「申し訳なさ」からお金を払う
点滴だけで数日は絶食だった。父も母も仕事があったので常にいたわけではなかったが、夕方に妹と来たり、父とのぞいてくれた。来るたびにゼリーや、プリンを持ってきて食べられるときに食べなさいと冷蔵庫に入れてくれた。その度に申し訳なさで押しつぶされそうになった。退院前、荷物や着替えを整理しに来てくれた母が、「あんな立ちっぱなしの仕事なんてしてるから、体壊すのよ、冷えるやろうし。健康に生んだのに。女の子は早く結婚して、家庭に入って子供を産むのが一番の幸せ。早く結婚して孫を生んだらいいのに、本当に何一つ言うこと聞かない」と言った。この時の私は素直に、母の言うことが正しい、早く結婚した方がいいんだろう、と思ってしまった。
彼には入院したことの連絡は入れた。お見舞いに来ると言ってくれたが、つき合っている人がいることをまだ母に知られたくない。母と鉢合わせしてほしくなくて断った。本当は彼にとても会いたかったけれど、退院して落ち着いたら連絡するとメールした。
退院の日の朝。高額医療だったためその場で十数万円が返還された。お金を貸す貸さないで喧嘩をしたことがずっとひっかかっていたので、家に送ってくれた母に、ありがとうと言って返還された半分の数万円を渡した。母は、「ありがとう。自分で出て行ったんだからしっかりしなさいよ」と言って帰った。
まず職場に連絡を入れ、1週間も休んでしまったことを謝る。頭のどこかで新店への異動がなくなればと思っていたが、もう一日休むように言われ、明後日は店舗ではなく新店準備のため本社に出社するよう言われた。彼にもメールをすると、とても優しく声を掛けてくれた。それからは、少し離れた本社に出勤することとなり、バタバタと時間が過ぎた。
20歳になる年の春に新店舗オープン。大忙しの2ヵ月を乗り切り、ずっと飼いたかった子犬を家族に迎え、彼とも順調に関係を続けていた。
そんなある夜、犬を散歩させていたとき、以前お伝えした性暴力の被害に遭ったのだ。母が警察の取り調べの際に「こんな時間に外に、そんなことされるような格好で出歩いたうちの娘が悪いんです」と語った言葉は私の心を再び深く傷つけた。物事が順調に進んで、頑張っているときに限って病気になったり、痴漢に遭ったり。不運やついていないという言葉では表せられない悔しさと、その度に言われる母の言葉に、ぷつっと何か途切れるように、段々と頑張れなくなっていった。そんな時に、逃げるように、すがるように、彼との結婚を決めたのだった。
【次回は11月10日公開予定です】
#1-1顔が歪むほど殴られた…40代女性が抱え続ける「母のコントロールの悪夢」の告白
#1-2骨折した足にテーピングして…娘をバレーボール選手にしたかった母「驚愕の行動
#2-1母はなぜ私を殴り続けたのか―40代女性が考える「高校に行かず嫁に出た母の孤独
#2-210歳の私が「祖母の標的」だった母をかばったら…止まらぬ母の暴力
#3-1些細なことで始まった小学校でのいじめ…母に「甘えるな」と言われ絶望した日のこと
#3-2斜視の手術で目に包帯…母に殴られ続けていた私が唯一感じた「母の優しさ」
#4-1料理が気に入らないと箸もつけない父への不満が…私を殴り続けた母「父との関係」
#4-2私のことは殴っても父に従順だった母が、「家事をやらない人」に急変した理由
#5-1家事をしなくなった母が祖母と叔母と演じた「修羅場」、巻き込まれる子どもたち
#5-2いじめをかばってくれた友人との突然の別れ…そのときの母の驚愕の言動
#6-1殴る蹴るに、タバコまで…母が私だけに暴力を振るうようになった経緯と「母の夢」
#6-2母が薦めた看護学校は回避しても…高校の推薦入試合格の日に感じた「絶望」
#7-1高校合格の日に母からボコボコに…入学前からの悪夢と兄との関係の大きな「変化」
#7-2瓶詰め入りの買い物袋で顔を…高1の私の顔が歪むほど母に殴られた日の話
#8-1高校トップの成績・進学希望の兄に「学歴はいらん…」妹の私が見た「父の呪縛」#8-2学歴はいらない」男らしさを強要する父、進学を諦めた兄…子どもの人生とは
#9-1大学進学を阻んだ「父の呪縛」…兄が「親ガチャ」から脱出できた理由
#9-2犬の散歩中に車に引きずり込まれ…性暴力に遭った私に母が口にした驚きの言葉
#10-1目標金額200万円…母の暴力と過干渉に苦しむ女子高生が計画した「自立の道」
#10-2親ガチャの悪夢から抜ける…母に虐待された女子高生が「自立計画」を実行に移すまで
#11-1 親ガチャから逃れるために高3で一人暮らし…それでも続く「母の呪縛」
#11-2「お金都合してくれへん?」高卒で自立した私に忍びよる母の「せびり」
#12-1「母から逃げたい」自立した19歳の私が再び実家に連絡せざるを得なかった理由
#12-2 腹痛とともに感じた「母に助けられる恐怖」…19歳の私が結婚を決意するまで