国立精神・神経医療研究センターは、HPにて幼少期に情緒的虐待を経験すると、成人した後も否定的な情報に対する注意の向け方に揺らぎが生じやすいことについて、その生物学的なメカニズムも含めて明らかにしている。幼少期被虐待体験がもたらしうる長期的な心理的・身体的影響の解明は、支援の意味でもとても大切なことだ。

幼少期から母の暴力や暴言といった虐待に苦しんでいた若林奈緒音さん(40代、仮名)は、一刻でも早く母の呪縛から逃れるため、18歳のときに高校卒業を待たずに自立、1人暮らしを始めた。小学生のときから、「母の思うように」しなければ暴力を受けていた。男女交際もご法度、高校生のときには、男の子と帰宅しているところを見られ、瓶詰の入ったビニール袋で顔を殴られたこともある。卒業をしてアパレル販売員として働き始めると、そこの商品をねだったり、お金をせびりにくることもあった。

安心できる環境、自分のありのままで愛してもらえる環境がないことが、奈緒音さんを苦しめた。そしてその影響は、大人になってからも続いているという。
自分のように苦しむ人を出したくない。そんな思いで幼少期からの実体験を綴ることを決意したのは、30代のとき、奈緒音さんのありのままを受け止め、愛してくれるパートナーに出会えたことがきっかけだった。

そうして思いを込めて伝える連載「母の呪縛」、16回は20歳のとき若くして結婚後も、夫の浮気などがあり、離婚、その直後に妊娠したことがわかり、その後流産となってしまったあとの「出会い」についてお伝えする。

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孤独だった

離婚し、誰にも相談できないままに流産した。

頼れる親も友人もいないから、泣いて暮らすこともできない。自分で自分の生活や居場所を見つけて生きて行かなくちゃいけない。朝から晩まで立ち仕事のアパレルの仕事は、体的にもきつかったけれど、なによりどんな精神的状態であろうがお客様にニコニコ振る舞わなくてはいけないことがしんどかった。婦人服のフロアで働いていたので、赤ちゃん連れを見ると、きゅっと胸が痛んだ。

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一度結婚離婚を経験すると、もう二度としないと言う方もいる。私は、学習能力がないと言われてしまうかもしれないが、そうは思えなかった。まだ若い、早く結論を出したことで人生やり直せる。漠然とまた信じられる人に出会い、その人とは二人で暮らし、今度は幸せになれるならいいと思っていた。家族や愛情に恵まれなかったからこそ、かけがえのない、自分の一部のようなパートナーや味方が欲しいと強く願っていた。

だからと言って、恋愛体質でもないので、常に恋人が必要とは思わなかった。家でひとりで過ごすことも好きだった。特に旅行が好きだとか、映画が好きだとか、推しがいてコンサートに行くとか、何かに興味があるわけでもない。小さい頃から我慢を強いられていると、諦め癖がついているから、変に希望や興味を持たないようになっていたし、人生の楽しみ方が分からなかった。唯一興味があったのは仕事の一部でもあるファッションだけ。毎日着たいものや持ちたいものを自分で買えるようになって、お金をせびりに来る母もいない。