お金を捧げることは、天に貯金すること
翌日曜日に教会に行くと、それはサンフランシスコで行った教会とは全く違う空気だった。独立した教会建物ではなく、商業施設の一角を数時間借りて教会のように見立ててステージがセットされていた。牧師の話、今週の祈り、みんなで賛美歌を歌う。彼はギターを弾く副牧師という立場だった。2時間ほどのあと、最後に神様に捧げましょうといい、中が見えない寄付箱をまわしだした。私はいくら入れればよいかわからず彼にこっそり聞いてみた。
「僕は給料の20%を毎月渡す。それと別で今も入れる。余裕があるならそれだけ入れれば神様、すなわち天に貯金することになり、それは神の御心に伝わり、助けられ見守ってもらえ願いが聞き入れられる。あなたの良心を全て捧げてほしい、見せてほしい」
こう言われて高級ブランド品の長財布を開ける。数万円があるその中身を彼がのぞき込み、その財布はいくらするの?と聞く。値段を答えると、「そのお金でどれだけの人が飢えから救われるかわかる?天に貯金をしていけば、僕らは神様の傍で愛情と赦しを受け取りながら、サタンの誘惑にのらなくていいんだ」といい、初回だからこれで大丈夫と2万円を財布から抜いて、彼が箱に入れた。
集められたお金は教会の運営と牧師の生活費になると言う。全て終わるとお茶やお菓子が振る舞われ、その費用にもなっている。みんなで一つのパンを分け合うことがクリスチャンとしての他者を愛し敬うことだと言った。
「これで、君も神さまの御心に触れたんだ。嬉しいよ、君と出会えたことが」と言われ、私の心はざわざわした。すんなりとは受け入れられない気持ちと、彼や他の信者の方たちが「ようこそ。よく来てくれたわね。彼が女性を連れてくるのは初めてよ。なんて綺麗な子なの」と笑顔で歓迎されて、褒めてくれ……そんな経験がなかった為に、大きな勘違いの波に飲み込まれた。