(ウエスタン・リーグ、阪神6ー14ソフトバンク、25日、鳴尾浜)阪神はソフトバンクに6-14で敗れ、今季をもって30年の歴史に幕を下ろす鳴尾浜球場での最後のウエスタン・リーグ公式戦を終えた。ファーム本拠地は来年3月から兵庫・尼崎市に建設中の新施設へ移転する。試合後にはセレモニーが行われ、選手寮の虎風荘で初代寮長を務めた梅本正之氏(88)は惜別手記を寄せ、引っ越し直後の1995年1月17日に阪神大震災直後や、多くの選手やその家族との記憶を振り返った。
また一つ、タイガースの歴史が閉じるという意味では寂しくなるなぁ。甲子園のすぐ東隣にあった旧虎風荘から今の鳴尾浜に移転する際は寮長だったから、思い出は山ほどある。
新しい寮をどうするか? 球団から依頼されて、巨人、横浜(現DeNA)、ダイエー(現ソフトバンク)の寮を参考のために見学にいった。「阪神が強くなるため」の寮にしようと思ってね。選手の部屋の作り、おいしい食事、トレーニングルーム、風呂、応接ルーム、豪華(?)寮長部屋、〝麻雀部屋〟…。かなり、私が主導して決めたんやで。
やっぱり一番の思い出は、1995年1月17日阪神大震災かな。前年暮れに新しい寮に引っ越ししたばかりだった。朝、グラウンドを見たら両翼のポールは折れて、寮の周辺は水が噴き出して、泥だらけ。すでに十数人の選手が入寮していた。食事の確保のため、大阪方面から食べ物を運んだ。寸胴のカレーをひとりで運び込んだこともあった。寮生を守らなければ…と必死やったなぁ。
震災直後は大ベテランの真弓明信(当時41歳)も入寮したし、2軍監督・藤田平も住み込んだ。球団には「若手の寮では?」という意見もあったらしいが、私は〝オールウエルカム〟。タイガースのための寮だと思っていたから。
入寮する選手の父母との面談も仕事。藤川球児(現球団スペシャルアシスタント)のお母さんが何度も来られたのが印象的かな。野村沙知代さんとは長時間お話をした。野村監督との息子でもある克則(現阪神2軍コーチ)が入寮するときのこと。「どうか、息子をよろしく。どうか!」と何度も頭を下げられて。普段のイメージと違ったなぁ。まあ、親というのは、そういうものかも。
一度は寮長職を外れ、2年後に再び戻れた時はうれしかった。「この仕事が天職かも」と感じた。大成功した選手、志半ばで退団していった選手、多くの出会いを作ってくれた舞台には心から「ありがとう」と言いたい。(初代寮長)
■梅本 正之(うめもと・まさゆき) 1936年(昭和11年)8月10日、和歌山県生まれ。88歳。耐久高時代は投手として活躍も甲子園出場なし。55年、大阪タイガースに入団。6年間で61試合に登板し、6勝10敗、防御率3.60。故障に苦しみ、62年野手に転向も、その年に引退。63年からトレーニングコーチ、スコアラーなどを歴任。84年に選手寮「虎風荘」寮長就任。96年に一度関連会社に出向も98年寮長復帰。2003年退任。48年間に及ぶ阪神一筋の生活で若手育成に貢献した。