どんどん「信じるもの」が変わる

それから次から次へと「別のもの」がやってきた。聖書のようなものを突然読めと言われたこともある。「この宗教を信仰しないとこうなってしまう」とガリガリに痩せた様子や障害のあるような様子を書いた小冊子を渡されたこともある。私はその描写を見ること自体が怖くて仕方がなく、読みたくないというと「目を背けず読みなさい!これをちゃんと読んでなかったら受験に失敗するかもしれない。地震が起こったのも、お母さんの大切にしていた食器が割れたのも信仰が足りないからだ!」と怒鳴った。(それから間もなく、兄は第一志望に合格した)。
 
母は宗教だけではなく、新聞の勧誘すら断らなかった。
震災の年から「阪神大震災の復興の灯」として神戸ルミナリエが開催されるようになると、今度はそちらに心が移った。ルミナリエにキャンドル持って追悼したあと、幻想的な中でたくさんの人たちが心を通わせ、支え合い追悼する儀式に参加したと捉えたのだろう。「毎日火をともしておかないといけない」とずっと毎日キャンドルがともっていた時期もあった。このときは、我が家は毎日火を絶やさずにともし続けなければならないと思い込んだ。当然消えてしまう時もあるが、火が消えているのに気づくと大騒ぎし叩かれるということもあった。

神戸のルミナリエ光祭り Photo by iStock
 

母はいくつもの宗教にハマってもすぐに飽きて目移りしていった。それぞれの宗教の教え自体、大部分では違わない。その内容は都合の良い解釈をし、儀式的な事をしていること、私たちにお祈りなりを強要しながら神棚のお水やご飯を変えるなどの行動だけで、自分がいい人間になれた気がしたのだろう。救われると思ったのだろう。

キャンドルの火が消えていると怒られたことも Photo by iStock

母にとって都合のよい言葉だけが記憶に残り、その恩恵を被るために子どもである私に面倒なことをやらせた。こういった母のパフォーマンスは本質の部分で「信仰心」ではないため、実際に救われてもいなければ、支えにもなっていない。自分の心の軸になることもなければ、強い信仰心を持って正しく行動をしたり、戒めたり、自分の行動や言動を振り返り反省することもなかった。