「B&G財団第17回全国サミット講演」
―参加者800名―
B&G財団はBlue Sea and Green Land財団といい、緑の国土と海を利用して将来を担う青少年のために、全国457ヶ所の体育館及びプールと、海洋クラブ291ヶ所を建設しました。多くのオリンピアンも輩出しております。
年に一度、その施設を運営する市長、町長、教育長が参加し、実績評価は勿論のこと、未来志向の意見交換を行う場がこの全国サミットです。以下は私の不出来な講演です。
******************
2025年01月22日(水)
日本財団会長 笹川陽平
於:ベルサール東京日本橋
ご紹介賜りました日本財団の笹川陽平です。
私は年に1回皆さんにお話しする機会があるだけで、他にはこのようにお話しする機会ありません。それはトラウマがあるからです。父が元気な時分、私が29歳になった時でした。そろそろ奥さんを貰いたいと思い、父に相談したところ「俺は女性の専門家だ。素晴らしい女性を見つけるから3年間待て」と言われました。待てども父からは連絡がなかったのですが、3年という約束の途中で進捗は聞けないものですから、3年経って「お話はどうなっているでしょうか」と尋ねたところ「自分の嫁くらい自分で探せ」と言われ、3年間棒に振りました(笑)そして、友人の紹介ではじめて写真を頂きその方と結婚しました。従いまして、私は人を説得するのに欠ける人間であるというトラウマが生じ、他人を説得したりするのが不得手で皆さんの心に響く話が出来ないことをご了承下さい。しかし前田会長や菅原理事長から「年に1回くらい奉仕せよ」とこの講演はお受けしています。

800人の聴衆の前で
1973年にBG財団が設立され、既に52年が経ちました。長きにわたり素晴らしい活動をしていただいているのは有難いことだと思います。中にはご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、戦後国民体育大会のような大きな行事をするために、全国の大都市に年に2~3回しか使われないスタジアムが沢山出来ました。その時笹川良一はドイツを訪問し、アーベル・ベック・オリンピック委員会専務理事と会い、アーベル・ベック専務から「大競技場も必要だが、これからは地方で活躍する子供や大人の健康維持ための施設を作ることが重要であり、コミュニティを重視した施設が必要です。いわばクラブ単位のものを作るべきです」という助言を頂きました。そして、失礼かもしれませんが、当時建設予算のつかない地方自治体の皆さんのところにそうした施設を作ろうと始まりました。
あれから50年経過し、今や世の中はどのように変わったのでしょうか。学校における体育の在り方、学校を中心としたスポーツの在り方が急速に変わりつつあり、それぞれの地域でクラブ活動としてやるのが良いのではないかと変わりつつあります。BG財団は50年先取りして、皆さんから永続的な協力を頂き、今日まで参りました。本当にすごいことだと思います。日本のスポーツの在り方を50年かけて皆さんが変えてくださいまた。当時建設決定には苦労しました。施設を作るとなると「法律上何ヶ所だけ」と言われ、そのたびに役所詣でをし「あと10ヶ所」「あと15ヶ所」と2年おきにお願いをしていました。当時は国会も難しい時で共産党の方が、ここに共産党の方がいれば手を上げてくださいね(笑)常に反対していましたが、ある時九州の有力市の共産党幹部の方が来て「笹川さん、私の町に作ってくれませんか」とおっしゃりました。私は「正気ですか。あなたの党は反対しており、民主集中制のあなたの党で中央委員会の方針に反対したら除名されますよ」と申し上げましたが「除名されても子々孫々のためにやりたいのです」とのことでしたので、そこの市に施設が完成しました。ある時、もっと大規模に建設したいと、午前6時に田中角栄先生の自宅に陳情に参りました。未来を背負う子供の体育、知育、徳育の大切さを瞬時に理解され、当時の小坂徳三郎・運輸大臣に電話され「大切な事業だから『当分の間』 実施してくれ」と話をされた後「陽平君、役所との交渉は『当分の間』としなさいよ。太政官布告で現在使われているものもあるよ。しっかりやりなさい」と激励されたことも懐かしい思い出です。
こうしたこともあり、改めて50年先取りしてされたのは凄いことです。中村草田男氏の「明治は遠くなりにけり」は有名ですが、今や「昭和は遠くなりにけり」ではないでしょうか。今年は昭和100年です。昭和も遠くなりにけり」という時代で、今や平成生まれの方が30歳代後半で日本の働き世代の中心となっています。私は昭和十四年生まれの86歳ですから化石人間のようなもので、ATMやスマホは使えず、良い時代に生かしてもらいました。これから30~40年先の時代を生きることはできません。昭和100年、えらい時代になりました。トランプという面白い大統領が誕生しました。メディアで色々書かれています。多くの方は懐疑的にご覧になっていると思います。私自身も懐疑的にみておりますが、しかし彼の話は分かりやすいですね。賛成でも反対でも明確で分かり易いです。言葉遊びのない新しいタイプの政治家ですね。
地球温暖化、気候変動の影響もあり、私が住む世田谷でも地域的集中豪雨が起こるなど今までなかったことが発生しています。温暖化でヒマラヤの雪も氷解しています。トランプ大統領がグリーンランドを買収すると言っていますが、グリーンランドは氷の厚さは平均約1700メートルに覆われ、面積は日本の約6倍になります。日本がよく探検に行く南極大陸の氷とグリーンランドの氷が溶けると世界の海面が約7メートル上昇すると言われています。そうすると日本の工業地帯は水面下に入ります。こうした危険な状況です。また、海水温が1度違うだけで魚が大移動します、10年前にブリティッシュコロンビア大学と記者会見をしましたが、日本沿岸の海が酸性化することで甲殻類が減少し、三重県のあこや貝やカキが取れなくなる可能性があると申し上げたところ当時は関心が集まりませんでしたが、今や大きな問題になっています。石川県ではブリは1匹10万円程度していましたが、温暖化の影響でブリが石川ではなく北海道でとれるようになりました。しかし北海道では食べ方が分からないのでブリが最初は500円でした。1度温度が変わっただけでも魚は移動します。私もコロナを罹った時に体温が1度上がりましたが、ベッドから出るのがだるくなりました。海の生物はもっと敏感ですから、影響は大きいでしょう。日本の誇る食文化についても、日本人が長生きする理由は魚を食べていると言われています。しかし世界の人が食べ始める中、日本の漁業は衰退しており、今我々は日本近海の環境モニタリングを青年漁業者と始めるところです。
少子化と高齢化の問題、地方過疎化の問題、鉄道が無くなる心配など日常のように出てきています。人口減少は当然です。20年後の日本を予測すると、GDPで世界の20番目くらいとなります。今は世界第4位ですが、インドネシアやインドが伸長し日本の順位は落ちていきます。人口も減り年寄りが増え子供が少なくなるという現実が迫っているにもかかわらず、日本は平和であるかのように皆過ごしています。世界から見ると不思議で、世界の中においては、ガザ、ウクライナの次に最も危険なのは日本ではないかと言われています。中国と国境を接し、ロシアは北海道に食い込み、近くに北朝鮮がいます。台湾海峡に有事があれば、中東からの油はマラッカ海峡から台湾海峡を通って入ってきますから、日本の安全保障上重大な問題です。従いまして、なぜ日本人はここまでのんきなのか外国人にとって不思議なようです。
では何故日本は平和なのでしょう。皆さんのお手元に正月に掲載された私の「正論」を配りましたが、本当に日本は独立国家なのでしょうか。日本国憲法は施行当時から変わっていないという意味では世界で最も古い憲法です。この憲法の前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。諸国民の信義を80年間信頼してきたんです。諸国民には中国、北朝鮮、ロシアが入っています。信頼するのでしょうか。無防備に、我々は平和をむさぼっている状況です。こうした状況は外国の知識人から見ると「日本人はおかしいのではないか」「自国を自国で守る覚悟があっての独立国家だろう」というもので、これが世界の常識です。世界の常識は日本の非常識、その逆もありますが、世界の常識に反した非常識な状況が日本にあるのです。
独立国家の要件はいくつかあります。まず、自主憲法があるか。どうでしょうか。国軍のない独立国家はコスタリカなどごく一部です。スパイ防止法はどうでしょうか。最近様々な企業がやられていますが、サイバー対策はどうでしょうか。日本の武器の製造能力はどうでしょうか。頭が痛くなります。これで日本は独立国として、隣に中国とロシアに挟まれ、北朝鮮は恐ろしい武器をもっています。こうした状況で日本は独立国として2000年の歴史があると言っていていいのでしょうか。私は思想的に右・左とは言っておらず、独立国の条件を申し上げているだけです。東京の制空権の一部は米軍が握っていて日本にありません。だから大阪から東京に来るときは九十九里の方に飛行機は迂回します。
なぜこのようなことになっているかと言えば、皆さんに本を配りましたが、最初のページに書きましたが、昔は「輿論」という言葉がありましたが、戦後「輿」が当用漢字から外れたため、単に「世論」となってしまいました。総理が誕生すると世論調査をして支持率の話となります。世論調査は国民が持っている感情、その時の気分なのです。国民が見た感情です。そのパーセンテージで日本国家を運営していいのでしょうか。国民には権利と義務があります。戦後はいわゆる権利の主張ばかりが繰り返されてきて、国民としての義務がないがしろにされて80年やってこれたのは運が良い話です。日本国が独立国として努力して作り上げたわけではありません。幸運にも80年間は平和の迷妄を信じてきたのです。迷妄とは事実でないことを事実のように思うことです。ではどうするのか。
かつて日本には覚悟をもって庶民や国民を説得した人がたくさんいました。ご承知の通り、財政破綻を起こしたときに努力した上杉鷹山。軍の力が強くなった時に国会の中で粛軍演説をした斎藤隆夫。彼は国会議員を除名されましたが「いうべきことを言わなければならい」とやりました。長岡にも素晴らしい人がいました。戊辰戦争でコテンパンにやられる中で、親しい藩から米100俵が配られました。皆飢えており、いつその米が配給されるのか待ちわびていたところ、小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる。次の世代のために我々が進んで犠牲になろう」と諭しました。明日の食事がない中で教育を通じた将来の人材育成に賭ける人がいたのです。
私も東京大空襲の生き残りでありますが、その時分笹川良一は国会議員でした。軍神・山本五十六元帥は「日米開戦に至らば我が目指すところもとよりグアム、フィリピンにあらず、はたまたハワイ、サンフランシスコにあらず。実にワシントン街頭白亜館(ホワイトハウス)上の誓いならざるべからず。当路の為政家、果たしてこの本腰の覚悟と自信ありや」という手紙を笹川良一に書いています。永井柳太郎がそれを国会で読み上げたときに国会はしんとなりました。
世論は国民の感情や雰囲気で良い、悪いを言います。しかし、「輿論」というのは、ここにお集まりの指導者のような人が「このままではだめだから、こうすべき」と国民が分からない将来の展望を見抜き、「地域を活性化させるために自分のことを聞いてほしい」と発言することであり、それを「輿論」と言います。しかし今の政治指導者は国民の願いをかなえることが政治だと思っています。今は世論に左右されていますが、それでは国は持ちません。ここで、皆さんにお願いしたいことは「輿論」です。皆さんの声をどう住民に理解させるかだと思います。
かつて明治4年に廃藩置県がありました。徳川300諸侯がありました。小さな藩もありましたし、生活は貧しかったかもしれませんが、人材教育に力をいれていました。貧しくても徳川幕府に言われれば人足を出して江戸の開発のために尽くさなければならない時代です。いまだに東京に各藩の寄宿舎の名残がわずかですが残っています。だから、当時の方が、というと失礼かもしれませんが、指導者はリーダーシップをもって、藩の誇りのために若者を教育して「我々は我慢しようとも、貧しくとも、礼節を重んじ国や名誉のために」と人材教育をしてきました。
果たしてお金があればなんでもできるのでしょうか。日本は1300兆円の財政赤字を抱えています。世論に従った結果このような借金を抱えている国は日本しかありません。政治家は「このままでは日本はダメになる」と、自分自身を捨てて、日本をどうするかをするかを主張し、嫌われたら辞める覚悟がないのでしょうか。皆さんは世論の代表ではなく「輿論」の代表です。言いにくいことをと言い、嫌われてもいいじゃないですか。みんな天国に行くのですから(笑)しかし、私は下に行きます。なぜなら友人は皆地獄に行ったと思うからです(笑)
今日のキーワードは「輿論」です。人生一回です。皆さんにとって怖いのは奥さんだけです(笑)市長、町長の皆さん「良薬は口に苦し」ですが、皆さんの情熱あふれる説得は必ず理解されると思います。地方で将来を背負う子供たちに自信をもって成長してもらえるB&Gの施設になってほしいと同時に、皆さんからお話があれば日本財団は真摯に話を聞いて協力します。全て協力できるわけではありませんが、今日お話しした以上責任がありますので、こうした仕事をしたいとあれば、日本財団にお申し付けください。
52年にわたり1つの事業が発展し、今や災害対策までしっかりされています。国際社会の現在の流行り言葉は継続性です。B&G財団は52年前からやっています。素晴らしい伝統であると確信しております。皆さんの日常の努力に感謝と敬意を表すると同時に、申し出は受け付けておりますので日本財団を活用ください。本日の会議が有意義なものになるように祈念しております。ありがとう。(了)