厚生労働省の人口動態統計特殊報告 2022年度「離婚に関する統計」によれば、令和2年度離婚した夫婦は19万3000組。3組に1組が離婚している計算になる。それでも、離婚をすること自体が眉をひそめてみられることもある。
しかし、結婚を続けるためだけに我慢をして一緒に暮らし続けなければならないことだろうか。
母親の暴言・暴力に幼い時からさらされていた若林奈緒音さん(40代、仮名)は、一刻も早く母の呪縛から逃れるため、アルバイトでコツコツとお金を貯め、学校の中でも最も早く就職を決め、高校3年生で卒業する前に自立をした。しかしお金をせびるような母親の呪縛からは逃れきれず、必死で仕事をしている中、病気や性暴力も体験。弱っているときに近くにいてくれた男性と20歳で結婚を決めた。
自分のように苦しむ人を増やしたくないと綴っている連載「母の呪縛」、15回ではその男性との結婚のあと、2年くらいで離婚を決めるまでをお伝えしている。予定とは異なっていた義両親との同居の中、性行為に躊躇していた奈緒音さんの口をふさいで行為に及ぶ夫に、拒絶反応が生まれてしまったのだ。さらに夫の浮気も発覚し、離婚の道を選んだ。しかし、母親は「あんたの戻るところはない」と言いながら、夫の実家には「どう落とし前をつけるつもりだ」とお金をせびるようなことを言いだすのだった。
後編では結婚生活に終止符を打ち、家を出るときのことからお伝えする。
引っ越しの日に母は…
引っ越しの日になった。父は手伝いに来てくれると言っていたが、母にまた会わないとならないかと思うと絶望していた。そんなとき妹から連絡が来た。
「お母さん行かないよ、今日は。安心してね。お母さんは怒ってるけどお父さんが一人で出たよ」
父が「お前はこんでええ」と母に言ったのだという。
「なおがが引っ越すところもお前みないでいいやろ」と。
ああ、父は分かってくれているんだ。思えば、高校卒業前に父が保証人になってくれなかったら、たとえお金を貯め、免許を取って身分証明書を持っていたとしても、1人暮らしをスタートさせることはできなかった。父は私が虐待されていたのに気づかないくらい家のことを放置していたけれど、おかしいとは思ってくれていたのだろう。
離婚を私の両親に伝えてから、引っ越し先を決めて契約を済ませるまで3週間ほどあった。結婚するより離婚をする方が大変と言われるが、私たちの離婚はとてもあっさりしていた。子供がいなかったこともあり、事務的に進めるだけだ。お義母さんが本当に悲しそうな顔をしていたので、毎日いたたまれなかった。そうはいっても、身の回りの物くらいで大した量はなかった。沢山のバッグやアクセサリーの中に彼からのプレゼントもあった。互いに一生のパートナーにだからこそ贈った高価なものだ。置いて行こうか?というと、それはもらっておいてと言ってくれた。
引っ越しの日の朝、手伝うために父が到着すると。署名した離婚届けは彼が近いうちに出すことに。結婚祝いにと義両親がくれたお祝い金を二人の定期預金に入れていたが、「それはなおちゃんが持って行きなさい」とお義父さんが言ってくれた。お義母さんは、「何かあったらいつでも連絡してきてね」と泣きながら見送ってくれた。
一時的ではあったけれど、家族になれたことに感謝を伝えて同居していた家を後にした。二度と訪れることはないだろうなと思った。一人暮らしをする時も、結婚すると決めた時も、その家から出る時も、父は黙って手伝ってくれた。父は荷卸しをしたら食事もせずに、「気つけて頑張れよ」とだけ言ってすぐに帰って行った。
新しい家は、一人暮らしをした時よりも広く静かだった。まだ家具などは揃っていなかったが、寝られる状態にはしていた。生活自体に疲れ切っていたので、一人になったのに、なぜかほっとした。