厚生労働省が2022年夏に発表した「離婚に関する統計」によると、日本の離婚件数は令和2年は19万3000組。離婚全体の件数は減少傾向にあるが、同居20年以上の熟年離婚は増加している。しかし一度きりの人生で、互いに前を向いて歩くために離婚を選ぶことは決してマイナスなことではないだろう。結婚も離婚も安易に決めることはできないが、「してはならないもの」ではないはずだ。

タバコの火を押し当てられたり、瓶の入った袋で顔を殴られたり、お金をせびられたり……幼少期から母親の虐待に苦しんできた若林奈緒音さん(仮名・40代)は、20歳のとき、年上の男性との結婚を決めた。母の虐待から逃れるために少しずつ準備を重ね18歳のとき高校卒業を待たずに自立、1人暮らしをしていた奈緒音さんが、犬の散歩中に車の中に引きずり込まれる暴力に遭ったことを気に、彼が「オレが守る」と言ってくれ、決断したことだった。

そんな奈緒音さんが率直に体験を綴る連載「母の呪縛」14回は、20歳の結婚についてお伝えしている。奈緒音さんを戸惑わせたのは、当初予定していなかった義両親との同居だった。
義両親は温かくいい人だったが、「家族と暮らす」ことが安心だったことのない奈緒音さんにとって、二世帯住居でもないひとつ屋根の下での義両親との同居はリラックスできるものではなかった。「なにかをしてもらう」ことだけで申し訳ないと思ってしまうことを打ち明けても、夫は考え過ぎと笑い飛ばしていた。後編では奈緒音さんの心を凍り付かせた決定的な出来事を伝えていく。

Photo by iStock
 

安心できる場所がない

残業で遅くなった日、晩御飯を中断して義母に駅まで迎えに来てもらったことが大きなショックとなった私は、スクーターを購入し、雨の日以外は駅までの送り迎えをしてもらわなくても大丈夫なようにした。

送迎してもらわなければならないようにした Photo by iStock

とにかく仕事をこなさなくてはと思い、18歳で就職したとき同様、自立しなきゃとさらに仕事仕事となり、空いている時間に自分の物は自分で洗濯し、お風呂は一番最後に入った。お給料から、帰りにはお義父さんたちにお土産を買って帰った。お義母さんたちは「お土産いつもいいよ、悪いわ」と言っていたけれど、小さなお菓子一つでも、お弁当でもお義母さんたちは喜んでくれた。その顔が見たくて、その顔を見ることが嬉しくて、私にもできることがあったと安心できた。

しかし、こういう生活を続けているとやっときた休みの日は、私は疲れていた。本来アクティブな彼とは違い、私は家でゆっくりしている方が好きだったけれど、家にいてもお義父さんたちに気を遣う。トイレひとつ、お風呂ひとつそうだ。ご両親のどちらかがトイレに入るかもしれないと思うと、長くトイレに入ることはできなかった。朝は毎日早く出て駅のトイレに入るようにしていた。
そんな風に気を遣うのは私だけではなく、ご両親側もそうだと思うからこそ、あまり家にいないようにしてあげたかった。

彼はよく、デートスポットや食事を調べて、出かけようと誘ってくれた。そして、それを嫌だとか、ちょっと好みではなくてもそうだと言えない自分がいた。疲れていても、家は確かにリラックスができない。それでも出かけたくないときも、それは言えなかった。乗り気のしないデートスポットでも楽しそうにしなければ不機嫌になるから、楽しそうにした。そんな日が数ヵ月続いて行くと、勤務中のランチタイムに、食事を摂らずに休憩室で仮眠を取らなくてはいけないほどクタクタになってしまった。夫や両親が悪いわけではない。私が甘え方を知らなかったから、ビクビクしてしまっただけだろう。でも、確実に私は日々の生活に疲れ果てていた。