厚生労働省は、令和3年度中に、全国225か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数が20万7660 件で、過去最多と発表している。
虐待は子ども時代だけのことだけではない。成人になっても影響を与えてしまう。
幼少期から母の虐待に遭っていた若林奈緒音さん(40代、仮名)は、顔が歪むほど瓶で殴られたり、たばこの火を押し当てられたり、暴言・暴力にさらされていた。18歳のとき、長年のコツコツとした準備のもと、高校卒業をまたずに実家を出て自立する。19歳で性暴力に遭遇してしまった後、「自分を必要としてくれる人と結婚すれば幸せになるだろう」と強く結婚を求める相手と成人式のあとに結婚を決めた。ところが相手は「自分の言いなりにしたい」男性だった。結果、最後は夫の浮気で22歳で離婚、再び一人暮らしを始める。
そんな奈緒音さんの前に現れたのが、40歳以上年上の社長を務める既婚男性だった。アパレル店に勤務する奈緒音さんの顧客となった彼は、最初は顧客として、次第に一人の男性としてお茶を飲むようになり、次第に奈緒音さんを支えたいと言うようになる。
はじめは恋愛関係を拒んでいた奈緒音さんも、「結婚しよう」という言葉を信じ、彼を支えにするようになっていた。そんな中、1人暮らしの家に泥棒が入り、コツコツと買い集めたものや彼からもらったものなど、金目のものが一切合切盗まれる事件に遭遇。そのとき思わず彼に電話すると、「ぼくが家に帰ってから電話はするなといったはずだ」と怒るのだった。
奈緒音さんが自分のような人を出したくないとその人生を伝える連載「母の呪縛」、18回は、泥棒被害に遭った奈緒音さんに保険金が下りると知った母親が再び近づくようになったこと、そして盗まれないものを手に入れたいと、留学を決行し、そこでマイノリティの人と出会ったことをお伝えした。
19回は、留学先にもしのびよる母の影についてお伝えする。
留学先で得たもの
離婚後に一人暮らしを始めてから、突然私を襲った泥棒事件。
防犯カメラ映像を確認した警察からは、「5分違いで帰宅したのは不幸中の幸い。出くわさなかったことで危害が加えられずに、九死に一生を得た」と言われた。宝物や思い出たちは一瞬で奪われたけれど、その代わりに保険が下りて現金で戻って来た。そのお金をこれまでとは違い奪われないものは何か?有意義に使う方法は何か?を考えた結果、学生時代に諦めた「学び」に使うことに決めた。大学進学は許されなかったし、語学を学びたいという思いにはふたをせざるを得なかったのだ。そこで、海外での語学留学をすることにした。
しかし40歳年上の彼は留学に大反対だった。彼は自分の会いたい時に私にいて欲しがった。そんな彼を押し切り飛び出したカリフォルニアで、いかに自分が小さな世界で生きてきたのか、周りが見えていなかったのかを痛感した。スタバで出会えた彼女の言葉に勇気づけられ、留学期間中、中学・高校の授業ではない生の英語やネイティブの人と過ごすことで、自分の心が解放されていくのを感じた。やりたかったこと、学びたかったことだからだろうか。いじめられっ子だった私は、英語のリーディング授業で発音よく読むと、周りから笑われ、からかわれたのでどんどん声が小さくなった。今思うと、その恥ずかしさが日本人の英語が伸びない原因だろうと感じた。
いじめられていたから一人でいることが楽で、根暗で、彼以外友人は要らないタイプの引きこもりの私が、サンフランシスコでは先生だけでなくクラスメイト同士もどんどん褒めてくれるし、ポジティブな声を掛けてくれた。留学に来ている人たちはある程度大人なので、いじめも受けなかった。有り難いことに、アジア人に対する差別も受けることも感じることもなかった。