、ドミニカンや中東のひとたち
で、狡猾を以て鳴るアングロサクソンの面々は、務めて表情を変えずに、目立たないように支持を与えて、小さく頷いていればよかったが、そのうちに、繁栄に飽きたひとびとの不平のなかから、ファラージュの輩が現れ、そこに大規模データを扱う人間に多い詐欺師体質の人間たちが目を付けて、楽屋裏で世論を操作しはじめます。
ケンブリッジ・アナリティカのころまでは、黒幕のザッカーバーグに、やや学生じみたマヌケなところがあることも相俟って、馬脚が現れ、むかしむかしの昭和流行歌をツイッタのタイムラインの面々と見て遊んでいたら都はるみというひとの「あら、見てたのねえ!」という明るい声が響く面白い歌があったが、そのまんま、あら見てたのねえええー!で、ばれちったが、
ゲーマー族として超一流のゲーム能力を持つ、読み手がザッカーバーグよりも遙かに先のイーロン・マスクという怪物が登場するに及んで、多分、よっぽど奇跡の大逆転が起きない限り、民主社会はもう終わりで、多分、北欧諸国やオーストラリア・NZの、小国社会だけで、伝統芸能の伝承ではないが、細々とつづいていくだけになるのではないか。
姿が見えて来た「新しい社会」は、「新しい」というと、迂りなりにも進歩しつづけてきた現代世界がつくった言葉の印象で、なんだか良いことのようだが、正反対で、
オダブツの民主社会の代わりに現れるのは、人口の1%に満たない富裕層を頂点の階層とする
、そのなかでも飛び抜けたスーパー・ビリオネアと民主社会を破壊する政治力を持った極右政治家による寡頭政治で、なんだか、そんなこと現実に起きるのか、という気がしなくもないが、実は過去の歴史にはいくらも例があることで、日本の人に馴染みがありそうな「おおきな」例でいうと、共和制ローマが帝政に変わってゆく経過や、さらに古く地中海の僭主政の出現などは、日本でも「高校で教わった」と聴きます。
いずれの場合も、民主政にフラストレーションを感じた、嫌な言葉を使えば「底辺」の庶民の怒りが支えたムーブメントで、その結果、いちばん酷い目に遭ったのは庶民自身だが、いやったらしい賢しら顔のエリートの冷笑で歪んだ口元を見ながら一生を過ごすくらいなら、破滅のほうがまだマシだ、という気持ちは、判らなくはないような気がする。
それを「大衆の愚かさ」だと切って捨てる人は、フランス革命も、まったく等質な破壊の情熱によって起きたことを想起すべきであるとおもわれる。
行き先が違っただけで、当時の「新しい理念」だった政治的理由が、まさにその「新しさ」によってひとびとに希望を与え、Ancien régimeを破壊し尽くすエネルギーになっていった経過を都合良く忘れているだけなのではないか。
英語・欧州語ソーシャルメディアでは「なぜリベラルは危機に瀕することになったのか」という「敗因の検討」が盛んに行われている一方、日本リベラルだけは、「リベラルの退潮をリベラル人に原因があるのではないかというバカまでいる」という相変わらずの無謬主義、自分に都合が悪そうな話は一切聴かない旧ソ連人かあんたは、な意見で鉄壁だが、まあ、日本のリベラルはいつも日本のリベラルなのでリベラルとは別のもので、これはこれでまた別の話で、いくら日本語で書いているとは言っても、なんだかまともに相手にするのは憚られる。
それやこれや
世界は、しばらく99%の人間を、いわば体制として「消費」して、1%の人間の理屈から言えば「効率的で直截な人類の進歩」を目指して、どんどん、いわば大量データの部分と化した人間を使い捨て資源にして、従来の設計になるラットレースの、より厳しいヴァージョンで、その他「おおぜい」を積極的に運用して、旧ラットレース場の出入り口を閉めてしまい、ソーシャルメディアその他のインターネット装置で、不平を言わせ、怒鳴らせ、革命を唱えさせたりして、ガスを抜いて、
20世紀の油田みたいというか、安上がりな資源として使い潰す世界に向かっている。
日本語人としては、教育実習制度だっけ? すでに自分たちより劣っているとみなした国の若い人相手に、原始的で洗練されない、粗暴なやり方ではあるが、長年やってきたことなので、それを自分たちが使われるほうになるのだ、と考えれば判りやすいでしょう。
大抵の国の文化は、アスペルガー人とゲーマーズの二面を持っていて、社会全体として、そのふたつの心的傾向のバランスが取れているときに繁栄するとみなすことが出来るが、
数学や理論物理、マンガやアニメを持ち出すまでもなく、アスペルガー族的な優位性は保たれていても、ゲーマー族部分は読み手が桁違いに少なくて、たとえば円安で輸出振興というキャノンのような国内生産輸出産業会社だけが燥ぎまくるに至った現実を知らないオバカ政策に邁進した黒田東彦のような老人もだが、その輸出が仮に伸びたとして、バックグラウンドでAWSのようなシステムやインターネットインフラ、就中、AGIになったあと、天井知らずに値上げを繰り返すに決まっているAI使用料など、頑張れば頑張るほど泥沼にはまりこむ全体の構図に、まだ気が付かないでいる。
おそらく舞台裏では中国政府と人民解放軍が後見についたと推測されているDeepseek社のようなアジアのAI会社だけが競争維持の観点からは希望だが、これも、どのくらい言語への洞察を深めていけるか。
このメモのような記事は、
「(盾のある)左側の敵と戦っているときに、突然、右側から襲撃してきた騎兵のせいで、我々の敗色は濃いどころか潰走寸前です」と手紙を寄越してきた、わし生国の議員に返事を書く準備として書いている。
こういうときに日本語が便利なのは、世界からの言語上の距離が遙かに遠いからだが、おなじ理由によって、日本語人が「世界の希望」になってゆくと良いがなあ、とおもっています。
おたのみもーす


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