厚生労働省は、令和3年度中に、全国225か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数が20万7660 件で、過去最多と発表している。これは「対応した件数」ゆえ、相談されていない件数なども含めるとさらなる数の子どもたちが虐待に苦しんでいることも想像できる。

さらに忘れてはならないのは、虐待が成人した後も大きな影響を与えることだ。
国立精神・神経医療研究センターは、HPにて幼少期に情緒的虐待を経験すると、成人した後も否定的な情報に対する注意の向け方に揺らぎが生じやすいことについて、その生物学的なメカニズムも含めて明らかにしている。

若林奈緒音さん(40代、仮名)は、小学校の時から母の暴力や暴言に苦しんでいた。男女交際もご法度、高校生のときには、男の子と帰宅しているところを見られ、瓶詰の入ったビニール袋で顔を殴られたこともある。母の呪縛から逃れるため、18歳のときに高校卒業を待たずに自立、1人暮らしを始めた。卒業をしてアパレル販売員として働き始めると、そこの商品をねだったり、お金をせびりにくることもあった。

安心できる環境、自分のありのままで愛してもらえる環境がないことが、奈緒音さんを苦しめた。そしてその影響は、大人になってからも続いているという。
自分のように苦しむ人を出したくない。そんな思いで幼少期からの実体験を綴ることを決意したのは、30代のとき、奈緒音さんのありのままを受け止め、愛してくれるパートナーに出会えたことがきっかけだった。

そうして思いを込めて伝える連載「母の呪縛」、17回は、16回につづき、20歳のとき若くして結婚後も、夫の浮気などがあり、離婚。その後出会った40歳以上年上の企業経営者との恋愛についてお伝えする。彼は既婚者で、若林さんも警戒をしていたのだが、彼の思いに解きほぐされ、次第に惹かれていったのだ。しかし……。

若林奈緒音さん連載「母の呪縛」これまでの記事はこちら
 

奥様と会話もなく、うまくいっていない

母親からの肉体的・精神的虐待を受け、恋愛経験も期間もそれほどないうちに結婚した私。結局、ちゃんと互いのことや結婚そのものを理解していなかった。2年ほどで元夫の浮気や流産を経て、バツイチとなった私が出会ったのは、40歳以上年上の既婚男性で、会社経営をしている人だった。お客様として買い物にいらしてから私のことを気にかけてくれ、お得意さまの上顧客と店員という関係からお茶を飲んだり、個別の時間を過ごすようになる。当初はむしろ危ないと思っていたけれど、奥様がいても会話もなくうまくいっていない、私といる時間が一番安心すると繰り返した。恋愛経験がそんなになかった私は、彼の話をそのまま信じた。

年配の紳士のお客様で、既婚者。当然恋愛対象と見ていなかったのだが、彼からの積極的ながら「おしゃべりをする」アプローチで心はほどけていった Photo by iStock

ただ、「不倫」に対しては躊躇したし、すんなり受け入れられたわけではなかった。自分も元の夫に浮気され、離婚をしたわけだし、自ら不倫や浮気相手になりたい気持ちはなかった。一線を越えることや、関係を深めることは、他人から見たら単なる「不倫」と言われ、指を指されることだろう。当時の私もいけないことだ、汚いことだと思っていたけれど、彼は、男女の関係というより友人になろうと言ってくれた。実際に性行為を無理強いされることは何もなかった。これだけ私のために時間を使って食事したり、話してくれることが何よりもうれしかった

彼は今では成功した経営者だけれど、私の前では率直に弱い部分を出した。母親は正妻ではなかったため、幼いころから寂しい思いをしてきたこと。父親の家族の中でも孤立していたこと。今の結婚してできた家族の中でも居場所がないこと……同じ年上男性でも元夫とは違った。何不自由なく愛情を受けて育った元夫には、そうでない私の気持ちが理解してもらえないと思うことも多々あった。しかし彼とは年齢差は40以上あっても、互いに分かり合えるようだった。不倫に対するためらう気持ちより、次第に彼を拠り所にしている気持ちが勝っていき、支え合っていると思うようになっていった。「唯一の理解し合える人」に対する愛情として、なくてはならない存在になっていった。

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