初回放映時、掲示板はにぎわっていました。
「なんだこれ??」
それは、予告編としてタイトルが発表された8話からそう。
シャッフル放映として、時系列順に放映しないことが明らかになり、本筋であるはずの「憂鬱」が半端な形で中断され、その続きが語られない。前後編の間に別の話を挟み、ただ単に続編を語るつもりはない、という意思表示もある。残りの話数で本当に全部語られるのか? と不安になってきたあたりで、誰も知らない話のタイトルが発表される。
本編視聴後も、感想は入り乱れ、紛糾していました。
それまでの話とうってかわって、「事件」が起こるわけでもなく、新たな事実が発覚するわけでもない。
長門がずーーっと本を読んでいる妙な長回しのカットが印象に残り、脚本が原作者本人だったと知らされる。
脚本が原作者である時点で、物語に対する批判はしにくい。ただ、長門の読書シーンは、普通のアニメなら(特にその当時放映されていた作品にその傾向があったため)制作が間に合わなくて手抜きのシーンを入れたようにも思える。
擁護派と反対派の意見は様々ありましたが、誰もが少なからず疑問を持っていたように思います。
「なんだったんだ、この話は」
かくいう自分もその一人でした。最速放映をリアルタイムでは見ていなかったので、ある程度内容は事前にわかっていたのですが、それを踏まえてみても、さっぱりわからない。「9話」という放映順ですから、ちょうどラストのクライマックスにもっていくまでの箸休めとして、この話が挿入されたのかな、くらいに思っていたんですよね。絵柄も大して優れてはいないし、話は平坦、時系列順で考えて、事実上の最終回になると考えると、どうにも弱い。
ですが、あるサイトで見た一つの意見で見方が変わります。
「あれ? これって『消失』の直前の話なんじゃね?」
あっ。
「嵐の前の静けさ」なーんて言葉もありますが、そう考えれば、「消失」で驚天動地の出来事が起こる直前にこの平和な話を持ってきたというのには意味が生まれてきます。原作者による脚本の意味も納得する。確かに、シリーズの中で一つだけ「何もない」話を入れるとして、それを原作者の手によるものだとするならば、この時期のエピソードとして入れる他はないでしょう。
そう、すべては来るべき「消失」の序曲。「消失」の話題なくしては当話が語れないために、今まで感想を避けてきたのでもあるのです。
全体のシリーズに関連しても、部室に「ストーブ」が出てくる話はありませんでしたから、ストーブをゲットする話、としても語るべきなのかもしれませんが、やっぱりこの話の主役は、一つもセリフがないながら、異様な存在感を放っている長門でしょうね。
素直に見ていくならば、年中厄介ごとに巻き込まれている感のあるSOS団ながら、語られない日常ではこういった時間が流れているのだ、ととれると思います。定点カメラで、無機的に部室の内部を隠し撮りしたかのような映像。登場人物は誰を気遣うこともなく、日常を楽しんでいます。ハルヒは相変わらずどうでもいいことを思いつき、キョンは振り回され、朝比奈さんはおもちゃになり、古泉は飄々として何を考えているのかわからない。長門は恐らく家に帰っても、ハルヒに出会うまでの3年間もそうであったように、淡々と読書のみをして過ごしている。
ハルヒはしかしキョンに対してかなり素直に好意を見せ始めていて、ラストの下校シーンはにやにやさせられ、仲の良いカップルに当てられでもした気持ちになって、ハルヒの振り向いてあっかんべえする表情にどきっとさせられる。
長門の読書シーンは長いものですが、放送事故を避けるためなのか、背後で小さく音声が流れています。演劇部が練習している、という設定なのか何なのか、様々なパロディがキャストによって演じられ、環境音のように扱われているので、それを聞いていれば長門の沈黙に耐えることはできる。
音楽も印象的でした。キョンがストーブを運び終えて居眠りしてしまうシーンでかかるBGM「ある雨の日」。これはタイトルの邦訳ともいえる題名になっていますが、全編を通してもこの曲が最高に好きかもしれません。あくまでも静かで平穏で、冬を間近に控えた周りの静けさが感じられると共に、ほのかな暖かみも伝わってきて、横では長門が読書をしている。本当に安心しきった様子で眠りにつくことの幸せな感覚が共有できて、ああ、こんな時間がずっと続けばいいのに、と、我知らず涙が浮かんでしまうほど。
時系列順で語られる場合は「憂鬱6」が先にきますから、このBGMも初出がそこになるわけなのですが、これはやはり、ここで初めて聞く方が感慨深いと思います。もちろん、初回放映時に「憂鬱6」でこの曲がかかった時は頭を抱えて(どんな表現だ)歓喜していたんですけどね。これから、多分やらなければいけないことは沢山ある。でも今は、今だけはそんな判断を先延ばしにして、ゆっくり過ごしたっていいじゃないか。そう、どこかの誰かに言われているようで。
シリーズの中では唯一の冬の風景。ゆったりとした雰囲気にBGMがマッチし、最後はハルヒの素顔に触れて愛おしさを感じられる。何度も見ていくうちに、そういった感想が生まれてくるものだと思います。
・・・ですが、先に書いたとおり、これを「消失」の直前だと考えると、見方が変わるんですよね。
ここまでは単体としての感想。この先は京アニ版「消失」が世に出たからこそ書ける感想。
まずは、忍び寄る冬の気配。これまで熱病のように暑い風景が語られてきました。物語最初期の5月から暑さが強くなっており、悪夢のような8月、学校祭の時にも暑さが続いている。そんな空気が、一気に冷えてくるのです。人間なんて勝手なもので、暑い時期には早く冬にでもならないかな、と思い続けながらも、いったん寒くなってしまうと、その失った熱を思って、再び春の訪れを待ちわびるわけで。ただ、季節は必ずめぐるもので、冬の後には春がくることがわかっています。ではもし、「春」がこなかったとしたら?
キョンがはっと何かに気づくシーンは、余りにも自分が当たり前のように「そこ」にいるからなんでしょうね。考えてみれば、キョンが「そこ」にいなければならない理由はない。別にハルヒを監視する義務があるわけでもなく、部室に来たのだって最初は無理やりだったし、SOS団を維持するため、というなら律儀に足を運ばなくても、名前を貸しておくだけにすりゃいい。それが日課になってしまっているのは「悪癖」だとも表現していますが、自分ひとりで退屈しているより、SOS団の仲間たちと過ごしているほうを選んでしまっているからなのでしょう。
ハルヒがいなければ、古泉、みくる、長門の3人は本来の役目を忘れ、自分の好きなことを優先することができる。だからといってその場所に縛られていることを不快に思うのではなく、みんなが自然に過ごしています。それはとても静かなひと時で、しかしそれは、何だか物足りないわけで。
忙しく振り回されて過ごしている日々の中にいれば、「たまにはゆっくりさせてくれ」と思いもしますが、静けさの中が心地よいと思えるのは、再び忙しい日々がめぐってくるからなのです。そして、その忙しさの元凶である、ハルヒが登場する。しかもキョンの穏やかなモノローグをキャンセルする勢いで。
キョンは露骨に嫌な顔をしていますが、不満を漏らしながらもその言いつけに従ってしまうあたり、それが彼の「日常」になっているということなのでしょう。
完全に余談になってしまいますが、放映が終わった頃に、現地に遊びに行っています。キョンが余りにも嫌がっている駅から学校への坂道がどんなものか、体験してやろうと思ったのですが・・・。きっつい。ものすごくきつい。駅から「憂鬱1」に登場していたコースで歩きましたが、階段の勾配がえらくきつくて、途中にあるベンチにも納得がいきました。学校付近にたどり着く頃にはもうへとへとで、こりゃ、今から2駅先の商店街でストーブを受け取ってここにもってこい、ってのに反論したくなるわけだと、実感したものです。
キョンがいなくなった後でみくるちゃんがもて遊ばれ、いつものように古泉が部室の外で着替えを待っているシーンがありましたが、ここで「あ、もう冷たくなってる」と、珍しく丁寧語を使わないセリフがありましたよね。これも、何も事件が起きない日常の中で、誰にも聞かれないという条件で古泉が素の自分をさらしていることに脚本のうまさを感じていたのですが、後に公開されている原作者自身による脚本では、「平和ですねえ」とありますから、これはアニメ版の改編がうまいということでしょう。
キョンが駅について電車に乗り込んでいますが、隣にいる女子がブレザーを着ていますよね。ということは、あるいは彼女らは光陽園学院の生徒なのでしょう。もっとも、劇場版の「消失」ではまた違ったデザインになっていたようなので定かではないのですが。
そして問題の、長門のシーン。
これは先に挙げた原作者の脚本ですと、
読書中の長門。ふっと顔を上げて窓の方を見る。
これだけです。
となると、意地悪に考えるならば、脚本をもらった時点で尺の長さが足らないことに気づき、苦肉の策で時間調整のためのシーンを挿入したとも考えられます。でも、今ではこれは立派に演出の一環として成立していますよね。ハルヒに出会うまでの3年間、長門はこうやって過ごしてきた。SOS団にいない間も多分そうで、もっといえば、終わらない8月の600年間、ほぼ変わらずに過ごしてきたのだと言えるんです。「情報」としてほぼ完璧な形で存在している彼女だからこそ、無駄な情報を仕入れる必要がなく、まったく無音の世界で、ただ自分の指向する情報をのみ取り入れて暮らしている。とはいえ、これまでに彼女が様々な「遊び」を見せていたことは我々も知っています。
「ミステリックサイン」で見せた、「事件」を持ち込む役。「孤島症候群(後編)」で見せた、彼女なりのジョーク。「エンドレスエイト」各話では、必ず違うお面を選びならがも、お面を買うことは欠かさなかった。「射手座の日」では、人間レベルの技能しか発揮しないという縛りを入れながらも、不可能に見える勝利を勝ち取ってみせた。
本当に長門がただの機械であったなら、これらは必要ではないはずです。
問題のシーンは唐突に訪れます。
ストーブを持ち帰ったキョンが、部室のドアを開ける。そこには長門だけしかいませんが、キョンにとっては珍しくもない風景なわけですよね。
キョンは尋ねます。
「ハルヒ達は?」
わずかに首を傾げる長門。
このシーンにつけられたDVDのチャプタータイトルは、「長門の嘘」。
朝比奈さん(大)がこの時空にきていた時、長門は彼女の居場所を把握していました。自分の視界の外にいても、存在があるかないかを分からない彼女ではありません。そもそも、ハルヒはみくるちゃんを連れて撮影にいったわけですし、直前に鶴屋さんが訪ねてきた時には正確に場所を教えてもいます。
「我々は情報の不足を、何よりも瑕疵(かし)とする習慣がある」
それは映画内でのセリフだったでしょうか、しかし(劇中の)脚本になかったセリフだったようにも思います。これを長門の珍しい自己言及だとするならば、なぜ長門はキョンにハルヒ達の、いや、ハルヒの居場所を教えなかったのか。
その後のキョンの行動を見れば明らかですよね。キョンはハルヒを探すことはせず、部室で疲れた体を休める行動にでました。キョンの視点からすれば、長門がいる横でのんびりした気持ちになって、ついうとうとして寝入ってしまったことになります。では、長門の視点からすれば?
読書をしながら、キョンの存在が近くにいることを感じる。部室には誰も訪れることはなく、閉鎖された空間で、長門はキョンと共にいることを選んでいるのです。
長門は本を読み終えて立ち上がりますが、部屋を出て行ったことは描かれていません。目覚めたキョンが見たのはハルヒの姿でしたが、その背中にかけられたカーディガンの2着目が、ハルヒのものよりも先にかけられたものが誰のものであったかは、もう言うまでもありませんよね。机の上にはさっきまで長門が読んでいた『蹴りたい背中』が。
当話の中でも描かれていますが、これまでの行動パターンで、長門が読み終えた本を本棚に戻さずに放っておくことはありませんでした。読み終えた本を片付けることよりも優先すべきことがあったから、長門は本を戻すのを忘れているのです。
本の内容にしてもそうです。『蹴りたい背中』を、どうして長門が読んでいたのか。もっと言うならば、スタッフがなぜ「それを読ませたのか」。これまで、長門が読んでいる本は物語の内容に即したものとなっていました。当話では、長門が様々な受賞作品の一般小説を読んでいることがうかがえますが、原作者の脚本では『赤頭巾ちゃん気をつけて』となっています。『蹴りたい背中』は、同年代の少女が書いた小説として認知されており、wikiでその内容を見ると、
人付き合いを厭う主人公が恋愛感情とも言えない、微妙な感情を抱くようになる過程を、高校での日々の生活を通して描く。「蹴りたい背中」は一般に「愛着と苛立ちが入り交じって蹴りたくなる彼(にな川)の背中」を指すものと推測されている。
と、あります。
恋愛感情とも言えない、それ以前の微妙な感情。高校生活の描写に多く共感を呼んだということは、同年代の少女が抱くような、ごく一般的な感情を表しているのかもしれない。長門は、その行動の是非がどうかは置いておいて、自分の位置する同じような立場の少女が、どのように考え、行動するのかを、その本から学び取っているのかもしれないのです。
というかそもそもですね。「同時代の少年少女が登場する亜恋愛小説を読む」。長門にしては、普通すぎるとは思えませんか。
目覚めたキョンが、ハルヒに向かって「顔にイタズラ書きを~」というシーンはもう、ニヤニヤしてしまいますよねw
時系列的には前後するし、劇場公開まで内容をシャットアウトしていれば気づくことはありませんが、どう考えても「消失」のあのシーンを受けたセリフであろうというもの。もうこれだけで、この話が「消失」の予告編だと思えてくるじゃありませんか。もっとも、それだからこそファンが異常な執着をもって3年間「消失」の映像化に拘泥したわけなんですけどもw
物語の最後は、ハルヒの「あっかんべえ」のアップで締められます。「消失」を知っている身としては、ああ、この直後にハルヒの存在が消えるんだ、なーんて妄想してですね。余計にきゅってさせられるわけなんですな。
最後に。
冒頭で挙げたセリフは、劇中には登場しません。テレビ版の8話予告の中で語られます。この話が時系列順で14話となることから、最終回を迎えたキョンに対しての言葉かとミスリードしてありますが、どの瞬間にハルヒが言った言葉なのかは、皆さんお分かりですよね。そして、DVD版では予告を長門が担当しています。DVD版12話「射手座の日」につけられた長門の、予告の中でのセリフは、一言。
「風邪、ひくから」
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