子供が「自分の意思」を持つことを嫌がった

そのお人形が意見を持つこと、母の考えに歯向かうなんてことがあれば当然制裁が与えられる。「私が産んでやったんだ、私が産んだ子をどうしようが私の勝手、子が親のいう事を聞くのが当たり前」と育てられたのだ。母自身が、母親を早くに亡くし愛情を受けることができずに育ったと小さい頃から何度も聞かされていたため、私が母を理解してあげなきゃ、許さなくてはと思っていた。信じてもらえない自分が悪いと責めた。高校生になり、他の家庭や親子関係を知り戸惑った。大人になり母は間違っていたと確信を持っていても、母を切り離すことができずにいた。

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母からどれだけ離れようとしても、「親子」という事実は変わらない。切っても切れない変えられない血縁。一生逃げられないと同時に、母から愛されなかった子というレッテルを自分自身につけ、何度も嫌だと感じていながらも「母と子」の場所に引き戻されていた。このままではダメだと、とにかく離れる決意をする必要があった。18歳で自立したあとも、常にお金をせびり続けてきた母に、ついに今後はお金を渡さないと意思を伝え、自分の進みたい道を選び取った。

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そうしながらも、「だから私はダメなんだ。いなくなればいいんだ」と不安定になる日もあれば、「そんな事ない、親に頼らず十分頑張っている」と言い聞かせる強さを持てる日もあった。

自分一人でもちゃんと生きていると思ったけれど、それはただの勘違いでしかなかった。強い支配やマインドコントロールのもとで育った私は、成人してからも別のコントロールする人が現れると、支配する人が変わっただけという状況を繰り返していた。そして離婚や不倫ののち、外国人の男性に「操縦」されることになったのだ。

◇後編「虐待母に支配され続けた私が、「英会話講師」の罠にかかるまで」では、母にお金を払うのをやめ、新しい人生を歩んだはずの若林奈緒音さんが母の影響を大きく受けていたことを改めて伝える。