昭和63年11月15日、大阪・梅田の新阪急ホテルで、門田博光外野手(40)のオリックス移籍が正式発表された。オリックスから白井孝幸投手(22)、原田賢治投手(25)、内田強捕手(27)の3選手がダイエーへ。1対3プラス金銭のトレードである。
「改めてスタートだ―という気持ち。お世話になります」
門田は頭をさげた。背番号は中国の〝万象学〟から「ボクの運命数で強く光り輝く数字」と「78」に決まった。
ところで近鉄との話はどうなったのか。実は6日の福岡での交渉で、ダイエーは近鉄の示した「加藤哲、吉田」に「古久保捕手を加えてほしい」と要望した。だが、近鉄は即答せず、7日に「プラス金銭なら」と回答。交渉は決裂していたのだ。8日、杉浦監督から「断り」の電話を受けた仰木監督はこう話した。
「全力を出しての交渉だったが、こんな結果になってしまった。門田君がいくら〝球界の至宝〟とはいえ、伸び盛りのウチの3選手を出すのはあまりにも忍びなかった」
上田監督は門田にほれ込んでいた。実は、近鉄かオリックスか―でもめていた6日、門田から突然、上田監督の家に電話がかかってきたという。
「近鉄や監督のところにもご迷惑をおかけして大変申し訳なく思っています。これ以上、ガタガタしているのは自分でも耐えられません。せっかく自分を指名していただいたのですが、引退することになるかもしれません」
驚いた上田監督は大反対した。
「何を言うとるんや。近鉄とウチのどちらに決まろうと、引退なんか考えたらアカン!」
それから2日後の8日のこと。スポーツ紙が『近鉄と合意』『近鉄入り確定』と報じた日、また門田から電話がかかり「監督、この前の私の言葉(引退)を撤回させてもらっていいですか」という。黙って近鉄入りしてもいいのに、門田は上田監督に「了解」を求めたのである。
「決まってよかったやないか。近鉄で頑張れよ」と上田監督は励ました。
「ほんまに律義で責任感の強い男や。だからこそ、真剣に悩み、引退も考えとったんやな」
すごい男が〝勇者〟に加わった。(敬称略)