母の虐待に苦しんでいたのが若林奈緒音さん(40代・仮名)は幼少期から母親の暴言・暴力といった心理的・肉体激虐待にさらされてきた。今は「自分のように苦しむ人を増やしたくない」と自身の体験に向き合い、連載「母の呪縛」を綴っている。

「虐待」は、する側のケアも、される側のケアも重要になる。また、虐待を受けた方々の心のケアが大切なことを、奈緒音さんの体験は教えてくれる。奈緒音さんが何より求めたのは「誰かに愛されること」「信頼できる人と家族を作ること」だった。20歳の時の結婚も、「求めてくれるから、きっと幸せになれるはず」と思って決めた。

連載16回は、奈緒音さんが残念ながら離婚と流産という悲しい結果となったのち、40歳以上年上の紳士と出会ったことをお伝えしている。奈緒音さんが勤務するアパレルに社員のプレゼントを買いに来たという社長は、優しく丁寧で、奈緒音さんを顧客として応援するようになった。そしてセールの案内のときにお茶をし、アフタヌーンティをいただきながら会話することに。

「たくさんお菓子があるので、ゆっくり食べながら話しましょう。あなたのことを教えてください」

こうして距離が縮まっていった。

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奥さんとはずっと家庭内別居

彼の家庭環境や生い立ちも聞いた。彼は、「親父はダメなやつで浮気者、自分は本妻ではなく妾の子供だった」と言った。就職する際に戸籍を見て、お母さんの名前がなかったことがショックだったのだという。小さい時に親の内職の紙煙草を作らされることが嫌だったから、タバコは一切吸わない。家は途中から貧しくなったから、高卒で大手メーカーに入って必死に働き、社長の親族でも大卒でもない中で初めて役員になったのだと誇らしげに言った。

奥様とは若いうちに結婚したのだという。結婚当時は奥様の家柄の方がよく、ずいぶん下に見られたけれど、途中から立場が逆転し、奥様の家族の面倒も見た。ただ、それだけ稼ぐのに新婚当時から忙しく単身赴任もあり、もう何十年も家庭内別居だったという。子供ができてからは夜の夫婦関係もなく、海外だったら離婚事由になると言った。

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彼が長年の功績を認められて、そのメーカーで次期社長というときに、奥様に乳がんが発覚。悩みに悩みぬいて、会社を辞めて家に戻り看病したという。
その後奥様の癌は全快、彼は起業し商品を手売りなどもし、経営者として成功をして十数年になると言った。彼は会社を辞めて看病したことは後悔していないと言ったが、夫婦関係はうまくいっていないと明言した。