「離婚講座」などではDV被害者であったり支援者であったりを聞き手に想定し、前提、文脈が共有されていると思って話していると、世田谷の講座のように、切り取られ、背景、経緯、文脈を剥ぎ取られて攻撃材料にされてしまう。広報、報告等でも従来は特定の読み手を想定しそこに届く、伝わることを考えることでも問題は生じなかったが(ただ、それでは広がりに欠ける問題は当然ある)、悪意のある者、歪みを持った者も読む前提で書かないとやはり攻撃材料にされてしまう。
この種のことは暇空問題でもずっと起こっていること。また、例えば当事者が仲間や関係者に向けて発信していたことが暇空らにキャッチされて悪用されたり、侮辱されたりということも多く起こってきた。
はっきり言って、こんなことまで気をつけて話さなければならない、発信しなければならないというのが不条理であり、コミュニケーション、情報共有・伝達などがこうやって制約される、負担がかかるものになるということは大変な不利益。でも、事態を悪化させないためには当座は自己防衛をしっかりするしかない。
そうしながら、然るべき者たちが逮捕等により止められ、また各種対応が進んで安全な環境が整っていくことを待つしかない。
今は量、スピードで負けるが、問題意識の共有は広がっているし、水面下で様々な動きは進行している。