9歳の女の子が、34歳の母親から食事をまともに与えられず、低血糖症で入退院を繰り返していた事件が発覚した。おやつを食べるにも母の許可を取り、「ダメ」と言われたら言うことをきいて食べずにいた少女。幼少期から母の虐待に苦しんだ若林奈緒音さん(40代、仮名)は「9歳の女の子の気持ちがとてもよくわかる」と言う。
厚生労働省は、令和3年度中に、全国225か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数が20万7660 件で、過去最多と発表している。そして虐待は子どものころだけではない、成人になってからも心に大きな影を落とす。
自分のような経験をしてほしくないと、ご自身の虐待の記憶を赤裸々に綴っている「母の呪縛」、今回はこうして「母に支配されてきた」奈緒音さんが、「誰かに必要とされたい」という気持ちからある男性に「操縦」されていった経緯をお伝えする。
(編集部注:ここには若林さんが出会った宗教の話が出てきますが、その宗教に問題があるということではありません)
「マニュピレーション」の歴史
母の代わりにやって来た、「私を支配し操縦した」のはアメリカ人男性で、宗教を使い、私の「良心」を利用した。今振り返ると、彼は「マニュピレーション」という言葉を使っていた。「manipulate」とは操作する、巧みに扱う、操る、コントロールするという意味である。
では私はどのように「操作」されていったのか。それは「自立しよう」とする過程の中で心の隙間に入り込んでくるような経緯があった。
看護師以外の学校は許さないと言い続けていた母に「もうお金は渡さない、私は自分の学びにお金を使う」と宣言した通り、私は自分のお金を使って通訳ガイドを学ぶ専門学校に入学した。ただ、授業はサンフランシスコの短期留学で経験したものとはかけ離れていて、中高と同様英語の文法、テキストを見て学ぶ。英検やTOEIC対策。就活マナーなど。会話や生きた英語に触れるようなことはほぼなかった。通いながら友人もでき、25歳すぎてから高校生の時に経験しなかった学生時代をやり直しているようだったけれど、親から仕送りを受けて通っている子とは違う。自分の学びたい気持ちとスタイルと専門学校での学びにずれを感じ、ジレンマを抱いていた。
学校に通い出してから、「応援している」と言ってくれた40歳年上の彼ともだんだんと会う回数が減った。彼に他の人ができたようだった。互いに会うことを避け、連絡も減り、このまま別れるのではないかと連絡すると、「そんなことはないよ」という。「キープしていたいけれど、これまでのなんでも彼に従う子ではなくなって、自立した女は嫌だ」という内容のことを遠回しに言われた。かつては口癖のように「妻と離婚をして結婚する」と言っていたのに、一切口にすらしなくなっていた。語学が身に着いたら、いつかご褒美で一緒に旅行へ行こうと言っていたのに、ほぼ会わなくなっていた。