良かれと思っているのはわかるが…

例えば、彼を朝仕事に送り出し、いない間家でゆっくりしたり結婚式や仕事探しするつもりが、ひとり部屋にいるとお義母さんが来てお茶しようと誘ってくれる。

「お昼はどうする? 買い物行こうか? 洗濯の畳み方はこうなのよ。あの子はこれが好きなのよ。仕事はどうするの? 結婚式は? 新婚旅行はどこ行くの? お母さんとはどんな感じ? なおちゃんはどんな子だったの?」

毎日が質問攻めだった。最初は楽しくお互いを知るために、話してくれるんだなと思ったし、実家の事、母の虐待の事も素直に話すこともできた。しかしこれが毎日になると、18歳から一人で暮らし、すべて自分で決めてきた私には、少しずつ負担となっていった。

 

特に苦痛だったのは食事だ。お義母さんはずっと正社員でフルタイム勤務を還暦までしてきた。お料理は得意ではなく、「出来合いの物の方がおいしいから、それに頼ったらいいやん。美味しくないもの作って無駄にするよりいいのよ」ということをよく口にしていた。しかし「3食きちんと食べる」ことは大切にしていた。かたや私は、かつては凝った料理を作っていた母が家事をやらなくなっていく中で、時間をやりくりしたりお金を貯めるには食事を削ることが一番簡単な事だった。だから食事にこだわりはまったくなかったし、1日3食食べないリズムの体になっていた。もはや1日1食で十分だった。仕事に出ていないので、お腹も空かない。それにもかかわらず朝昼誘われることが、段々負担になっていた。

朝も昼も夜も一緒に食べようと誘ってくれるのは良かれと思ってからだとはわかっていても、辛くなっていった Photo by iStock

「なおちゃん、痩せてるからもっと食べないと。全然食べてないやん。体力付けないと赤ちゃん産まなあかんしね」

と毎日言われる。これは優しさからくる言葉だとわかっているのに、プレッシャーに感じてしまう。そして人の優しさをプレッシャーに感じている自分がひどい人間だと自分を責めてしまう。そうするうちに、なぜかポロポロ涙が出てしまう日が続いた。

彼にそのことを相談すると、「マリッジブルーなんじゃない?おかんのことは気にしなくて良いよ」と彼に言われた。こんなに恵まれ大切にされているのに、人として自分は出来が悪いのではないか?自分の不甲斐なさなのではないかと思ってしまい、どんどん彼にも本音が言えなくなっていった。