母に助けてもらったことの罪悪感
目が覚めた時はすでに明るくなっていた。父親がいた。盲腸が破裂して腹膜炎を起こしており、全身麻酔し救急手術をしたという。そのまま意識をを失ったのか、麻酔を打たれたからかわからなかったが、よく眠っていたようだ。
「緊急やから、お腹の傷が大きめなのはしゃあないって。綺麗に縫ってくれたけど、しばらく痛むから動くなって」
と父が言った。現代ならビキニでも隠れるような位置で、小さめの傷で対応してもらえるだろうけれど、ケロイド体質の私のお腹には、まだ一文字の傷が、隠れるかどうかくらいの位置にしっかり残っている。のどがカラカラなのに、はっとして一言目に出た言葉は「今何時? 仕事行かないと」だった。父には聞き取れず、何度も言った記憶がある。
そうこうしていたら、「起きたん?」と母が入ってきた。私が言っていることを聞き取り、「仕事なんて行けるわけないやろ。最低3日から1週間は入院って。店に電話しといたから。入院したって。こんなになるまで気にもかけてくれない職場ってなんやの」と言った。体調管理ができないのは、社会人として私の能力の問題で、評価が下がってしまうと思っていた。先輩たちには痛みを悟られないように勤務していたので、母が会社に電話をした際に職場のせいだなんて言ってないでくれと強く願った。何て言ったのか知るのが怖くて、詳細を聞き返すことはできなかった。病院に連れて来てくれたのは母だったから、言い方について文句も怒ることもできない。「迷惑をかけてごめん」と言うのが精一杯だった。
中学生の時の斜視の手術以来の入院だった。当時は母を初めて独り占めできたことを喜んだものだ。今回の入院では腹部の痛みもあり仕事のことも気になったけれど、すぐに痛みよりも頭を占拠したのは、別の感情だった。店にお金をせびりに来て怒鳴ったとき、強く拒否してから数ヵ月、それ以来一切連絡が来てからも無視し、音信普通だったのに、自分がピンチの時に頼らなくてはいけなくなったことに対する罪悪感だ。
親には頼らないと家を出たにもかかわらず、結局頼ることになってしまったことの情けなさ。そしてどんな風に言われるかというビクビクした思い。普通の親子なら、こんなふうには思わないかもしれない。けれど、私にとっては重くのしかかった。私は母からのお金の援助のお願いを断ったにも関わらず、母は助けてくれたのだ。そう思うと申し訳なくて、自分はなんて冷たいことをしたんだろうと自分を責めた。父や母がそう言ったわけではないけれど、とにかく自分が嫌になった。そんなふうに思うように仕向けて育てられたのかもしれない。母が怒るのも、殴るのも「あなたがそうさせている」と言われてきたから……。